まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

空蝉

2018年08月16日 | 日記

今日もまた蝉が一匹
ベランダの網戸に飛んで来ました。
このところ連日の訪問でもうすっかり慣れっこです。

蝉は嫌いと言いながら
こうやって見ていると妙な親近感を覚えます。
確か蝉は地中で6、7年をすごし
エッチラオッチラ必死で地上に這い出てからも
わずか一週間ほどで死んでしまうと聞いたことがあります。
なんと短く儚い一生でしょうか。
目的達成のために艱難辛苦を乗り越えて努力することを
よく「臥薪嘗胆」などとと言いますが
彼らの一生ほどこの言葉にふさわしいものはありません。
その目的はひたすら子孫繁栄。
人間の一生も極言すれば似たようなものですが
彼らの辞書には「生き甲斐」などと言葉はありません。

死屍累々という言葉がピッタリです。
目的を果たしたセミも、果たせなかった無念のセミも
例外なく一週間で息絶えて亡骸を横たえます。
中には死んだフリをしてしぶとく生きている蝉もいて
突然、飛び立って驚かせたりします。
儚いと言えば儚いですし、潔いと言えば潔いとも言えます。
目的もなく無駄に馬齢を重ねている人間に比べれば
よっぽどマシかも知れません。

セミの抜け殻を「空蝉」と言いますが
空蝉という言葉はよく人の「一生」にも例えられますね。
確かに人間だって本当に輝いている時期は人生のほんの一瞬ですし
本当に「生きた」と胸を張って言える日々は
意外に短いのではないでしょうか。