まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

台風来りて沖縄知事選

2018年09月30日 | 日記

台風24号が北上中です。
すでに九州地方を暴風雨圏内に巻き込みながら
西日本から首都圏を伺う気配です。
天気予報がしきりに避難を呼びかけています。

たまの日曜日ですから
久しぶりに美術館にでも出かけようかと思っていたのですが
私も指示に従って早々と中止しました。(笑)
それはともかく今日は沖縄知事選の投票日ですねえ。
台風の影響は大丈夫でしょうか。
争点は言うまでもなく普天間基地の辺野古移設問題です。
と言うより沖縄の隷属状況の打破でしょうか。
米軍基地をめぐって何か事件や事故があるたびに
真相や原因がウヤムヤにされ
これまでに沖縄県人が煮え湯を飲まされたことが何度あったことか。
これはまさに「人間の尊厳」の問題ですよ。
それを根本的に解決するのは基地問題もさることながら
日米の「地位協定」の大幅な見直しこそが
何よりも喫緊に求められている問題だと私は思うのですが・・・
ひたすら臭いものにはフタをして
沖縄にアメリカへの奴隷状況を強いるのはいい加減にしないと。

選挙の状況は素人の私にはわかりません。
亡くなった翁長知事の後継を自認する玉城デニー氏と
政権与党が推す佐喜真淳氏との一騎打ちですが
辺野古移設反対の玉城氏に対して
経済や地域振興を全面に打ち出して戦う佐喜真氏。
例によって「札びら」で頬っぺたを張る自民党の戦略です。
しかし、ここに来てちょっとした異変も・・・
政権与党の公明党の支持者である創価学会員の一部が
「このままでは沖縄は大変なことになる」と
玉城氏支持で反旗を翻しているとか。
だいたい弱者の味方であり庶民の政党であった公明党が
いまの政権を支えていること自体がおかしく
もともとの結党の精神に戻って大いに反旗を掲げてほしいですねえ。
先日、引退した沖縄出身の安室奈美恵ちゃんも
引退間際にこう語っていました。

  <翁長知事のご遺志がこの先も受け継がれ
   多くの人に愛される沖縄であることを願っております>

沖縄の若者たちには絶大な影響力を持つ安室ちゃんだけに
なんとも心強いメッセージですよねえ。


天高く・・・

2018年09月29日 | 日記

空が高く見えます。
天高く馬肥ゆる秋などと申します。
子供の頃はそんなバカなことがあるかと思ったものですが
秋は空気が澄んで空が高く見えるのでしょうか。

いかにも秋らしい晴天ですが
南からはまたまた強烈な台風が接近中のようです。
今年はとにかく台風が多かったですねえ。
来るたびに激しく牙を剥いて深い爪痕を残していきます。
もう、いい加減にしてくれ!
怒鳴ってみてもこればっかりどうにもなりません。

   台風の 進路気になる 夜明けかな 〈杉作〉

まだ台風は遠いせいか
不気味な静けさにつつまれた夜明けでした。
今度は何事もなく台風一過となればいいのですが。

蜜柑も実りの季節を迎えています。
民家の庭先にこれだけの蜜柑が成っているは珍しいです。
実のなる木を植えると家運が上がるそうで
我が家の庭にもカキやウメ、ビワなどいろんな木がありましたが
思うように家運は上がらなかったようです。
貧乏神にたたられた長男坊のせいかも知れません。(笑)

蜜柑と言えば芥川龍之介の小説を思い出しますねえ。
舞台は確か横須賀かどこかだったか・・・
たまたま乗り合わせた奉公先に向かう少女が
見送りに来た弟たちに汽車の窓から蜜柑を投げるシーンが
何とも鮮烈でジーンと来たものです。
芥川の短編を読むようになったのはあれ以来かも知れません。
天高く、実りの秋ですねえ。


古いメモ帳が出てきました。

2018年09月28日 | 日記

探し物があって押入れの奥を整理していたら
古いカバンの中からメモ帳を発見!
メモ帳といってもハードカバー製の立派なものです。
ちょっとカビ臭く懐かしい匂いがしました。

確か30代か40代頃に使っていたメモ帳です。
存在自体をすっかり忘れていました。
そう言えば何かにつけて細かくメモを取っていた
好奇心旺盛な時代がありました。
頁を開くのがちょっと怖いようなワクワクするような
不思議な気分でした。

細かい文字でビッシリ書き込まれています。
書きなぐったのではなく私にしては結構丁寧な文字です。
何かの本の気に入った一節や、印象に残った言葉
寺山修司の短歌なんかもありますねえ。
新聞記事の切り抜きなんかも貼りつけてあって
メモ帳というより創作ノートのつもりだったのでしょうか。
そう言えばこの頃は初めての連ドラも体験して
創作意欲に燃えていた頃かも知れません。

へえ、自作の短歌なんかもありますねえ。
何かの折に俳句や短歌をひねってみるのもこの頃からの悪癖で
まさしく「下手の横好き」の典型でしょうか。
当時、好きだった柳ジョージの歌の歌詞があるかと思えば
マルクス主義の終焉などという論文調もあり
その頃に観た映画の感想や映画評も多かったですねえ。
ちょっと読むとそのレベルの高さ〈?〉はビックリするほどで
オレ本当にこんなこと考えていたのかなあ・・・
と別人を見るようでした。
誰しも若い頃は感性が鋭く思考が柔軟ですねえ。
ここに書かれたメモの一字一句が血となり肉となっている!
と言いたいところですが・・・
うーん、まったくなっていませんねえ。(笑)


醍醐寺の仏

2018年09月27日 | 日記

京都の醍醐寺をご存じですか?
かつて豊臣秀吉が「醍醐の花見」を開いた名刹です。
京都でも名だたる桜の名所ですねえ。
駅で展覧会のポスターを見て思わず足が止まってしまいました。

ご本尊の国宝・薬師如来坐像が
サントリー美術館にやって来ていると言うのです。
うーん、知りませんでした。
仏像好きの私としては見逃せない展覧会ですねえ。
実は大昔の学生時代に醍醐寺は何度か訪れたことがあり
確かその時にも薬師如来さんのご尊顔を拝した覚えがあるのですが
もうすっかり記憶の彼方です。
そうですか「真言密教の宇宙」ですか・・・
日本に真言密教を伝えたのは弘法大師こと空海ですが
この混迷の世の中にお大師さんの教えに心を傾けてみるのも
大いに意義があることかも知れません。
俵屋宗達の屏風絵も来るそうですからこれも見逃せません。
そうそう、醍醐寺と言えば
奥村土牛の桜の名画「醍醐」を思い出しますねえ。
土牛が10年の歳月をかけて描き上げた
ご神木の枝垂れ桜は骨太でたくましく実に美しい桜です。
待ちに待った芸術の秋です。
どうせならこの際「展覧会のハシゴ」と行きますか!(笑)


スーパーボランティア

2018年09月26日 | 日記

ボランティアというものをしたことがない。
ボランティアのような安いギャラで原稿を書いたことは
何度もあるが本当のボランティアは経験がない。
もちろん私にだって人様の役に立ちたいという無償の精神はある。

人呼んでスーパーボランティアである。
行方不明だった男の子をわずか20分で発見して
一躍、時の人となってしまった。
確かに快挙は快挙だがスーパーという表現はどうなのだろう?
ボランティアにスーパーの称号などあるのだろうか?
先日、そんなことを思いながらドキュメンタリーの「情熱大陸」を観たが
うーん、この人はやっぱり凄いと思ってしまった。
地元の大分では人気店だった魚屋を65歳の年にたたんで
世の中に恩返しをしたいと、今はボランティアにのみに専念する日々だ。
活動資金は年金収入だけ、お礼は一切受け取らず
節約を心がけ車中泊をしながら全国の被災地を回っている。
東日本大震災の際は南三陸町で500日にもわたって活動したという。
そんな彼のボランティア哲学を支えているのは
意外にも「世の中なるようにしかならない」という独特の諦観だった。
幼い頃に母親に死に別れて以来、塗炭の苦しみを味わって来た。
その不幸の中で「それならやるだけのことをやろう」と決心したと言う。
私ならとっくの昔にグレてしまっているのに
常にものごとを前向きにとらえる姿はやはりが非凡ではない。
被災地などのボランティアの現場でも
仲間は「尾畑が来ると現場が活気づく」と言い
昔から「神のようだ」とその存在感を絶賛する人は多かったと聞く。
その一方で死に別れた母への思慕は未だに尽きず
78歳の爺さんが「母に抱きしめて欲しい」とポロポロ泣くのである。
スーパーとまで尊敬と称賛をあびる彼の
ボランティアの原点が「母親」だったとは知らなかった。

私もそろそろボランティア年齢に近づいて来た。
世の中の人に恩返しをしたい気持ちはヤマヤマなのだが
そんな余裕が生まれる日は来るのだろうか。