竜の郷あれこれ

龍ヶ崎市と周辺の名勝、観光地、行事、身の回りのことなどを写真と文書により紹介します。「気まぐれ写真日記」もご覧下さい。

子どもの情景写真展

2011-03-27 09:39:43 | Weblog

  

  私達が写真の指導を受けている佐藤有先生は、龍ヶ崎市で、知っているだけで、四つの写真クラブの指導をしておられる。

  その先生が、東京四ッ谷のポートレートギャラリーで「昭和30年代子どもの情景」という写真展を開いておられるので、見せていただきに行ってきた。写真展では、当時の子ども達が遊ぶ情景を約50枚の写真で紹介していた。

  3月11日の東北関東大震災の影響が残っており、余震も続いていたので、交通機関などに心配があったが、特別な支障もなく、興味深く写真展を鑑賞することができた。

 

案内はがき

 

展示風景

 

 

展示写真の例 

  

鑑賞中の来場者と先生の説明 

 

 

   最近の小学生は、路上で会うと、「こんにちは」と元気に声をかけてくれる。しかし、写真展で見るような、力強い、自由闊達な遊びをしている情景を見ることはできない。

  高価な遊び道具を持たなくても、自分達で工夫して遊んでいた頃の風景が懐かしく思い起こされた。

  常磐線も、徐々に復旧し、日頃の生活も元に戻りつつある。あの頃の元気を忘れずに、日本の復興に努力したいと思う。

  写真展は、3月24日~30日の期間、東京四ッ谷駅近くの三栄通りにある日本写真会館(1階に書店があるビル)5階のポ^ートレートギャラリー(03-3351-3002)で開催されている。   

 

 

 

    

 

 

 


地震の影響

2011-03-14 11:39:13 | Weblog

  

  3月11日午後2時46分頃、三陸沖あたりを震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生した。震源は三陸沖から茨城沖までの幅200km、長さ500kmくらいに渡っており、約5分間続いたようである。

  たまたま自宅にいたが、ぐらぐらみしみしと続き、今にも家が壊されるのではないかと感じられ、長いこと曝されていた。柱が密集していて倒れるものが無いトイレで治まるのを待った。

  一段落したところで屋外に出ると近所の人々も出ており、驚きと恐怖心を分かち合い、ある程度の平静心を取り戻した。

  ブラウン管テレビが落ち、本棚の本が落ち、食器棚が開いて食器が落ちていくつか壊れていたが、甚大な被害は無さそうであった。また、ざっと見たところでは、家も構造上の大きな損傷は受けていないようであった。

  その後も15分に1回程度の頻度で余震が続いたが、本震に近いものは起こっていない。

  当時、ショッピングセンターでは我々の写真展が開かれていたが、地震後、店舗は直ちに休みとなり、写真展も終了となった。予定されていた残りの2日間も開かれることはなかった。写真展は、好調に始まったが、竜頭蛇尾に終わることになり、誠に残念であった。

  今回の地震で、三陸から茨城にかけての沿岸の地域は甚大な被害を受けた。予想をはるかに超える5~10mの津波に襲われ、波に洗われた地域では、大きなコンクリートビルを除いてほとんど全ての建物は破壊され、船は打ち上げられ、自動車は海に引き込まれ、1万人以上の人の消息が不明となっており、死者は数万人になると予想されている。

  近隣の被害は、瓦屋根の家で、瓦の一部、特に棟部分が壊れたこと、道に地割れが起こったこと、水道の供給本管が壊れて、2日ほど断水したことくらいで電気やガスなどの供給が絶たれることはなかった。

  しかし、東京電力の福島原子力が再起不可能と思われるような被害を受けたほか、太平洋沿岸の発電所が被害を受けて、発電能力が著しく低下し、計画停電を実施することになった。

地震が起こるまでは、写真展が開かれていた。

 

マグニチュード9.0の地震に伴う津波が太平洋沿岸を襲った(TV画面より)

沿岸部は水や家などの残骸に埋め尽くされた(TV画面より)

 

近隣の被害の一つは屋根瓦の損傷である。

 

取りあえず降雨対策として、シートを被せている。

 

スーパーマーケットの食品売り場は通常以上に来客が押しかけて、食品や日常用品を買い込んでいる。この日も、開店前から並んでいた。

 

断水が起こり、タンクやバケツを持った人々が給水所に集まっていた。

防火用井戸水か?、しばらく小学校の水道からは中水が出ていた。

住宅街には井戸を持つ家がある程度あり、それらの人々が供給を申し出ていた。

 

自衛隊が来て、災害支援活動として水を供給していた。

 

一部の道路では地割れをしていた。田園と台地の境の地質の境目であった。

 

歩道橋にかかる階段に注意表示があった。

 

階段の付け根が傷んでいた。

 

  大地震後、東日本の交通網は平常に比べるとほとんど機能しておらず、高速道路の多くも閉じられたままである。首都圏へ通う人達も自宅に待機しているようである。

  日本の産業や経済は完全にストップしている。いつになったら復旧できるかは全くわからない。日本がどこまで沈んでいくのかもわからない。

 

  その後、3月16日、小貝川の近くまで行ってみると、そちらの道も地割れしており、さらに小貝川の堤防にも、地割れがあった。

 

旧小貝川沿いの道が地割れしていた。

 

道路脇の畑にできた地割れ ・ 震源から100km以上離れたところでこんな力が!

 

 

  小貝川左岸の堤防の裾が地割れをしていた。全体的強度に直ちに影響するほどではないが、早めに手入れが必要である。

 

  また、佐貫駅の東口の龍宮通りには3kmくらいにわたって長い車列ができていた。ガソリンスタンドに並んでいた。その他のガソリンスタンドでは品切れのところも出ているようであった。 

  ここでは、ガソリンが売り切れてしまったようである。 

 

   翌17日朝、6時台に馴柴のあたりに行ってみると、前日、車の長い列が できていた通りに、早くも2km以上の列ができていた。車の利用が欠かせない人にとっては、ガソリンを何としても確保しなければならないことが、わかる光景であった。

  路上の車の窓が朝日で光っている。

 

 

 

 

 

 

 

  


3月の北竜台公園

2011-03-11 10:09:00 | Weblog

  

  季節も進み、春の気配も濃くなりつつあり、3月も中旬を迎えた。朝は愛犬のシロと近隣の遊歩道や公園に出かける。3月11日も、谷津道を通って、北竜台公園へ行った。

谷津の散歩道

 

北竜台公園の一角にある梅の木は満開

  

 

公園の一隅に石碑 ・ 龍が彫られた碑

 

公園の広場には犬と散歩の人達が懇談、交流

 

 

 

公園をまいて流れる小川

 

山本周五郎の小説にも出てくる「五瓣の椿」

 

わが家のシロ ・ 現在8歳であるが、元気が良い

 

  公園に散歩に来る人達も、家庭の都合、一日の行動スケジュールなどにより、来る時間が異なり、メンバーも異なる。上の写真は7時頃の人々、次のは8時頃の人々である。

 

 

 

    

 

   

 

 

 


写真展2011

2011-03-05 16:53:31 | Weblog

  

  いよいよ3月8日から、松葉写真クラブの第3回写真展が龍ヶ崎市のショッピングセンターサプラで開かれる。会員15名が、1年間に撮った写真のうち、一番良いと思われるものを出展する。

  7日に搬入して、展示し、8日(火)から13日(日)までの公開となる。天候にも恵まれ、大勢の人々が来てくれればと願っている。

 

案内のハガキ 

  

 

 

 3月7日  雪降りの中、 展示作業は会員皆で

 

展示完了、皆で点検

 

   あとは、明日、3月8日から大勢の人が来るのを待つばかり

 

8日、9日と出足は好調で、前回、前々回を上回りそう 

 

 

  3月9日までの期間中、沢山の人に来て貰えると思っていたが、11日午後の宮城県沖の大地震で、11日はその時間以降閉鎖され、その後の最後の2日間もショッピングセンターが断水で休みとなり、写真展を開くことができなくなった。

  誠に残念であったが、被害に遭われた人のことを考えると、写真展どころでなかったともいえる。

  結局、そんなことはあったが、総計661名の人に見て貰った。

 

 

 

   


近くの梅園

2011-03-02 15:01:28 | Weblog

  

  近隣の方々の庭先で、梅の花を見かけるようになったので、近くの梅園に出かけた。林に囲まれた谷津のようなところにあり、数十本の梅の木があった。

  そこの梅の木は、観賞用ではなく、実の収穫のためのようであり、木の育て方が観賞用とは違うようであるが、花そのものは美しく咲いており、見て楽しむにも十分であった。

  午前9時頃、雨上がりの晴天で、陽光の下で白梅、紅梅がちょうど満開で、青空に映えていた。

 

梅園風景

  

   

花は青空に映えていた

 

花は一つ一つしっかりしていた

  

 

一つずつの枝も青空に映えて

 

暗いところを背景にすると花も浮き上がって

 

近くの畑の隅に蕗の薹が出ていた

 

  暖かい日と寒い日が数日ずつ交互に来たりしていたが、もうかなり春に近づき、いろいろな花が咲く頃になりつつある。しかし、杉の花粉も多く飛び始めており、憂鬱でもある。