常識について思うこと

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インターネットのリアル化

2009年08月13日 | 産業

最近、「Twitter」がサイバー攻撃に晒されており、利用者の方々には、いろいろと不都合が出ているようです。「Twitter」に限らず、時折、政府関係のサイトに関しても問題となるサイバー攻撃ですが、これに対しては、既存のインターネットやコンピューターの仕組みについて、そろそろ根本から考えた方が良い時期だと思います。

ドッグイヤーという言葉が死語になり、時代が急速に移り変わるということが、あまりにも当たり前になりました。そんな中、10年近くもブロードバンドという方向軸で成長を続けてきたインターネットは一段落し、そのベクトルも少しずつ変わり始めたように思います。近年では、下位レイヤーにおける無線化への動きはもちろん、上位レイヤーにおいてもアプリケーションやサービスと連動していく等、インターネットはいくつか複数のベクトルに従って高度化がなされてきているように考えます。

ただそれでも、現在のインターネットは「無責任者勝ち」の仕組みであることは否めず、これを社会的インフラとして活用するには、まだまだ問題があると思われます。冒頭のサイバー攻撃については、インターネットのそうした「無責任者勝ち」の仕組みを、悪用されている一例のように思えてなりません。

インターネットのようなオープンシステムで、誰もが自由に参加できるような仕組みにおいては、「自己責任」というのが、大変重要であることは間違いありません。しかし、「無責任者勝ち」がまかり通るようなシステムの中で、一方的に「自己責任」ばかりを謳うのはフェアではないと思います。インターネットという仕組みを構築していく役目を担う人々は、こうした問題の本質を見抜き、これが社会インフラとして根付くために、そろそろ具体的なアクションを起こす必要があると考えます。

残念ながら、これまでの報道記事を含めて、こうした分野の専門家、あるいは成功しているとされる事業のトップの方々からのお話をお伺いする中では、この問題を根本から解決し得る仕組みを提唱されたり、そのための決定的なアイディアがあるように感じたことはありません。こうした問題については、様々なところで専門家や有識者同士の意見交換会のようなものが開かれています。そのような場を否定するわけではありませんが、私としては、そうした場を含めて、今のような議論ではとても解決策には辿り着かないよう思います。

またこれは、実業をしている方々に対しても、大いに言えることです。現在、ベンチャーを含む世界のトップ企業で、様々な画期的とされるサービスが提供されていますが、インターネットの根本的な問題を解決するためのポイントに関しては、ことごとく外しているように思えてなりません。

インターネットは、大変素晴らしい発明だと思います。インターネットの普及によって、サービスの質や利便性が飛躍的に向上するに留まらず、文字通り世界全体が大きく変貌を遂げつつあります。しかし、その素晴らしさばかりに目を奪われ、その本質的な問題を見抜き、根源から変えていくような視点を持たなければ、そこから先の新しいものは生まれてきません。これは、あらゆることに共通して言えることですが、あるものの素晴らしさを讃え、それを愛するときには、同時にその限界を知ることが非常に大切なのです。今、専門家であったり、一流とされる業界の方々は、インターネットの素晴らしさを知っているという片面については非常に長けていますが、もう片方の側面から、「何が問題の本質であり限界であるのか」を見据えるための目が塞がっているような気がしてならないのです。

そういう意味で、今日、インターネットや通信、コンピューターの専門家を自負し、またそれなりに影響力や社会的地位のある方々には、是非とも頑張っていただきたいと思います。

一方で、もし既出の方々では、本問題の解決が難しいということであれば、私は、私の考え方に賛同していただける、心通じる仲間たちと共に新しい仕組みを作っていくことになるでしょう。そうしたことから言うと、私自身、インターネットは必ず次の時代における社会インフラになると信じていますし、そこには一切の不安も感じていません。それを成し遂げるのが他人であるか、自分であるかを問わず、「無責任者勝ち」がまかり通るようなインターネットの根源的、かつ構造的問題はいずれ解消し、必ず新しいかたちで生まれ変わるだろうと思うのです。

今のインターネットは、まだまだお遊びのようなものです。無責任な人々が、こそこそ隠れて悪さを働けるような仕組みが、世界を大きく変えられるはずがありません。ましてや、社会インフラになり得るわけがありません。これからのインターネットにおいては、現実世界と同様、それぞれが自分の「顔」を有して、責任ある存在として行動をしていかなければならないのです。それこそが、これからの社会において求められる「インターネットのリアル(現実世界)化」でしょう(「責任を伴う「場」の提供」等参照)。そして、最終的にこうしたサイバーワールドのリアル化が、冒頭のようなサイバーテロの撲滅にも繋がってくるように思うのです。

うん?窮屈?

さぁ・・・、でも責任って当たり前のことだし、とても大切なことですよね。

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