思惟石

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『ある明治人の記録』 よし、教科書に載せよう

2022-09-05 21:16:14 | 日記
『ある明治人の記録 改版
会津人柴五郎の遺書』
石光真人(いしみつ まひと)

明治維新の際に朝敵として辛酸をなめた会津藩。
その会津藩士の子供で、明治維新時は10歳だった
柴(しば)五郎氏が老境に書いた回顧録です。

一般公開するつもりなく書かれた文章。
会津城落城に際して自刃した祖母・母・姉妹の菩提寺に
納めるために綴ったものを、
添削を頼まれた編者・石光真人氏が許可を経て筆写・編集したものです。

とはいえ、めちゃくちゃ美文!
10代に苦労をし、学びも不十分だったと言って
添削を頼んだらしいけれども!!
すごい美文!!

めちゃくちゃ読みやすい美文なので、ぜひ。

会津藩は、戊辰戦争後、下北半島南部の斗南(となみ)に
移封されました(って知らなかった)。
柴五郎少年も、戦犯として東京に護送され
下僕として働いたりして、さんざん苦労した後、
斗南・田名部(たなぶ)に父と兄とともに行く。
が、開拓しようもない荒地で食うに事欠く日々。

(ちなみに田名部は、小説『かたづの!』にも出る地名。
根城南部氏・清心尼の領地で、伯父に取り上げられた領地ね)

恩人の野田豁通(ひろみち)
(熊本細川藩・石光真民(いしみつ またみ)の末弟、
お察しの通り、本書の編者・石光真人の大叔父に当たる)
に出会い、青森県庁で給仕を勤めた後に、
単身上京。
再び下僕生活。
苦労しすぎ!!誰か助けて!!

公開するつもりはなかった手記なので、
この下僕扱いした家の主人も実名で出ています。
が、あまり悪様には書かないんですよね。
作者の、育ちの良さを感じます。
むしろ良くしてもらったことを覚えていて記していて、
すごい人だなと思う。
私だったら「没落していますように」と思いながら名前を検索するね!
いや、わざわざしなかったけど。

再び野田豁通の勧めで陸軍幼年学校を受験、
見事合格。
なんとか生活できるようになる。
良かった!!ありがとう野田さん!!

この頃、西南戦争が起こり、生き残った兄3名それぞれが
生活苦に喘いでいる中を工面して、九州出征する。
熊本人へ一矢報いたしの気持ちがひしひしと出ている場面。

西南戦争で西郷隆盛は討たれ、直後に大久保利通も暗殺された様子が、
会津人である柴五郎少年の視点から描かれている部分は、
歴史の多面性として広く読まれるべきではないかと思う。

けど、涙なしには読めないな。
兄たちが西征から戻ったところでスパッと手記が終わるあたりも、
会津藩と家族への鎮魂のために書かれた文書であることが伝わってきて、
感慨深い。

ちなみに柴五郎翁はこの後、義和団事件で活躍し、
陸軍大将まで栄達。
終戦の年1945年に87歳で亡くなる。

もっと広く読まれるべき一冊だな!

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