まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

日馬富士の引退

2017年11月30日 | 日記

落ち葉が散り終わって
すっかり素っ裸になってしまった樹木が目立ちます。
あれほど豊かな緑を茂らせたのに
何ごとも散り際は本当にあっけないものです。

帰り道の電車の中で
隣のオジサンが読んでいるスポーツ新聞に
日馬富士引退のニュースがデカデカと載っていました。
そうかやっぱり引退か・・・
天下の横綱が暴力事件を起こしてしまったのですから
仕方のない選択だったのかも知れません。
相撲には詳しくない私ですが
角界でも一、二を争う軽量の彼が全身バネのようなパワーで
大きな力士を投げ飛ばす姿は印象に残っています。
記者会見を見る限り物静かな思慮深い印象で
酒に酔って若い力士をボコボコにするような人間には見えず
ちょっと意外な印象でした。
よほど腹に据えかねるものがあったのでしょう。

訥々とした記者会見で
彼の口から出た「礼儀」と「礼節」という言葉も意外でした。
今どきそんなアナクロな言葉を口にする日本人が
果たして相撲界に限らずいるでしょうか。
彼はモンゴル人でしたが根っからの日本人だったのでしょう。
今やすっかり滅びつつある古いタイプの日本人。
確かに近頃は礼儀や礼節という言葉さえ知らない若者が多く
目上の人間をナメたような言動に
ムカついて思わず殴りたくなることもあります。
まあ、そういう時代ですから年上の人間は諦めの心境ですが
日馬富士はそんな日本人の美徳を踏みにじる
バカ者が許せなかったのでしょうか、

引退は残念ですが
そんな日本人より日本人らしい
気骨のモンゴル人がいたことがちょっと誇らしくもあります。
でも、暴力はいけませんよ、暴力は!〈笑〉

 


残り柿

2017年11月29日 | 日記

季節は晩秋から初冬へ。
この季節らしいキリリとした美しい夜明けでした。
今朝はちょっと寒気がゆるんだような・・・

忙しさに追われて
ゆっくりブログを書く時間がありません。
とりあえず早朝に起きてパソコンには向かうのですが
寝ぼけ眼のままボーッとしています。
書くことが思い浮かびません。
書くことがなければ別に休んでもいいのですが
誰に約束したわけでもないのに律儀に書き続けていますねえ。
我ながら呆れてしまいます。〈笑〉

冬の空に「残り柿」が照り映えています。
時折、ヒヨドリがやってきて残った実を啄んでいます。
残り柿は冬の季語ですが
先日、歳時記を読んでいたら「木守柿」とも呼ぶそうです。
たまたま落ちずに残った柿ではなく
来年も豊かに実るようにとの願いをこめて
人間がわざわざ採らずに木に残しておく柿のことだとか。
なかなか含蓄のある言葉ですねえ。
残り物に福があった体験はあまりないのですが
頑張って長生きすれば思わぬ「福音」に出逢うこともあるかも知れません。

   残り柿 亡き母思う 冬日かな  〈杉作〉

そういえば子規も柿が大好きでしたねえ・・・

 


野鳥が来りて冬となる

2017年11月28日 | 日記

公園の枯れ木でモズを見かけました。
モズは百枚の舌と書いて「百舌鳥」と呼ぶように
ほかの鳥の鳴きマネがうまいそうです。
二枚舌ならぬ百枚舌ですからウソの達人かも知れません。

我ながらよく撮れた写真だと思うのですが・・・(笑)
モズは典型的な「冬鳥」です。
モズが山奥から麓や里に降りてくると
ああ、間もなく本格的な冬が始まるなあと思います。
モズには捕らえた獲物を枝の先に串刺しにする
残酷な「はやにえ」という習性があるのをご存知ですか?
私も一度だけカエルの串刺しを見たことありますが
なんのためにそんなことをするのか?
好きなものは後にとって置く
という私の習性とは全く違うようです。

これはヤマガラです。
山に生息しているからヤマガラというわかりやすい名前です。
これも冬の訪れとともに里に下りて来ます。
学習能力が高いので芸を教えることもできるそうで
昔、お祭りの屋台で「おみくじを引くヤマガラ」なんてのが
あったのを何となく覚えています。

お馴染みのシジュウカラです。
もともとは渡り鳥ですが最近はすっかり里暮らしが性に合ったのか
年がら年中、四六時中も公園を飛び回っています。
葉がすっかり落ちた冬枯れの公園は
視界がよくて野鳥観察にはもってこいの季節ですねえ。
100倍ズームの自慢の望遠鏡を引っ張り出して
そろそろ野鳥ウォッチングをしたいものです。

でも、そんなヒマがあるかなあ・・

 


公園で紅葉狩り

2017年11月27日 | 日記

公園の紅葉はいまがピークです。
赤や黄色や橙やあらゆる色彩が混然一体となって
見ているだけで心が浮き立つようです。

今年も紅葉狩りには行けなかったなあ・・・
などと愚痴は申しません。
人間は愚痴を一つ口にするだけで一つ年を取る。
などと誰かが言っていました。
確かに世の中にはやたら愚痴っぽい人がいるものですが
そんな人と飲んでいると陰々滅々として
やりきれない気分になって来ます。

今年は例年より冬の訪れが早いような気がします。
寒い寒いと言ってもまだ11月ですし
昔の身を切るような寒さに比べればなんのことはありません。
考えてみれば寒い寒いとボヤくのも
愚痴の一つかも知れません。

トチノキの黄葉も見事に色づいています。
紅葉狩りとは野山に紅葉を愛でに行くことだそうですが
わざわざ野山にまで出かけなくても
歩いて5分の公園で手早く紅葉狩りが楽しめるのですから
なんとも安上がりでデフレ時代にピッタリです。

その公園は「フリマ」で大賑わいでした。
毎週、毎週、よくこれだけの人が集まるものです。
このフリーマーケットの「情熱」というものがよくわかりません、
家の中のガラクタを並べて何が面白いのでしょうか。
売る方もそれを嬉々として買う方も
どこか「宗教」にも似た狂信的な情熱を感じてしまいます。

メタセコイアの黄葉も始まりました。
小学生の頃に「生きた化石」と習った針葉樹です。
小さくとがった枯色の葉っぱが
まるで吹雪のように散って風に舞う光景は圧巻で
それががキレイに散り終わると
紅葉狩りの公園にも本格的な冬が訪れます。


懐かしき日本の民家

2017年11月26日 | 日記

世田谷区弦巻の住宅街です。
私のような庶民には縁のない高級住宅地ですが
その一角に「向井潤吉アトリエ館」がひっそりたたずみます。

向井潤吉の名を知る人はもう少ないのでしょうか。
戦前から戦後にかけて活躍した画家で
高度成長の陰で消えていく日本のかやぶき民家を
ひたすら描き続けた「民家の画家」です。
そのテーマは一貫して古き良き日本への「郷愁」でした。

庭の雑木林ではシジュウカラがさえずっていました。
ときどきヒヨドリの甲高い声も聴こえました。
この日は訪れる人もなく
ほとんど私一人の貸し切り状態でした。
入場料はわずか200円です。
人でごった返す都心の大美術館に比べれば
ウソのような安さです。

向井潤吉の画業はおよそ40年です。
民家以外はほとんど描かず
生涯に2000点以上の作品を残しました。
画家は時としてタッチを変えたり新しいテーマに挑んだり
それなりの試行錯誤を繰り返すものですが
そうしたことは一切なくて
愚直にそれがまるで自分の使命でもあるかのように
ひたすら「民家」だけを描き続けました。

かつて日本のどこにでもあった風景です。
私の島根県の実家も昔はこんな「茅葺き民家」だったので
涙が出るほど懐かしいですねえ。
茅葺き屋根というのは夏は涼しく冬は暖かく
実に理にかなった建築物でうまく使えば50年は持つそうです。
でも、こんな風景はもう日本のどこにもありません。
向井潤吉の作品年譜を見てみると
意外にも埼玉県でのスケッチが多く、次いで信州、京都で
時期は2月、3月、12月に集中しています。
7月、8月は全く描いていません。
暑い時期は苦手だったのかと思ったのですが
夏場は木々の葉っぱが生い茂ったり草の背丈が伸びて
スケッチの邪魔になったそうです。
なるほどと大いに納得!

向井潤吉アトリエ館は
現在、世田谷美術館の別館にもなっています。
展覧会の「民家遍歴」という言葉が気に入りました。
決して一世を風靡したわけではなく
どちらかと言えば地味な作家で忘れ去られる存在かも知れません。
でも、描きたい絵だけを描いて
描かなければならないと思う絵だけを描き続けた一生は
十分に称賛に価すると私は思うのですが・・・