常識について思うこと

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道具の目的化の危険性

2007年01月17日 | 人生

目的がある人は、それに必要な道具を欲するものです。

-ゴルフでいいスコアをとりたいと思うのであれば、いいクラブセットが欲しくなる。
-異性にモテたいと考えているのなら、おしゃれな服が欲しくなる。
-聴衆の心を揺さぶるような音楽を奏でたいと願えば、自ずといい楽器が欲しくなる。

それぞれの目的には、それに見合った道具を欲するようになります。しかし、大事なことは、道具はあくまでも道具であり、目的を達成させるために存在するだけであり、道具に対する欲求は本質ではないということです。

-いいクラブセットを揃えても、技術が未熟ではいいスコアはとれない。
-おしゃれな服を着ていても、服を着る人間に魅力がなければ異性を惹きつけることはできない。
-どんなに楽器が立派でも、音楽で感動させるだけの技量と心がなければ、聴衆は感動しない。

あくまでも大事なのは目的であり、道具は道具にしか過ぎない。道具を軽んじてよいということではありません。道具は道具であることをよく認識して、それに振り回されず「うまく使え」ということです。道具を揃えたことで慢心をしてしまうことがよくあります。道具を揃えたことで、目的を達成できるような気になってしまう。あるいは、そのことだけで満足感に浸ってしまい、本来の目的を忘れてしまうということがあるということです。つまり、道具の目的化です。

実は、この道具の目的化は、非常に危険な要素を含んでいます。よく言われる「悪魔の囁き」とか「悪魔の誘惑」というのは、まさにこうした道具の目的化をしてしまう人間の弱さをついた心理のことを指していると思われます。

目的を達成させるということは、当たり前のことですが大変難しいことです。いいゴルフでスコアを出すためには技術を磨かなければいけないし、モテるためには自分自身の魅力を高めていかなければいけないし、聴衆を感動させるにはそういう技量のある奏者にならなければなりません。目的となる事柄というのは、それだけ難しく、積み重ねが必要となるため、強い忍耐力が求められます。しかし、人間は弱い存在です。目的を達成させるまでの長い道のりに耐え切れず、何かにすがって助けを求めたくなったりします。道具は、本来の目的そのものではありませんが、目的達成のために必要であることはたしかです。そして、道具は目的よりも簡単に手に入ります。だから、ひとまず道具を目的として考えることで楽になり、その安楽な場所で満足することで、目的を達成したかのような錯覚に陥るのです。これが、道具の目的化であり、道具に心を奪われると結果的に本来の目的を達成できなくなってしまいます。このときの、「道具に心を奪われる」状態こそが、「悪魔の囁き」や「悪魔の誘惑」に負けたときであり、よく言われる「悪魔に魂を売る」ということであると考えるのです。

最高のクラブセットを授けよう。最高におしゃれな服をくれてやろう。最高級の楽器を与えよう。こうした道具の誘惑に負けて、心を奪われると、目的を忘れて道具のために生きるようになってしまいます。「道具があるから、目的は達成できる」と思い込もうとするわけです。そうすると、その人間は道具を使う人間ではなく、道具に使われる人間として生きていくことになってしまいます。

これが悪魔の本質でしょう。悪魔とは人間の弱みにつけこむものです。悪魔は目的を達成できずに苦しむ人間に対して、それに必要な道具を授けます。そして、それを目的だと思わせることで、人間をコントロールしていくのです。悪魔から道具を授かり、弱さを克服できない人間は「道具のおかげで、目的が達成できる」と思い込んでしまい、道具に振り回されながら生きていくことになるわけです。

いまひとつ、別の例を示します。
-人生を幸せに暮らしたいと思うから、人間誰しもお金が欲しくなる。

人生を幸せに暮らすために、お金や名誉が道具として必要な場合があります。そもそもの目的は幸せになることですが、道具であるお金そのものを目的化してしまっている人々が極めて多いのが、今の社会です。他の例と同様、道具であるお金を軽んじてよいということではありません。お金は大事です。幸せに暮らすための道具としては、けっして軽んじることはできません。しかし、それはあくまでも道具として、うまく使いさえすればよいのであって、けっしてお金を目的として生きていては、幸せな暮らしを送ることはできないということです。

幸せな暮らしとは何でしょうか。そもそも、それを考えることから苦痛が始まります。そして、それを知ってから、実践をしようとすると、求める幸せの分だけ、さらに大きな辛苦を伴った人生を歩んでいくことになってしまいます。(「生きがいと幸せ」参照)

だから、ひとまずお金を目的として楽になってしまおうという考え方が、物質社会に生きる我々人類の価値観に大きな影を落としてしまっているのです。

そもそもお金のためだけに生きていくということを割り切れるならば、誰でも大金持ちになることはできると思います。しかし、なかなかそうは割り切れないのが人間です。道具である「お金」を目的とせず、悪魔に魂を売ることなく生きていくのが、人間本来のあるべき姿であろうと思います。

悪魔の誘惑に負けずに強く生きる。

そのためには、ひとりひとりが確固たる人生の目的、大いなる目標をもたなければなりません。そして、その達成のために必要な道具に対しては、あくまでも道具であることを認識しつづけながら、うまく使いこなす強さをもっていかなければならないのです。この問題こそが、今の我々人類ひとりひとりに課せられた最重要テーマのひとつであると思います。

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