簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

丸子の宿 (東海道歩き旅・駿河の国)

2020-04-08 | Weblog
 丸子交番の辺りで大きく右にカーブするとやがて日本橋から46里の
一里塚跡がある。
左手に丸子川が近づいてくるとその先が江戸方の見附跡だ。この辺り
から道幅が急に狭くなるのは、当時の姿を今に伝えるもののようだ。





 丸子の宿に入ってきた。
ここは江戸から数え20番目の宿場で、当時は鞠子とも書かれていたが、
今日とは違ってこちらを使われるケースの方が多かった様だ。
広重の描く「東海道五十三次」の画も、初刷りでは「丸子名物茶店」で
あったが、直ぐに変更された「鞠子名物茶店」の後刷りが出されている。





 町並みは東西350間(凡そ630m)、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠24
軒の内大規模なものが2軒、他に中16軒、小6軒で、家数は211軒、
人口は700人余りと言うから左程大きな宿場ではなさそうだ。

 しかし宿場としての規模は小さいが、ここは文治年間(1189年)に、
源頼朝に願い出て、許しを得て奉行が置かれ駅舎となったと伝えられ
ている地だ。これは東海道の成立より400年以上も前の事で、それだけ
の歴史有る宿駅と言う事になる。
恐らく宇都ノ谷峠の難所を控えていたことが関連していると思われる。





 今日旧街道は宿通りと呼ばれていて、街道沿いの所々には、江戸文字
で書かれた案内板も充実して立てられている。
道沿いの家屋は、間口が狭く奥行きの長い当時を思い起こす造りらしく、
その玄関先には、旧屋号を書いた看板も掲げられている。
しかし残念ながらこの宿場でも、街道筋には古い建物はほとんど残され
てはいなくて、真新しい住宅のみが建ち並んでいて、町並で往時を偲ぶ
ことは出来ない。(続)

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