竜の郷あれこれ

龍ヶ崎市と周辺の名勝、観光地、行事、身の回りのことなどを写真と文書により紹介します。「気まぐれ写真日記」もご覧下さい。

取手花火

2006-08-15 08:04:08 | Weblog

 取手利根川大花火大会が正式な名称で、それも53回目である。利根川にかかる大利根橋・常磐線鉄橋のすぐ下流の河川敷の運動公園が会場で、堤防間が約1.2kmあり、かつ送電線などが全くない場所であるから、周囲の状況に拘束される事がないので、自由な配置や趣向で打ち上げ方式を決めることができる。

 本年の大会は、当初計画の12日(土)が午後からの雷雨で延期になり、14日(月)に開催された。昨年よりは観客の数は少なめであったと思われる。

 今年は、花火を撮影しようと思ったので定刻午後7時から45分前に到着した。打ち上げ地点の正面の堤防斜面には幅200mくらいにわたり有料の桟敷席が設けてあり、それ以外は自由であり、堤防1kmくらいの斜面のほぼ全面に2m四方くらいの青いシートが敷きつめてあり、お花見の木の下のようであるが、よく見るといたるところ隙間だらけで、1,2人であればどこにでも座れる。

 昨年、見に行った時は、着いた時には始まっていたので、通路上の窮屈なところで見ることになり写真をじっくりと撮れなかったが、単発の写真は割合きれいに撮れた。教訓は、花火は、一つずつは瞬時的には清楚であり、それが続けざまに上がるので残像効果で豪華に思える。単発の写真では瞬時を見るので物足りなく感じる。

 今回はスペースも時間も余裕があるので良い写真を期待していた。しかし、それも容易でないことがわかった。写真講座の先生のアドバイスに従って、シャッターを開いたままにして、開閉に相当することは遮蔽板をレンズの前で移動することにより行った。

 最初の内、10秒くらい感光しっぱなしにすると、花火の軌跡が真っ白になってしまう。よく花火の写真で全面花が一輪ずつ敷き詰めたようなものがあるが、なかなかそのようには撮れない。

 最近の花火は、単発は少なく、連発で上げられ、かつほぼ同じ場所で上げられるので、シャッターをオープンにしておいたのでは、爆発点が中心の一ヵ所だけに集まってそこだけが白くなる。とても全面には広がらない

牛久大仏

2006-08-07 12:12:04 | Weblog
 隣の牛久市に、世界一の大きさを誇る大仏像が造られたのは今から13年前である。建設が始まる前から龍ヶ崎に住んでいたので、どのようなものができるのか、非常な関心をもって、時々様子を見に行っていた。

 最初、敷地の一角に仏像の御足が置かれた。親指の厚みが人間の背丈ほどあり、完成後の全体の高さ120mは相当なものであることが予想された。

 始まれば1年程度で完成する予定であったが、何かと遅れて、結局3年程度かかった。写真のように、まず、下から骨格となる内部の鉄骨を組み上げ、そこに身体の6000に分けられたパーツを順にボルト・ナットで固定しつつ全体を組み立てていく方法がとられた。この工法は1886年に完成した米国の自由の女神(高さ46m、パーツ数214)と同じである。

 奈良の大仏や鎌倉の大仏は、現地で下から数回に分けて、輪切り状の鋳型の作成と鋳込みを繰り返しながら、下から上に向けて進め、最終的に頭頂部分を鋳込んで全体を完成させていたようである。奈良の大仏の場合には8段階に分けて2年かけて鋳込んだそうである。それに比べて現在の作り方は、建築技術といえる方法である。

 完成間近な日にその様子を撮影すべく行ってみた。頭部の一部と手先がまだ欠けていて、進捗状況を示すにはちょうど良い時期であったが、雲が垂れこめていて、上部が判然とせず、良い写真は撮れなかった。

 以前、ニューヨークにいた時、曇った日に、摩天楼の下部は鮮明に見えていても上部はガスの中に見え隠れしている様子を見たことがあるが、この大仏像にも同様な現象が見られ、大仏もかなり高いことが実感された。

 完成後は、わが家から片道7km位であるので、サイクリングを兼ねて度々訪れたり、遠方から親戚や友人が来ると案内する名所の一つになっている。

牛久シャトー

2006-08-04 07:38:18 | Weblog
 今から40年位前、東京に住んでいた頃、茨城といえば筑波山と水戸の偕楽園ぐらいしか知らなかった。そのような時、牛久といえばなぜか「牛久シャトー」という言葉が思い起こされた。

 それまでに行ったこともなければ、詳しく聞いたこともなく、なぜそれが出てくるのかわからなかった。言葉として覚えやすい響きを持っていたのかも知れない。

 茨城に移り住んで27年になるが、初めの頃、周辺を見渡して、忘年会候補に挙がるのが牛久シャトーであった。

 その後、創始者神谷伝兵衛の名前をとって、シャトーカミヤと呼ばれるようになっている。中には、ワインの貯蔵庫、展示室、各種のレストラン、結婚式場などがあり、多くの来訪者がある。

 2年前、シャトーカミヤのレストランで食事をした時、キャンペーンを兼ねたアンケートがあり、抽選でペアでの十和田湖へのツアーが当たった。

 6月下旬頃、台風が接近していたが、申し込んでいたので出かけた。往復とも新幹線のグリーン車で、八戸に着くとお迎えが来ており、八戸のシャトーカミヤに案内され、食事をご馳走になった。奥入瀬の渓流を楽しみ、子の口から遊覧船に乗り休屋に渡った。湖畔のホテルに宿泊し、散策や食事を楽しみ、一泊した後、小坂町、小岩井農場などに寄り、盛岡駅から帰った。

 このツアーは豪勢というほどではなかったし短かったが、結構内容もあり、楽しく過ごすことができた。この間、梅雨の谷間の好天で、現地は空いていて、申し訳ないようだった。

 奥入瀬の観光バスも、十和田湖の遊覧船も乗客は二人だけだった。二日目は台風の影響で雨を覚悟していたが、朝、一面の霧が徐々に消えて、陽光が差して湖のパノラマが出現した時は感激であった。その後ずっと晴れていたが、新幹線に乗ってから、途中で降雨に会ったが、下車時にはあがっていた。
 
 わが家では、このように降って涌いたような好運にはあまりお目にかからない。似たようで、少し小ぶりなのは、その後、カッパ寿司で日帰りツアー一人分が当たったが、都合によりそれには行かなかった。

撞舞(つくまい)

2006-08-03 17:00:55 | Weblog

 龍ヶ崎には、400年以上前から撞舞という行事が伝わっており、今では国選択の無形民俗文化財である。また、関東の3奇祭の一つといわれている。

 囃子方はいるが、登場人物は一人だけである。多くの人が参加して、数で祭りを盛り上げるものが多い中で、一人で演じるというのは珍しい。集まった人は見ているだけである。

 14米の撞柱と呼ばれる柱の上に舞男が雨蛙の面を付けて登り、弓を四方に放って雨乞いをする。舞男は命綱を全く付けておらず、上で逆立ちをしたり、綱を滑り降りたりと危険な技を次々と繰り広げる。だいたい柱のてっぺんの狭いところで立ち上がり、直立すること自体、非常に危険なことで、勇気のいることである。

 いつも、曜日に関係なく7月27日に行うが、予定では午後5時頃からと伝えられていたので、余裕を見て4時45分頃から待っていたが、実際に行われたのは6時半頃からの30分くらいであった。