簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

石部の金吉 (東海道歩き旅・近江の国)

2024-03-18 | Weblog
 石部を出るとやや北寄りに、右手奥に石部駅を見ながらゆるく曲がっ
て西に向かう。嘗てこの辺りは「西縄手」と呼ばれ、松並木の続く道で
あったが、今松は何所にもなく、町名に往時を偲ぶだけだ。



 国道1号線を越える手前で左に折れるのが本街道「上道」で、直進す
るのは「下道」だ。
ここは野洲川まで山塊が押し出したような狭隘の地である。
度々の氾濫で道が荒れ、山側に迂回道がつくられ途中には、茶屋(五軒
茶屋)も設けられた。



 しかし、上道は距離が倍となり評判が悪く、後には下道が整備され本
街道と成った。
今では、草津線と平行し進み、先で名神高速道路の高架を潜る。
横を流れる宮川は、ホタルが飛び交うらしい。



 「江州石部宿の駅西の入口の山にあり、新道三軒茶屋(五軒茶屋)と
いう村の山也、色白くやわらかにして塊をなす、刻めば白粉となる。
真の石灰のごとし」。

 石部宿天狗谷の西端一帯は昔「石部金山」と呼ばれ、昔は銅や亜鉛を
掘った鉱山跡だが、この辺りの事らしい。



 灰山は近世では白壁等の建築用、止血剤等の医薬用、紺屋細工用ある
いは防虫剤更に肥料として使用されたが、近世後期は高価な干鰯に変わ
って土壌改良に使用するようになる。

 ここでは石灰岩を産し、寛政5(1793)年頃より、内貴勘助が焼いて
石灰を製造していた事から通称「灰山」と呼ばれていた。



 良く融通のきかない堅物を、石と金を重ねて、人名めかして「石部金
吉」と言う。この四字熟語は江戸時代には既に使われていて、この「石
部金山」から転化した言葉とされている。 

 又一方で江戸時代の歌舞伎の台詞や浮世草子の中で使われた言葉との
説も有り、定説は無いらしい。(続)





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