今年五月から近くの公民館で開かれている写真入門講座に出席している。この講座では、月に1回2時間の講義が8月までに5回催されることになっている。
写真の撮影は、高校時代頃から40年以上ずっと続けており、使ったカメラも10台位、写真に関する本も10冊は下らないと思う。しかし考えてみると、みっちりと勉強したことも、ちゃんと教わったこともない。
単に「写真が撮れさえすればいい」というのであれば、一応その程度はできるので、このような講座に出席する必要はないが、最近は、自己流で「撮っているだけ」になっている。正しい撮り方を基礎から教わり、もっとちゃんとした写真を撮りたいと考えたからである。
一緒に講義を受けている人は13~4名であるが、いずれも初めて写真を撮ろうとする人ではなく、これまでかなり撮っていると思われ、結構立派なカメラを持っている。写真の腕を1ランク上げようとする人達のようである。
最近のカメラは、自動露出、自動ピント合わせで、対象物にカメラを向けてシャッターを押しさえすれば、まあまあな写真が撮れる。従って、最近は、そのようなカメラしか使っていず、撮り方についてはほとんど考えていない。
今でも手動設定のカメラはある。しかし、自動カメラに慣れてしまうと、設定ミスや設定忘れをして、出来にばらつきが生じ、急いで大事な写真を失敗してしまうこともある。それでつい手動機を使うのが億劫になり、「ごく普通」の写真ならば、自動カメラの方が安心となる。
また、デジタルカメラに慣れると、フイルム代が不要になり、いつでも数十枚、数百枚の写真が撮れる。そのようなカメラの場合、「どんどん撮って、後で中からいいものを選べばよい」という考え方があり、最近の撮り方はそのようになっている。
講義において先生は、まずカメラの原理から始めて、レンズの特性や絞り、シャッター速度などが作品にどのように反映するのか、また、撮ろうとする写真のためにそれぞれの設定をどのようにすべきかなどを説明された。
また、「考えもせずにたくさん撮っても良い写真はできない」、「一枚一枚、大事に、考えて撮るようにせよ」ともいわれた。
今は、フイルムも安くなったが、昔、給料も安く、フイルムやDPEが高い時には、一枚ずつよく考えて慎重に撮っていた。
それが、最近では、とにかくどんどん撮る。何を撮ったのか、何のつもりで撮ったのかわからない写真も含まれている。忙しい旅行中の記録や記念のためならばそれもやむをえない。そのような中に、人に自慢できるような写真や、大きく引き延ばしたい写真はほとんど無い。
先生は、目的を持って撮影するためには、マニュアル設定で撮ることを勧める。露出に関しては、自動でも絞り優先で、ピント合わせは手動がよいとのことだ。もっともと思う。
また、カメラを手持ちで撮る場合には、液晶モニターを見ながら撮ることは避け、カメラを顔に付け両脇を固定しビューファインダーを覗きながら撮るべきであるとのことである。この点は手ぶれ写真を何枚も撮って実感しており、もっともと思う。
最近、カメラの自動調整能力をあてにし過ぎて、プログラムモードで設定値も気にせずに撮ることがほとんどであったが、教えに従って、レンズにフードを付け、三脚にセットし、絞り優先で、リモートスイッチで撮ってみた。全体にピントが鋭く合い、締まった感じの写真になった。撮り方により異なった写真になることを再認識させられた。
まだ2回しか受けていないが、教訓の多い講座であり、先生や関係者に感謝している。
3、4回目の講義では、フレーミング、主となるものとそれを生かす副の配置の考え方、光の使い方など、撮影者並びに鑑賞者が感動するような写真を撮るための心構えを説明された。
さらにその後、受講生の作品に講評をいただいたり、先生の作品を見せていただいている。
受講生の作品に関しては、それぞれ種々の観点から指摘と指導をいただいた。それぞれ説得力のあるご意見であった。
先生の作品は近隣の木々、建造物、公園などを撮影したものであるが、たいして気にも止めていなかった場所の写真が、どうしてあのように美しく撮れるのかと思うようであった。構図、光などを考え、それを生かすように撮れば、何となくシャッターを押したのとは全く異なる写真になることを教えられた。
8月26日に最終回の講義が行われ、受講者13人は全員、松葉公民館で開かれる文化祭に作品を一点ずつ展示することになった。これまで撮った写真は沢山あるが、一点となると選ぶのは難しい。