まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

しとどに濡れて

2018年05月31日 | 日記

降りしきる雨の中で
紫陽花の写真を撮っていたら
雨脚が強くなって全身すぶ濡れになってしまいました。
一応、傘はさしていたのですが・・・

わが身もビショビショなら
木々も雨の水滴に濡れてビショビショ状態です。
でも、なかなかキレイですねえ。
犬みたいに思わずブルブルと身震いしたくなってしまいます。
こういう状態を古い言葉で「しとど」と言います。
しとどに濡れる・・・なんて表現します。
ちょっと生々しい表現で
汗で濡れた女性の横顔なんかを連想してしまいます。
私は若い頃から大の汗っかきで
真夏はTシャツがすぐにびっしょりと汗ジミになったものですが
最近はどういう訳かあまり汗をかかなくなりました。
枯れる年頃になって来たのでしょうか。

雨粒がキラキラと綺麗です。
雨や汗だけでなく「涙」もしとどと言いますねえ。
涙でしとどに濡れた瞳、なんて言います。
そんな愁嘆場は経験がありませんが
泣き疲れて寝てしまった子供のつぶらな瞳を見たりすると
ちょっと羨ましいような気持になります。
そう言えば「悲しさ」にしろ「嬉しさ」にしろ
最近は泣くという行為そのものがめったになくなって来ました。
たまにドラマを見てこみ上げて来ることはあっても
実生活で泣くことはめったにありません。
これもやはり年のせいでしょうか。

雨にしとどに濡れたせいでしょうか
今日はちょっと風邪気味で鼻水にしとど濡れています。


アジサイ色の雨

2018年05月30日 | 日記

夕方近くになって雨が降り始めました。
今日は仕事は休みでしたが
所要があってあたこちと東奔西走。
やっと終わってベットにドッと倒れこみました。
ああ、疲れたあ・・・

外はアジサイ色の雨が降っています。
そんな色の雨が果たしてあるかどうかは知りませんが
アジサイ色っていい響きの言葉ですよね。
大の雨嫌いの私なのに
この季節の雨はちょっと待ちわびるような気持もあって
自分でもついつい笑ってしまいます。



アジサイはさまざまに色を変えることから
俗に「七変化」と呼ばれるそうです。
公園のジサイも青やピンク、紫に白と本当に色とりどりです。
生えている場所の土質によって色が違うそうですが
本当でしょうか。
美しく色を変えるあの花びらも
じつは花ではなくてガクだそうですけど知っていました?
美しいけれどいろいろと不思議な花ですねえ。

花だけでなく葉っぱも好きです。
えーっ、葉っぱなんでどれでも一緒じゃん!
と言われるかもしれませんが
ちょっとギザギザのある楕円形の葉っぱで
とっても艶やかで鮮やかな緑色です。
花と同様、雨粒にそぼ濡れる葉っぱも風情がありますねえ。
何をのんびりしたことを言っているのかと
笑われてしまいそうですが
久しぶりの雨で気持ちもアジサイ色に染まったような
アジサイ色ってあると思うんですがねえ・・・

 


もうタチアオイ

2018年05月29日 | 日記

今朝も自転車で駅へ。
途中、バラ園の横を通ったら
もうタチアオイの花が咲いていました。

うん、確かにタチアオイの花です。
夏は夏でも、夏の盛りの花というイメージが強いです。
へえ、もうタチアオイが咲いているんだ・・・
まだ梅雨入りもしていないのに
今年はどうも季節のめぐりが早過ぎる気がしますねえ。

  タチアオイ 仰ぎ見る先 銀河かな

なるほど銀河ですか・・・
スケールの大きい名句ですね。
うーん、誰の作だったかは・・・忘れました。

歩道の道端にも咲いていました。
雑草にまじって勝手に咲いているのか
それとも誰かが育てているのかはよくわかりませんが
いかにも生命力が強そうですねえ。
生命力と言えば安倍政権の命運もなかなか尽きませんねえ。
森友問題にしろ家計問題にしろ
これだけ「嘘」と「ごまかし」を重ねながら
それでも居座り続ける厚顔無恥な政権がかつてあったでしょうか。
次々と新文書が出て来てどう考えても嘘は明々白々なのに
退陣する素振りさえありません。
これだけ世間を騒がせ国会を愚弄し続けた責任を
いったいどう考えているのでしょうか。
無理が通れば道理が引っ込むらしいですが
嘘は泥棒の始まりという格言もすっかり死語になってしまいました。
この構図は日大アメフト問題とそっくりですねえ。

   タチアオイ すらり乙女の 立ち姿 〈杉作〉

九州は梅雨入りとか。
今日も暑くなりそうですねえ。


実のなる木を育てたい

2018年05月28日 | 日記

風のさわやかな気持ちのいい日でした。
お昼休みは近くの公園でお弁当を食べました。
ハイ、愛妻〈?〉弁当です。

お弁当を食べながらふと見上げると
黄色いビワの実がたわわに実っていました。
たわわという言葉はいいですねえ。
女性の胸もやっぱり「たわわ」であって欲しいです。〈失礼〉
ビワの実を眺めながらお弁当を食べる。
デザートに一つ頂きたかったのですが手が届きませんでした。
でも、ピクニック気分で最高の時間でした。

これは何の実かご存じですか。
ヤマモモの実です。
ヤマに生えるモモに似た実だからヤマモモだそうです。
うーん、そのまんまですねえ。〈笑〉
でも,野趣あふれる甘さでとっても美味しいです。
昔から実のなる木を庭に植えると
家運が上がるなんて言いますが本当でしょうか。
実家にもビワの実やウメの実など実のなる木がたくさんありましたが
とくに家運が上がったという実感はありません。〈笑〉
自然とは無縁の都会のマンション暮らしだと
家運は上がるどころか下る一方です。

これは何の実でしょうか。
私たちのごく身近にある実でわがマンションの前にもあります。
そうですソメイシヨノの実ですねえ。
桜の実ですから一応サクランボということになるでしょうか。
黒々と熟れ切って道端にポトポトと落ちています。
いかにも食べ頃ですが一つ口に含んでみると
うーん、複雑怪奇な味でとても食べられたものではありません。
ハイ、とっても不味いです。

まあ、家運はどうしようもありませんが
せめてウサギ小屋の小さな庭にも
実のなる木が一本ぐらいあるといいですねえ。
心が豊かになるような気がします。


あの人に会いたい

2018年05月27日 | 日記

NHKに「あの人に会いたい」という番組がある。
毎週、土曜日の早朝にやっている10分ほどの短い番組である。
NHKが保存するな膨大な映像ライブラリーの中から
毎回、時代の先駆者や各界の第一人者を取り上げ
その人となりを丁寧に紹介している。

今週は俳優の大杉漣さんを取り上げていた。
ご存じのように先日、66歳の若さで急死されたばかりで
私も仕事で何度かご一緒した経験があるだけに
その衝撃を今も引きずっている。

漣さんが役者としての原点を語るインタビューだった。
役者はどう演じるかではなく
どう生きるかが大事だと熱っぽく語っておられた。
俗に「300の顔を持つ男」とか「カメレオン」などと呼ばれ
その迫真の演技力と演技の幅は特筆すべき存在だった。
歴史上の偉人から平凡なサラリーマン、テロリストや公安刑事、
性格破綻者やホームレス、校長からヤクザまで
まさになんでもござれの俳優だった。



そんな漣さんの原点が「無言劇」にあったことは
意外に知られていないのかも知れない。
23歳の年に太田省吾の「転形劇場」に感動して研究生に。
明治大学を中退して本格的に舞台役者となる。
セリフが全くない「沈黙劇」とは一体どのようなものか?
私も一度だけ観たことがあるのだが
緊張感はあるものの実に退屈極まりない舞台だった。
私のようなテレビを生業とする放送人は
セリフに空白が出来るとすぐに「放送事故」を心配するが
空白も空白、全編、空白だらけでドッと疲れた。
そう言えば北野映画のHANA-BI』でも岸本加世子を相手役に
寡黙すぎる元・刑事役を存在感タップリに演じておられた。
沈黙嫌いの私などイライラし通しだったが
ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞だから大したものである。
漣さんの演技が沈黙劇で鍛えられたとすれば
なるほどと思うしかない。

僕は生涯下積みでいたいと語っていた漣さん。
演技論など語ったことはないが
もっとゆっくり語り合う機会があったらなあと思う。
もう一度「あの人に会いたい」と思う。