まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

サミットなんていらない!

2019年06月30日 | 日記

トランプがまたやって来た。
お付き合いでプーチンもやって来た。
習近平も相変らずの不愛想な顔でやって来た。
年番の議長国とやらで
外交好きの安倍さんも前日から大阪に泊まり込んで
ホスト役に大張り切りだった。
で、これだけの金とヒマをかけて何が決まったのかと言うと
何も決まらなかったのである。
今やサミットなんて無駄の最たるもので
無用の長物ではなかろうか。



まあ、いろいろあるけど
みんな一緒に仲良くやりましょうやというのが
サミットの趣旨だった。
しかし、この会合が成功だった試しは一度もないないのである。
G7と呼んでいた頃からもめ事は絶えず
それがG20にも増えたらまとまるものもまとまらないのは
人の世の道理ではないだろうか。
結果、サミットは限りなく「世界の親睦会」になったけれど
その空気を一変させたのがトランプの登場である。
身勝手な「アメリカ第一主義」を掲げて当たるを幸い斬って捨て
すべてにおいて喧嘩腰である。
安倍首相はいちはやく子分になって茶坊主のようだが
この間は「日米安保破棄」などといきなり言われて大慌てである。



世界の首脳がトランプ一人に振り回されている。
世界中の各地で「対立」と「分断」が顕在化している。
日経新聞は「液状化」などと表現しているが
まさに言い得て妙かも知れない。
こんな利己主義のオッサンを平気でのさばらせて
何も言えない、何も決められないサミットなんてまことに無駄である。
即刻、廃止すべきである。
トランプの身勝手を糾弾する「裏サミット」なら
大いに応援したいが・・・

 


夏草の頃

2019年06月29日 | 日記

もう夏草が生い茂る季節になりました。
まだ六月なのに雑草(?)の成長力には驚くばかりです。
すっかり成長が止まったオジサンは
まぶしいような羨ましいような思いになります。
はるか彼方の「青春」を想います。



夏草の中に寝転がるのが大好きな中学生でした。
あのムッとする草いきれ大好きでした。
蚊に刺されたりヘンな虫がモゾモゾとまとわりついたり
決して居心地のいい場所ではありませんでしたが
妙に心が落ち着く場所でした。
心が落ち着くと次々に妄想がふくれあがるクセがありました。
勉強のこと、読んだ本のこと、好きな彼女のこと・・・
人に言えない性の悩みもありましたねえ。
将来は「詩人になりたい!」なんて妄想を描いたこともあります。
詩人なんかでは生活が出来ないと知ったのは
ずっとずっとあとになってからです。
ときどき「私の全人格はこの夏草の中でつくられた」なんて
真剣に思ったりすることがあります。
まあ、大した人格ではありませんが仕方ないです。

時うつり時ながれ・・・
もう夏草の中で寝転がることもありませんが
草いきれの匂いだけは昔のままです。
妄想の数々もうたかたの夢のように消え去ってしまって
あるのは情けない現実ばかりです。


お茶の水風景

2019年06月28日 | 日記

仕事帰りにちょっと寄り道。
いつもフラフラと寄り道ばかりしている
寄り道人生です。(笑)
たまたまJRの御茶ノ水駅を通りかかったので
フラフラと降りてみました。

私が大好きな「お茶の水風景」です。
私自身はもともと東京の人間ではありませんが
この風景を見るとどうしようもなく懐かしさを覚えてしまいます。
なぜなのかいまだによくわかりません。
両側を台地に囲まれた谷底を流れているのは神田川です。
向こうに見えるアーチ形の橋は聖橋。
すぐ横にはニコライ堂という最古の西洋風教会もあって
思わずスケッチしたいような風景ですねえ。
寅さんはオハコの啖呵売の中で

  四谷赤坂麹町 ちゃらちゃら流れるお茶の水・・・

なんて得意げに喋っていますが
お茶の水という川はありませんから神田川のことでしょうか。
東京駅に向かう中央線の快速と
千葉方面に向かう総武線の普通電車と
地上にヒョイと顔を出す地下鉄丸ノ内線が
御茶ノ水駅の上で「三線交差」するのがこのこの風景だそうで
鉄道オタクにとっては「聖地」のような場所です。

近づいて来る熱帯低気圧が
台風になるのかならないのかヤキモキします。
ヤキモキしながら
お茶の水の立ち飲みで軽く一杯やって帰りました。
フラフラと寄り道のつもりだったのに
フラフラの千鳥足でした。


トウモロコシ畑

2019年06月27日 | 日記

あれに見えるは・・・
トウモロコシ畑ではなかろうか。
茶畑は八十八夜を迎えて茶摘みの真っ最中らしいが
トウモロコシも収穫期を迎えている。

 ♪ 夏も近づく トウモロコシ畑

     野にも山にも 若葉が茂る・・・

わが団地の周辺はまだあちこちに近郊農家が残っていて
懐かしい牧歌の風景を見ることが出来る。
先頃、すぐ近所で元・農林省事務次官が息子を殺害するという
牧歌らしからぬショッキングな事件があったが
その自宅の前にはのどかなトウモロコシ畑が広がっていて
その風景がなぜか目に焼き付いている。
トウモロコシ畑は平和の象徴のような眺めなのに
なぜそんなところで・・・
などと短絡的な思考に囚われてしまった。



トウモロコシは「玉蜀黍」と書く。
最近の若い人は英語で「コーン」などと呼ぶ。
亡くなった親父はトウモロコシの本場・北海道の生まれで
いつも「トウキビ」と呼んでいた。
札幌の大通公園には夏になると一斉に屋台が並んで
焼きトウモロコシの香ばしい匂いが漂って北海道の風物詩である。
あの味が忘れられない・・が親父の口ぐせだった。
そんなことを思い出していたら
無性にトウモロコシが食べたくなってきたので
さっそく帰りに近くのスーパーでトウモロコシを買って帰った。
青々としたヒゲだらけの皮を剥くと
プリプリした黄色いトウモロコシの粒が飛び出してきて
茹でてかじりついたら驚くほど甘かった。
たくましい大地の味だった。
なつかしい親父の味だった。


健康しかないのか?

2019年06月26日 | 日記

人生に何が大事かと問われれば・・・
おそらく大半の人が「健康」と答えるに違いない。
これほど揺るぎのない価値観はない。
私だって別に病気にになりたいわけではないので
とくに異議はないのだが
二言目には健康、健康と騒いでいる健康オタクを見ると
バカじゃねえかと思えてくることがある。
お前の人生の目的は健康しかないのか!と怒鳴りたくなる。



先日、たまたま入った居酒屋のトイレに
こんな貼り紙があった。
漢文調で書かれた「健康十訓」という一文で
長いオシッコをしながら感慨深く読ませてもらった。
いちいちごもっともである。
いちいち思い当たることばかりで恥ずかしい限りである。
最近になって野菜をよく食べるようになったが
基本的には肉食人種である。
相変らず塩辛いものや甘いものが好きだし
酢の物はめったに食べない。
歯が悪いから今や噛むことすら難儀になっている。
そのかわり風呂だけはよく入る。
金がないからタクシーにはのらないが
エスカレーターを見つけるとついつい乗ってしまう。
膝の半月板が無くなってからは趣味のジョギングもやめてしまった。
とくに悩み事はないが最近はよく眠れない。
やっぱり笑うことより義憤にかられることが多いよなあ。
この年になっても欲の深さも相変らずだし
ボランティア活動や募金なんかやったことがない。
そんな不健康な人間だから
そのうち罰が当たって救急車ごとになるかもしれない。
よっぱり「健康」が一番大事だなあ・・・
などと、途端に気弱になってしまうのであった。(笑)