まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

梅にメジロ

2024年02月18日 | 日記

わが家の近所の梅林はもう満開です。
ラジオではさっき関東の桜の開花日も発表されていて
梅も桜も揃い咲きでいよいよ春本番です。
気がつけば先ほどから梅の枝先ではウグイスがちょこまか飛び回って
ホー、ホケキョなんて・・・ん?鳴き声が聴こえないけど
これってウグイスじゃ・・・

そうでした、そうでした
これってウグイスじゃないんですよね。
「梅にウグイス」の呼び名は花札の世界のことだけで
梅の蜜が大好物で花の周りを飛び回っているのは
ホラ、クリクリとした目の玉の周囲が白くて可愛らしい
その名もメジロ(目白)なんですよねえ。
スズメよりちょっと小型ですが昔からなじみの深い小鳥です。
そう言えば最近はスズメも見かけなくなりました。
で、結局何が言いたいかと言うと・・・
満開の梅の花を撮ったつもりなのが
偶然そこにメジロが飛んで来ていい写真になったという
ただそれだけのことでした。(笑)

 


粉ものバンザイ!

2024年02月15日 | 日記

昼飯は「お好み焼き」だった。
普段は弁当派でめったに外食はしないのだが
妻が風邪をひいたので仕方なく五反田の街に出かけた。
仕方なくではあったけれど
久しぶりの『粉ものランチ』に食欲倍増。
禁断のマヨネーズ大量がけで大・大満足であった。

自他ともに認める『粉もの大好き人間』である。
とくにお好み焼きには目がない。
小麦粉に大量のキャベツをぶち込んで練った生地をに
豚肉やらイカやら好きな具材を乗せて焼いただけの単純な食べ物だが
このふっくらまったりとした熱々の一枚を
コテで切り分けてハフハフ言いながら口に頬張ると
それだけでもう幸せで大らかな気分なってすべてが許せる。
冷えたビールに合うのはこれが一番だと思う。
私の古い友人にお好みを焼かせたら右に出る者はいない
左に出る者はさらにいない自他ともに認める「お好み焼き奉行」がいるが
彼が焼くお好みは美味かったなあ・・・とあらためて思う。
薄明かりが点る神田の小汚い店の二階で
バカ話をしながら食べたあのお好み焼きの味が今も忘れられない・。
粉ものバンザイ!お好み焼きバンザイ!


シコふんじゃった

2024年02月11日 | 日記

最近、どうも体調がイマイチである。
身体のあちこちに痛いところがあって力が入らない。
そのせいか肝心の気力も衰退気味で最近はブログも休みがちである。
うーん、これが年を取るということか・・・
そんなことを呟きながら急に老け込んだ気分で
深いため息をついたりついてしまう。

これではならじと思い直し
何の脈絡もなく「よいしょ!」とシコを踏んでみた。
その昔「シコふんじゃった」という映画があったがあの四股である。
一度では効果薄なので二度、三度と踏んでみる。
もともと足もと不如意なのでついフラついて転びそうになる。
ジイさんが年甲斐もなく体操で転倒・・・の図だ。
これ以上やると誰かに救急車でも呼ばれそうなので止めにする。

「シコふんじゃった」は確か大学生役のもっくん〈本木雅弘〉が
相撲部のピンチのために立ち上がるという周防正行監督の傑作コミック映画だったが
ガラにもなくそんな映画の真似をしたばっかりに
今でもひねった腰の不具合が続いている。
うーん、やっぱり年なのかなあ・・・



気がつけば2月

2024年02月04日 | 日記

ついついブログの更新をサボってる間に
気がつけばもう2月ですよ。
あれも言いたいこれも書きたいと思っている間に
気がつけばいつの間にか2月ですよ。
ついでに言えば、雪でも降り出しそうな寒空の中で
気がつけば桜の蕾も膨らみ始めています。

え、桜の蕾?そ、そんなまさか・・・
いやいや、これって確かに桜の蕾ですよね。
蕾の先っぽはまだこんなに固そうで
開花まではかなり時間がかかりそうな気はするけど
三月に入ればそろそろ桜便りも・・・

ふと気がつけば能登地震からもうひと月だそうです。
思い出深い「朝市通り」も見る影もなく焼け落ちてしまったけれど
少しずつ復旧・復興の声も聴こえ始めて来たとか。
全てを失った絶望の中で立ち上がるのは簡単ではないけれど
前に進む中にしか希望はないとて心から思います。
ふと気がつけば何とかここまで来られた。
そう思える日もいつか来るのではないのででしょうか。


潔し

2024年01月18日 | 日記

一年で最も寒い季節だそうである。
2月に入ると多少春の兆しも見えて来るが
1月の間は見るものすべての色彩が消え果てて
世の中から「生気」が失われてしまう。
このケヤキの木など一枚の葉もなく素っ裸である。

これでは植物ですらなく単なるオブジェである。
一木一草もない寒々ととした世界だ。
でも、私はこの時期の一見味気のない無色の世界が大好きだ。
余計なものをすべて削ぎ落落とした潔さ〈いさぎよさ〉とでも言うのか。
そんな人間本来の身軽さ軽やかさを感じてしまう。
人間は本来「無一物」の存在なはずである。
生きている間に様々な都合やしがらみで周囲をゴタゴタと飾り立て
自らを生きにくくしてしまったのが人間である。
余計なものをすべて削ぎ落してもっと自由になれればいいのに。
もっと自分らしい生き方も見えて来るのに・・・
などと思ってみる真冬の日である・