まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

煩悩の人

2022年08月30日 | 日記

京セラの稲森さんが亡くなった。
ベンチャーの草分け、カリスマ経営者、再建請負人。
稲盛さんを形容する言葉は数あれど
私が思い出す稲盛像は「煩悩」という言葉だ。
凡庸は取るに足らぬ人間のことだが
煩悩は人間の欲望や執着、怒りなどを戒める仏教用語だ。

一度だけお会いして話す機会があった。
その頃、私はさして詳しくもないのに経済番組を担当していて
稲盛さんのインタピューが撮れるとあって
スタッフとともに京都のお寺へいそいそと出かけて行った。
当時、稲盛さんは得度された直後とあって
墨染の袈裟姿でテレビの収録に来られた記憶する。
「私はこう見えてもなかなか煩悩を断ち切れない人間でして・・・」
開口一番、仏教に帰依する理由を問うとそんな言葉が返って来た。
経営の神様から「煩悩」という言葉が出るのが意外だった。
それに対して「私も煩悩の数では人に負けませんが」と応じると
静かに笑っていただいて緊張がほぐれた覚えがある。
それからしばらくは煩悩論議だったが
稲盛さんの言う私利私欲を厳しく戒める経営者としての煩悩と
私のようなただの飲んだくれの煩悩とは
根本的に違うものだと悟ってずいぶん恥ずかしい思いをした。

稲盛さん、あの時の教えは今も忘れていません。
齢90歳のご長寿、お疲れさまでした。


夏の終わりのレバニラ炒め

2022年08月30日 | 日記

すっかり夏バテ気味です。
食欲旺盛だけが自慢の大食漢なのに
朝っぱらからパンなど口に入れる気にもならず
妻のお弁当もここ最近は大量に残してしまう有様です。
食欲がなくて体重も3キロ減りました。
暑さで身体に力が入らず典型的な夏バテの兆候です。



久しぶりに飲食店に足を運んで
好物の「レバニラ炒め」を注文してみました。
これなら食べれるかと思ったからです。
仕事中ですからもちろんビールは我慢しました。(笑)
てらてらと脂をまとって輝くレバーの肉塊。
シャキシャキとした食感まで伝わって来るニラとモヤシ。
うーん、美味そうです、思わず貪りました。
結果から言うと全部は食べきれませんでしたが
七割がたは完食して腹一杯でした。
眠っていた、いや、忘れかけていた食欲が
ようやく戻って来たようです。
このまま食欲がないままやせ衰えたらどうしよう。
なんて考えていただけにホッと一安心です。
食欲をそそるゴマ油の香ばしい香りもさることながら
いつもは一人で弁当を食べているに
大勢のお客さんと一緒に食べたことが刺激になったのでしょうか。

食欲不振の解消にも手ごたえあり。
昨夜は寒いほどの涼しさでようやく熟睡できました。

 


秋の闖入者

2022年08月28日 | 日記

朝からあいにくの雨模様。
ニミの声も間遠に聴こえる夕間暮れ。
耳を澄ますとセミの声に混じって虫のすだく声も。
ああ、秋だなあ、声の主はスズムシかコウロギかと思いつつ
ベランダを覗くと手すりに思いがけぬ光景が・・・

こ、これはなんだ!なんという名の虫だ!
いま鳴いていたのはこの虫なのか?
スズムシでもコウロギでもなく、身体が妙デカイ!
一瞬、キリギリスという名前も浮かんだが
だいたい14階のベランダまで上がって来る虫がいるのか?
いったいどうやって、そうか、飛んできたのか!
うーん・・・まさに秋の闖入者だ。
と思いつつゆっくり顔を近づけた瞬間、
謎の闖入者はサッと目の前からかき消えてしまった。
まるで真夏の夜の夢のように・・・


ドラマ「無言館」

2022年08月27日 | 日記

先日、終戦の日にこのブログで
「77年目の無言館」という記事を書いた。
信州上田市の郊外、塩田平の高台に建つ「無言館」は
戦没画学生のために建てられた慰霊美術館である。
展示してある絵は戦死した画学生たちの遺作ばかりを集めた
もの言わぬ美術館、すなわち無言館である。

この無言館がドラマになると聞いた。
聞いただけだから詳しいことは知らないが
設立の経緯から歴史的背景なども織り交ぜながら
戦争の悲惨さを描く人間ドラマらしい。
監督・脚本は劇団ひとり、主演は実力派の浅野忠信と寺尾聰。
劇団ひとりはなかなか多才な人物で面白いし
役者は鬼才の笹野高史さんやでんでん
大好きな檀ふみさんも久しぶりに出ているらしいし
ぜひ観てみようと思うのだが・・・
日テレの「24時間テレビ」は大嫌いだから迷っている。
うーん、どうしようかなあ・・・
今夜9時頃(?)だそうだからよかったら。


原発回帰

2022年08月25日 | 日記

新聞を見て驚いた。
ガッカリして深いため息だった。
どうしてこうなるのか?原発事故の教訓はどうなったのか?
首相は確か再稼働にも慎重な姿勢の筈だったのに
この突然の方針転換はなぜなのか?誰の入れ知恵なのか?
いきなりの「国葬」宣言と同様、激しい違和感を覚えてしまった。

首相は再稼働だけに飽き足らず
原発の新設や増設も検討するよう指示したと言う。
次世代などと言えば聞こえはいいが原発に次の時代はない。
コスト面でも安全性においても
原子力発電事業はすでに歴史的に終えんを迎えている。
福島第一原発の廃炉さえ見通せないまま
これからかかる途方もないあと始末の費用と年月を考えれば
新しく原発を造るなどあり得ない話ではないか。
経産省の官僚たちは二言目には電力需要の逼迫を言うけれど
再生可能エネルギーの開発に本気で取り組んできたのか大いに疑問だ。
のど元過ぎれば何とやらで
ここで安易に「原発回帰」を口にすることは
あのメルトダウンの恐怖を日本消滅の戦慄を再びと言うに等しい。
あの原発事故の反省からいったい何を学んだのか。
人間は必ず失敗する動物である。
今度失敗したら取返しのつかない事態になるのは自明である。
安易な原発回帰ムードに激しく警鐘を鳴らしたい。