まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

真冬の茨木のり子

2018年01月31日 | 日記

本棚を整理していたら
ほこりをかぶった古いパンフレットが出て来ました。
写真は詩人の茨木のり子さんですねえ。

四年前だったか五年前だったか・・
世田谷文学館で開催された「茨木のり子」展のものです。
向田邦子さんにどこか似ていませんか?
お二人の間に接点があったかどうかはよく知りませんが
どちらも知性と意志の強さを感じる美人です。

心にしみるようないい展覧会でした。
詩の原稿や草稿はもちろん、詩人仲間との書簡集などもあって
実に興味深く会場を見て回った記憶があります。
とくに東伏見にあった彼女の自宅が
お気に入りの家具やこだわりの雑貨とともに再現されていて
すっかり興奮してしまいました。
彼女の詩は頭の中で構築した難解な言葉ではなく
生活の中から自然に紡ぎ出した言葉だったのでしょうね。

茨木さんの書く詩はどこか男性的です。
万事に軟弱な私など思わず身が引き締まってしまいますが
それでいて女性らしい細やかな観察眼もあって
そこらあたりも向田邦子さんと共通するものがありますね。
最近のお気に入りはこの詩です。

   「一人は賑やか」

  一人でいるのは 賑やかだ
  賑やかな賑やかな森だよ
  夢がぱちぱち はぜてくる
  よからぬ思いも 湧いてくる
  エーデルワイスも 毒の茸も

  一人でいるのは 賑やかだ
  賑やかな賑やかな海だよ
  水平線もかたむいて
  荒れに荒れっちまう夜もある
  なぎの日生まれる馬鹿貝もある

  一人でいるのは賑やかだ
  誓って負け惜しみなんかじゃない
  一人でいるとき淋しいやつが
  二人寄ったら なお淋しい

  おおぜい寄ったなら
  だ だ だ だ だっと 堕落だな

  恋人よ
  まだどこにいるのかもわからない 君
  一人でいるとき 一番賑やかなヤツで
  あってくれ

一人が「賑やか」と感じる感性は素晴らしいですねえ。
一人は孤独と同意語ではないんです。
私も一人が大好きな人間ですが
よからぬ夢想ばかりしていてちっとも生産性が上がりません。

池に氷が張っています。
団地の水道管が破裂して水があふれていました。
北海道では流氷がやって来たというニュースもやっていました。
大寒から立春にかけてのこの時期が
おそらく一年で一番寒いのでしょうねえ。
茨木のり子さんの詩に励まされて
今日も頑張りたいです。

 


向田邦子が足りない

2018年01月30日 | 日記

久しぶりに向田邦子なんか読みたいなあ・・・
などと思いながら
本屋をぷらついていたらこんな雑誌を見つけた。
まだ発売されたばかりらしい。

そのものズバリのタイトルではないか。
表紙は愛猫マミオを抱く向田さんのお馴染みの写真だ。
バックの絵は大ファンだった中川一政画伯の作。
どうしようもなく懐かしさがこみ上げる。
向田さんが飛行機事故で不慮の死を遂げてもう何年だろうか。
テレビの脚本家として数多くの人気ドラマを手がけ
初めて書いた小説で直木賞を受賞。
まさに作家人生の絶頂の時に突然逝ってしまった。
何を言っても繰り言になってしまうが
もし向田さんが生きていたら
テレビも小説も面白くなっていたのにと思うこと再々である。



雑誌は直木賞受賞作や傑作エッセイを中心に
向田さんゆかりの作家たちのエピソード集になっている。
彼女の作品はほとんど読んでいる私だが
あらためて読み直してみてもその才能には唸ってしまう。
辛口コラムニストの山本夏彦をして
「向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である」
とまで言わしめた才能である。
文章のうまさももちろんだが観察眼の鋭さに驚く。
テレビ作家らしく表現が実に映像的で文章にふくらみがある。
情けない話ではあるが・・・
私に足らないのはまさに「向田邦子」なのである。〈涙〉

若い頃の向田さんの美しさは飛びぬけている。
もちろん年を重ねても美しかったが
二十代のキラキラと輝くような美しさには
知性と意志の強さがあって近づきがたいような雰囲気がある。
雑誌のエピソード集には
そんな向田さんの知られざる恋愛も語られていた。
私はそっちの方面には疎くほとんど知らないことばかりだった。
ガンに侵されて不安を抱えていたころ
彼女を支えた男性がいたこと。
向田さんも彼を心から大切に思い愛していたこと。
その彼も病に苦しみ自ら命を絶ったこと。
そういう地獄を見た体験があの人間に対する深い洞察力と
やさしさにつながっているのかも知れない。
一途に誰かを思うこともなく
安直な恋愛ばかりを繰り返してきた私にとっては
根本的に「向田邦子」が足りないのである。




あっぱれ栃ノ心!

2018年01月29日 | 日記
大相撲で栃ノ心が優勝しました。
平幕優勝が何年ぶりかは知りませんが
久しぶりの快挙ですねえ。
まさに「下剋上」という言葉がピッタリです。
 

栃ノ心がどういうお相撲さんなのか
角界にうとい私はつい最近まで
いや、数日前までほとんど知りませんでした。
場内アナウンスで「ジョージア出身」と紹介されていたので
てっきりアメリカのジョージア州かと思ったら
旧グルジアの出身だそうです。
と言われてもわかりませんが昔のロシアですねえ。
確かカスピ海の近所の小さな国だったかと・・・
どちらにしてもモンゴル勢ばかりが幅をきかす相撲界で
久しぶりのスター誕生です。
 
 
胸板が厚くて立派な体をしています。
いわゆる「あんこ型」のお相撲さんと違って筋骨隆々。
解説者が「がっぷり四つに組んだら負ける相手はいません」などと
とってつけたような自慢をしていましたが
確かに重戦車のようです。
一度、幕下に落ちて再び這い上がって来たそうです。
それなりの努力をしたのでしょう。
努力というものは少しずつ実るものではなく
ある日、突然、飛躍的に伸びて周囲を驚かすもので
今回の初優勝もそれかも知れません。
 


平幕ですから殊勲賞と技能賞も併せて受賞でした。
見ていてふと思ったのですが
俳優のニコラス・ケイジにちょっと似ていませんかねえ。
なかなかの色男かも知れません。
日本語がまだ上手ではないところも気に入りました。
いずれにしてもこれだけ有望な外国人力士が増えて来ると
今さら「国技、国技」と大騒ぎしても
仕方がないのではないでしょうか。
一連の不祥事もその「国粋主義」の歪みが根底にあるわけですし
協会も外国人力士の活躍でこれだけ儲けている訳ですし
ちょっと考え直した方がいいかも知れません。
私たち素人は「面白いスポーツを楽しみたい」だけですから。
 
 
 

ツバキが咲いて・・・

2018年01月28日 | 日記

ピリピリするような寒気の中で
ふと気がつけばツバキの花が咲き始めていました。
今年はちょっと早いのではないでしょうか。
はい、サザンカではありません。

古来、日本人がこよなく愛した花です。
どれだけ古くからと言うと
古事記や万葉集にも記述があるほどですから凄いです。
確か京都の竜安寺には
室町時代のツバキの古木があると聞いたことがあります。
見たような覚えはありますが覚えていません。
そうそう、東京に「椿山荘」というホテルがありますね。
あれはもともとツバキ山だったところで
この時期、みごとな庭園でツバキ鑑賞も一興かも知れません。
文学作品にもよく登場しますねえ。
やはり山本周五郎の「五辨の椿」が一押しですが
去年読んだ小川糸さんの「ツバキ文具店」もなかなか傑作でした。
小林幸子の「雪椿」はカラオケの十八番です。〈笑〉

これは有名な「侘助」です。
千利休などの茶人に愛されて来た代表的な品種です。
まさに侘び寂びの世界を象徴する
凛とした風情を感じさせる花ですねえ。
私、短い期間でしたが「茶花」を習っていたことがあります。
茶花とは茶席に飾る花のことです。
万事に飽きっぽい私が、結構ハマってせっせと通ったものですが
実は妙齢の「美人先生」が目当てでした。〈笑〉
その先生の面影が何となく
この侘助のたたずまいに似ていて・・・

   わびすけは 一輪挿しに 似合いたり  〈杉作〉

 


痛みを知る政治家

2018年01月27日 | 日記

野中広務さんが死んだ。
自民党の幹事長や官房長官までつとめた重鎮である。
二世議員ばかりがはびこる政界にあって
まさに叩き上げの政治家だった。

ご覧の通りの強面である。
その面構え通りの信念の人だった。
今ではもう「忘れら去られた政治家」の一人かも知れない。
でも、私はこの人が妙に好きだった。
京都府議から副知事という典型的な地方政治家だったが
被差別出身という出自を隠すことなく
あらゆる差別や抑圧と戦い続けた反骨・反権力の人だった。
自民党にはめずらしいタイプだけに敵も多かった。
そうそう、阪神タイガースの大ファンでもあった。〈笑〉



2003年に政界を引退されてからは
テレビの「時事放談」で時折お目にかかる程度だったが
老いてますます盛んで舌鋒も鋭かった。
米軍基地の辺野古移転をめざす安倍内閣の非情な姿勢について
沖縄を差別しないことに政治生命を賭けて来た者として
絶対に許すことが出来ないと口を極めて批判しておられた。
県民の痛みをわからない政治だ。
本当に悔しい、死んでも死にきれない!
とめずらしく感情的になっておられた姿がわすれられない。

盟友だった古賀誠元幹事長も
全国戦没遺族者会の代表をつとめる「戦中派」である。
ともに戦争に対する思いは同じだったようで・・・

 政治家の最大の役割は戦争をしないことだ。

が揺るぎない信念だった。
何度もヘリの不時着を繰り返す米軍に対して
文句ひとつ言えない日本政府の弱腰をどう思っておられたのだろうか。
沖縄、差別、ハンセン病訴訟、従軍慰安婦・・・
野中さんが積極的に関わって来られた問題は数多くある。
信念の人であると同時に
何より「人の痛みを知る」政治家だったと思う。