まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

潔し

2024年01月18日 | 日記

一年で最も寒い季節だそうである。
2月に入ると多少春の兆しも見えて来るが
1月の間は見るものすべての色彩が消え果てて
世の中から「生気」が失われてしまう。
このケヤキの木など一枚の葉もなく素っ裸である。

これでは植物ですらなく単なるオブジェである。
一木一草もない寒々ととした世界だ。
でも、私はこの時期の一見味気のない無色の世界が大好きだ。
余計なものをすべて削ぎ落落とした潔さ〈いさぎよさ〉とでも言うのか。
そんな人間本来の身軽さ軽やかさを感じてしまう。
人間は本来「無一物」の存在なはずである。
生きている間に様々な都合やしがらみで周囲をゴタゴタと飾り立て
自らを生きにくくしてしまったのが人間である。
余計なものをすべて削ぎ落してもっと自由になれればいいのに。
もっと自分らしい生き方も見えて来るのに・・・
などと思ってみる真冬の日である・



鎮魂と追悼

2024年01月17日 | 日記

ただいま午前3時半。
最近はいつもこの時間に目が覚める。
外はまだ真っ暗で窓を開けると厳しい底冷え。
何気なくカレンダーに目をやると1月17日だ。
そうか、またあの日がめぐって来たのか・・・
阪神淡路大震からもう29年の歳月が経つと言う。

神戸の東遊園地には大勢の人が集まり
今年も竹灯籠に鎮魂と追悼の灯りを点すのだろうか。
最近はすっかり観光化したらしいが
神戸の人たちが復興への願いをこめたルミナリエは健在だろうか。
それにしても自然災害とは何と非情であることか。
3・11の記憶すらいまだに色あせないのに
今回は予想だにしなかった正月元旦の能登半島大地震。
朝市通りのオバチャンたちの屈託のない笑顔も
輪島塗の職人さんたちの細やかな仕事ぶりも一瞬に灰塵と化し
今もって正しい被害の実情すらわからぬという。
それにしても我々は自然災害の前ではなんと無力であることか。
鎮魂と追悼の手を合わせるばかりである。



♬ 梅は咲いたか~

2024年01月13日 | 日記

昼休みにラジオを聴いていると
東京でも梅の花が咲き始めましたとアナウンサー。
年明けからの予期せぬバタバタ騒ぎで
季節の移ろいなどすっかり忘れてしまっていただけに
嬉しくてホッコリするような知らせでした。

そうかそうか、梅が咲き始めたか・・・
どう反応していいのかわからず思わず歌っていました。

  ♬ 梅は咲いたか サクラはまだかいなア~

都々逸だったか端唄だったか・・・
江戸の昔から季節を待ちわびる庶民の思い変わりません。
そうそう、梅と言えばあの俳句もありましたねえ。

      梅一輪 一輪ほどの 暖かさ

確か芭蕉の弟子・服部嵐雪の句でしたか・・・
寒さに凍えながら春の足音を待つ人の思いが伺えます。
天気予報では今日の東京は雪もちらつくとか。
暖かくして出かけようっと。


八代亜紀を悼む

2024年01月09日 | 日記

夢ウツツでテレビのニュースを見ていて驚いた。
歌手の八代亜紀さんが亡くなったという。
能登の地震の惨状に打ちひしがれる思いでいただけに
二重のショックどころではなかった。
え、どうしたの?そんな、まさか、ウソだろ?
思わず取り乱してしまっていた。

 ♬ 夜の新宿 裏通り 肩を寄せ合う 通り雨

自他ともに認める、ついでに隣近所も認める演歌ファンだった。
と言うか演歌しか歌ったことがない昔人間だった。
ただ、それぼど八代亜紀さんのファンだったというわけではない。
ド演歌というよりポップ調の演歌が好きだった。
そんなある日、ススタジオの隅で台本の打ち合わせをしていると
八代亜紀さん本人が歌番組の打ち合わせでスタッフとともに入って来て
簡単なカメラ合わせを始めたのだが
その際、彼女が大ヒット曲の「舟歌」を口ずさみ始めた。
全くのアカペラで調子を取るだけのワンフレーズだったのだが
その歌声にド肝を抜かれてしまったと言うのか仰天してしまったのだ。
独特のハスキーボイスでささやくように泣くように歌う・・・
たったワンフレーズだけなのに「背筋が震える」とはこのことかと思った。
まさに「演歌の女王」を体感し痛感した日だった。







分ー


祝・成人の日

2024年01月07日 | 日記

明日は全国的に「成人の日」だそうである。
縁もゆかりもないけれどめでたく新成人となる諸君に
勝手に祝意の酒を贈りたいと思う。
オジサンが成人を迎えたのはもう半世紀も前で
記憶も定かではないけれど、袖振り合うも他生の縁である。

さあ、グイと飲み干してくれ。
二十歳の日をともに祝おうではないか。
ついでに諸君たちに井伏鱒二の詩を贈りたいと思う。

  この杯を受けてくれ どうぞなみなみ注がせておくれ

  花に嵐のたとえもあるぞ 「サヨナラ」だけが人生だ

これは于武陵という人の漢詩を
作家の伏鱒二が独自の日本語に訳したものだが
心に響く素晴らしい詩だと思う。
「さよならだけが人生だ」は永遠の真実かも知れない。
人生には花も咲けば嵐の日もある。
うれしい出会いもあれば悲しい別れもある。
この世は「会者定離」の繰り返しで
出会った者やがては必ず別れる運命にある。
その「無常感」に耐えることが
人間を成長させ人生を豊かにするのではないかと
オジサンはいつも思うのである。