オリンピック・パラリンピックに向けての
聖火リレーがいよいよ全国で始まった。
コロナ禍であろうと何が何でもオリンピックを開催したい。
という政治の強い意思を感じてしまう。
思えばすべてが最初から政治主導であったと思う。
この日のために必死に努力してきた
アスリートたちの思いを無にしてもいいのかという議論がある。
私はあくまでもオリンピック開催には反対だが
確かに選手たちの気持ちを考えると反対の矛先も鈍る。
モスクワオリンピックのボイコットという昔の悪夢も頭をよぎる。
そう言えばあれもすべては政治の独断だった。
先日、深夜にオリンピック開催に向けての討論番組があって
メダリストの有森裕子さんの意見が心に残った。
と言いつつうろ覚えなのだが・・・
開催の理由に選手やスポーツをあげるのはやめて欲しい。
あくまでも社会ファーストであって欲しい。
ちゃんとした社会があってその下にスポーツや文化がある。
オリンピックはその一つに過ぎないといと思う。
というような趣旨の意見だったが
聴いていてなるほどなと思わせる見識だった。
うちてしやまん、なにがなんでもオリンピックをなどと
かつてのインパール作戦を思わせる玉砕主義が
果たして健全な社会なのだろうか・・・
にこやかに走る聖火ランナーたちの姿の向こうに
歪んだ政治の野心が透けて見えるのである。