竜の郷あれこれ

龍ヶ崎市と周辺の名勝、観光地、行事、身の回りのことなどを写真と文書により紹介します。「気まぐれ写真日記」もご覧下さい。

コミュニテイバス

2010-05-19 17:40:57 | Weblog
  
  最近、多くの自治体でコミュニテイバスを運営している。通常の定期バスより少し小ぶりで、親しみやすいデザインの色づけがされている。

  わが龍ヶ崎市でも数年前から導入して、現在6路線で運行している。小ぶりであるから、細い道なども通り、ほぼ市の全域をカバーしている。

  マイカーを所有したり運転する人はどこへでも自由に行けるが、そのようなことができない人は、これまで公共交通機関である定期バスや鉄道によらなければならなかった。

  しかるに、これまでの公共交通機関は路線が限られ、新しい施設ができてもなかなか対応できず、遠回りをするか、タクシーによらねばならなかった。

  例えば、北竜台から市役所へ行く場合でも、まず佐貫駅に出て、関鉄などで行く必要があった。警察署や保健所へ行くにはさらにもう一路線追加しなければならなかった。

  コミュニテイバスによれば、一路線で直接、あるいは二路線を乗り継げばたいていのところへ行くことができる。また、料金も100円均一とどこまで乗っても同じでとても安い。

  常に満員とはいかないし、料金もや安いので、バスの運営には市の方から、かなり資金を投入していると思うが、これから増加する年寄り世代にはありがたいバスである。



市内を走るバス




停留所でストップ




田園地帯を行く




  

ムジカフエスタ2010

2010-05-17 09:56:16 | Weblog
  
  5月16日、つくば市のノバホールに県南のアマチュア音楽の32の合唱の団体が集い、日頃の練習の成果を発表しあった。

  龍ヶ崎市からも、コールヴァンヴェール、竜ヶ崎混声合唱団、女声合唱団「萌」、アンサンブルi、RLC竜ヶ崎(女声合唱団)の5団体が参加した。

  日頃の成果を発表しあい、他のグループの発表を聴くことにより、さらなる努力への動機づけにも成る貴重なイベントであった。


ツクバセンターにあるノバホール




舞台の全景と発表風景




RLC(竜ヶ崎女声合唱団)の発表風景



  日頃、一歩一歩前進する緊張と充実感を味わい、仲間と交流し、楽しむことは、生活に潤いを与え、とても良いことと思う。  







初夏の富士

2010-05-15 09:09:14 | Weblog
  
  龍ヶ崎市は、日本一の富士山から、直線距離で144kmくらいの距離にある。従って、富士山を見ることができるのは、条件が良い時で、通常は難しい。

  一般に、空気が澄んで、靄の立ちにくい冬に見えることが多く、それも日中よりも日没直後にシルエットとしての方がくっきりと見える。通常、夏は靄っていて見えにくく、まして日中はほとんど見えることはない。

  ところが、5月13日、良く晴れて少し冷たい風が吹く朝9時頃、水田地帯の先の木々の上に、白いものが見えた。まさかと思ったが、富士山であった。よくぞこの時期に見えたものだ。


木々の上に富士山が、
この時は良く見えた




  一枚、写真を撮り、もっと見通しが良くて裾まで見えるところで撮ろうと思って、小貝川の堤防に向かって行ったが、途中、寄り道をして30分くらいして堤防に上がった時には、山に少し雲がかかっていた。隠れるほどではないが、その後、くっきりと全容を表すことはなかった。


小貝川の堤防の上から30分後に見た時には、
雲が頂上付近に漂っていた




その後、場所を変えてしばらく待ったが、
雲は徐々に増していた




せっかくのチャンスに惜しいことをしたものである。もっと早ければ!!








針にかかった白鳥

2010-05-13 21:51:52 | Weblog
  
  白鳥は、龍ヶ崎市の「市の鳥」である。これは、龍ヶ崎市の牛久沼に数十羽の白鳥が住みついて、市民に愛されていることによるが、初めは、1963年に皇居のお濠のコブハクチョウのつがいを譲り受け、その後、市及び市民が面倒を見て、徐々に増えた結果であり、途中、いろいろと苦労があったようである。

  多くは、牛久沼の南東端の保護区付近にいて、普段もそこにいたり、給餌の時間に戻ったりしているようである。中には、牛久沼へ流れ込む支流にほぼ定住してしまっているものもいるようであり、他へ移り住んでいるものもいそうである。

  昨年あたりから、旧小貝川に一組の白鳥家族がいたが、父親が沼の中に放置された釣り糸に絡まり死んで、そのうちの子の一羽だけがそこに残り、付近の住民の面倒などにより無事に育った。

  成鳥になってから、時々、見当たらなくなる時があったが、今年になって、もう一羽増えて、つがいになっているようであった。成鳥になった白鳥がどこかから連れ合いを探してきたようであった。

  5月13日、その後どうなったかと、そこに立ち寄ると、数人が来ており、だいぶ様子が変わっていた。つがいになった二羽に卵が産まれ、現在温めているところであった。

  しかし、一羽の足にルアー針がかかっていた。

  大きな成鳥になっていたので、野犬や、蛇などにやられることはないと思っていたが、親鳥と同じに、釣り針にかかってしまったようである。心配していたことが再び起こった。


今は、2羽で仲良く




雌は卵を温めている




雄の脇腹に何かが

  


足を揚げると、水かきにルアー針がついていた




近所の人が心配そうに見ている



  そこにいた人に聞くと、市役所に連絡したところ、早速見に来たそうである。帰って市役所に電話して聞くと、翌日、その白鳥をつかまえて、ルアー針をはずす段取りになっている、とのことであった。

  その沼には、多くの釣り人が来て、芦などの水草に多くの針や糸が引っかけ放しになっているようであり、注意を喚起するには新聞を通じて知らせるのが良いと思われたので、朝日新聞に電話すると、取り上げて、早速翌日の朝刊に載せてくれた。

  
  翌日朝9時頃、現地へ行くと、7,8人の人が集まっていた。すでにその白鳥を捕まえて、ルアー針をはずし、ほとんど傷もなかったので、そのまま放したそうである。

  雌は、ちゃんと卵を温めていたが、針を外されたほうの白鳥は近辺にはいなかった。白鳥のためとはいえ、急に人に捕まえられたので、警戒心を起こしたものと思われた。

  いずれ、前のように人なつっこくなると思うが、沼にはまだ沢山の糸や針が残されていると思われるので、今後もまたかからないかと心配である。

  日頃、人になついていて、人が行くと、直ぐそばまで来て、パンなどをあげると、直接手から啄むほどで、人々に愛されている。これからも元気でいて貰いたいものである。


旧小貝川



  後日、5月18日、友人から聞くところに依ると、白鳥の卵はカラスに奪われてしまったそうである。動物の世界の厳しい生存競争を感じる。大きくてゆったりとした白鳥が、すばやくて知恵のあるカラスにしてやられたように思われる。残念なことだ。

  5月20日のテレビニュースによると、佐渡の野生化中の朱鷺の卵をやはりカラスに奪われてしまったそうである。親が2羽とも巣を離れた時に持っていかれたらしい。おっとりした大きな鳥は、カラスに狙われやすいようだ。これも残念な話しである。


  その後、6月11日に再び行ってみると、白鳥夫婦には4羽の子供がいた。カラスに奪われなかった卵が孵ったようである。




龍ヶ崎野球場・たつのこスタジアム

2010-05-07 18:59:11 | Weblog
  
  5月1日、龍ヶ崎野球場(たつのこスタジアム)のオープンため、記念式典に続いて、龍ヶ崎一高、流通経済大学の出る親善試合が行われた。この時は行かなかったのでその様子はわからない。

  5月5日には、こけら落としの大きな行事として、萩本欽一氏が監督をつとめる「茨城ゴールデンゴールズ」と埼玉の「一球幸魂(いっきゅうさいたま)」のクラブ対抗の試合が行われた。

  市内の写真クラブの希望者は、撮影に参加することができたので、場内のいろいろなところで穫ることができた。ここに紹介するのは、その時の一部である。

  球場はナイター設備、電光掲示板などがある本格的なもので、今後いろいろな本格的な試合に使われることが期待されている。


球場外観




入場門には1時間前から観客がつめかけた




龍ヶ崎名物の売店がずらり




試合前に龍神太鼓の奉納

  


選手・観客が見守る中、ヘリコプター飛来



ヘリコプターから始球式用の金色のボールが投下された
赤いパラシュートに結ばれて




中山市長の始球式
欽ちゃんが紹介
元大リーガーの伊良部ばりのフオームだが、ボールは山なり




バックネット裏の椅子席
入場券は完売で満員




両翼の芝生席もほぼ満員

  


タツノコ山でも球場の熱気が感じられるのか、
頂上にはいつもより大勢の人影が見える




シーソーゲームの熱戦が繰り広げられた




ゴールデンゴールズが得点すると
市内のフラダンスグループが飛び出して一踊り




接戦の末、ゴールデンゴールズが勝利
表彰式などが行われた



野球を楽しむと共に、
欽ちゃんのマイクパフォーマンスなどで、会場は大いに盛り上がった。



  ようやくわが龍ヶ崎市にも、「立派な野球場ができてよかった」、とも言えるが、「この不況時に、大事な予算を使って、このような球場を造る必要があったのか」、という意見もある。とにかく、造ってしまったからには、有効に活用する必要がある。

  

ショッピングセンター

2010-05-03 17:15:30 | Weblog
  
  龍ヶ崎ニュータウンが造成され、最初に住宅が売りに出されたのは1982年であり、その後、毎年、新たに販売があったが、予定したほどのペースに達せず、本格的な大規模ショッピングセンターが初めて完成・開業したのは、1999年3月であった。

  イト-ヨーカドーを中核とし、53の専門店からなるショッピングセンター・サプラである。このショッピングセンターができたのは、大規模店舗法が改正されて規制が緩められたことによる。しかし、これにより、客を取られて閉店に追い込まれた店もかなりあるようである。

  その後、ショッピングセンター間の熾烈な競争時代に入った。既にショッピングセンターがあって、購買力と供給力が釣り合っているところにも、さらに大きなショッピングセンターが進出してくる。前から消費者を掴んでいた店でも、販売競争に負けると閉店や廃業に追い込まれる。

  サプラもできて満11年を過ぎたが、消費者の行動範囲内にアウトレットモールや巨大ショッピングモールができて、ある程度は消費者を奪われている。近隣の消費者を逃さないために努力が必要とされる。

  ゴールデンウイーク中は、毎日、店内の広場でイベントが行われる。3日に立ち寄ってみると子供連れの家族が大勢集まっていた。間もなく「プリキュアショー」が始まった。子供達は歓声をあげて喜んでいた。消費者を奪われないためにいろいろな努力が必要とされるようである。

  プリキュアショーの会場の様子を写真によって紹介する。








ショッピングセンターが、競争相手に負けることなく、
いつまでも、繁栄して、存続することを期待している。