まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

無言館の夏

2018年08月15日 | 日記

長野県上田市の郊外にある「無言館」は
戦没画学生たちの遺作を集めた慰霊美術館である。
戦中の学徒出陣では数多くの学生たちが戦地で若い命を散らしたが
その中には美術学校の学生たちも多かった。

無言館という名前に心惹かれて
毎年、夏になると決まってこの美術館を訪ねたものだ。
まだプロではなく画学生だから
未熟な作品もあったが魂を揺さぶれるような絵ばかりで
行くたびに強烈な印象が残った。

真夏でもひんやりとした空気が漂う館内。
その静寂の中でモノ言わぬ「遺作」たちが私たちを迎えてくれる。
東京芸術大学を中心とした若き画学生たちの作品の数々。
享年27歳、享年23歳、享年29歳・・・
最年長でも30歳になったばかりで
その年齢を見ているだけで胸がつまる思いになる。
数多い自画像に混じって、女性を描いた作品が目立った。
母親、姉や妹、恋人、妻・・・
誰もが万感の思いで「愛する人たち」を絵筆に描きとめた。
芸術的な価値観とは全く別次元の
切羽詰まったような「真情」があふれている。
若者たちは愛する人たち顔や姿を
何度も瞼に焼き付けて
戦地へと赴いたのだろうか。
そう思うと不覚にも涙があふれそうになってしまった。



美術館に庭に「記憶のパレット」と名付けられた
大理石造りのモニュメントがある。
戦没画学生の名前とともに授業風景の写真が刷り込まれている。
これはデッサンの授業だろうか・・・
学生たちはそれぞれイーゼルを立て創作に励んでいる。
実に平和で満ち足りた時間が流れている。
何よりも絵が好きで、絵で身を立てることを夢見る若者も多かった筈なのに・・・
つくづく戦争とは残酷で無慈悲なものだと思う。


館長で美術評論家の窪島誠一郎氏の言葉である。
戦争の「憎しみ」は未だに消えていないような気がする。
違った意味での「憎しみ」が増幅されているような気がしてならない。
加害者や被害者という怨念をこえて
「一枚の絵を守る」ことの意味をあらためて考えたいと思う。

今日は73回目の終戦の日である。