竜の郷あれこれ

龍ヶ崎市と周辺の名勝、観光地、行事、身の回りのことなどを写真と文書により紹介します。「気まぐれ写真日記」もご覧下さい。

写真入門講座

2006-06-27 19:27:07 | Weblog

 今年五月から近くの公民館で開かれている写真入門講座に出席している。この講座では、月に1回2時間の講義が8月までに5回催されることになっている。

 写真の撮影は、高校時代頃から40年以上ずっと続けており、使ったカメラも10台位、写真に関する本も10冊は下らないと思う。しかし考えてみると、みっちりと勉強したことも、ちゃんと教わったこともない。

 単に「写真が撮れさえすればいい」というのであれば、一応その程度はできるので、このような講座に出席する必要はないが、最近は、自己流で「撮っているだけ」になっている。正しい撮り方を基礎から教わり、もっとちゃんとした写真を撮りたいと考えたからである。

 一緒に講義を受けている人は13~4名であるが、いずれも初めて写真を撮ろうとする人ではなく、これまでかなり撮っていると思われ、結構立派なカメラを持っている。写真の腕を1ランク上げようとする人達のようである。

 最近のカメラは、自動露出、自動ピント合わせで、対象物にカメラを向けてシャッターを押しさえすれば、まあまあな写真が撮れる。従って、最近は、そのようなカメラしか使っていず、撮り方についてはほとんど考えていない。

 今でも手動設定のカメラはある。しかし、自動カメラに慣れてしまうと、設定ミスや設定忘れをして、出来にばらつきが生じ、急いで大事な写真を失敗してしまうこともある。それでつい手動機を使うのが億劫になり、「ごく普通」の写真ならば、自動カメラの方が安心となる。

 また、デジタルカメラに慣れると、フイルム代が不要になり、いつでも数十枚、数百枚の写真が撮れる。そのようなカメラの場合、「どんどん撮って、後で中からいいものを選べばよい」という考え方があり、最近の撮り方はそのようになっている。

 講義において先生は、まずカメラの原理から始めて、レンズの特性や絞り、シャッター速度などが作品にどのように反映するのか、また、撮ろうとする写真のためにそれぞれの設定をどのようにすべきかなどを説明された。

 また、「考えもせずにたくさん撮っても良い写真はできない」、「一枚一枚、大事に、考えて撮るようにせよ」ともいわれた。

 今は、フイルムも安くなったが、昔、給料も安く、フイルムやDPEが高い時には、一枚ずつよく考えて慎重に撮っていた。

 それが、最近では、とにかくどんどん撮る。何を撮ったのか、何のつもりで撮ったのかわからない写真も含まれている。忙しい旅行中の記録や記念のためならばそれもやむをえない。そのような中に、人に自慢できるような写真や、大きく引き延ばしたい写真はほとんど無い。

 先生は、目的を持って撮影するためには、マニュアル設定で撮ることを勧める。露出に関しては、自動でも絞り優先で、ピント合わせは手動がよいとのことだ。もっともと思う。

 また、カメラを手持ちで撮る場合には、液晶モニターを見ながら撮ることは避け、カメラを顔に付け両脇を固定しビューファインダーを覗きながら撮るべきであるとのことである。この点は手ぶれ写真を何枚も撮って実感しており、もっともと思う。

 最近、カメラの自動調整能力をあてにし過ぎて、プログラムモードで設定値も気にせずに撮ることがほとんどであったが、教えに従って、レンズにフードを付け、三脚にセットし、絞り優先で、リモートスイッチで撮ってみた。全体にピントが鋭く合い、締まった感じの写真になった。撮り方により異なった写真になることを再認識させられた。

 まだ2回しか受けていないが、教訓の多い講座であり、先生や関係者に感謝している。
 
 3、4回目の講義では、フレーミング、主となるものとそれを生かす副の配置の考え方、光の使い方など、撮影者並びに鑑賞者が感動するような写真を撮るための心構えを説明された。

 さらにその後、受講生の作品に講評をいただいたり、先生の作品を見せていただいている。
 受講生の作品に関しては、それぞれ種々の観点から指摘と指導をいただいた。それぞれ説得力のあるご意見であった。

 先生の作品は近隣の木々、建造物、公園などを撮影したものであるが、たいして気にも止めていなかった場所の写真が、どうしてあのように美しく撮れるのかと思うようであった。構図、光などを考え、それを生かすように撮れば、何となくシャッターを押したのとは全く異なる写真になることを教えられた。

 8月26日に最終回の講義が行われ、受講者13人は全員、松葉公民館で開かれる文化祭に作品を一点ずつ展示することになった。これまで撮った写真は沢山あるが、一点となると選ぶのは難しい。


網茸(あみたけ)

2006-06-27 17:30:46 | Weblog

 私は中学生の頃、長野県の田舎で秋になると近くの山に、友達とよくキノコを採りにいったものである。 雨の降った2~3日後あたりがちょうど採り頃であった。

 キノコにも食用になるものから毒キノコまで多種にわたっており、また、周りにキノコに詳しい人もいなかったので、わかりやすい安全なキノコだけを採ってきていた。それらのうちの代表的なものが網茸である。

 網茸の特徴は、傘がぬめりのある黄褐色あるいは黄~茶色で、傘の裏側が網目状になっていることである。育ち具合によっても違うが、これまでの記憶では傘の直径は7~12cm位のものがほとんどであった。滑らかで、なめ茸のような舌触りであるが、もっと柔らかで大きく、なかなかおいしい。色や大きさに多少の相違はあっても、この種のキノコで食中毒になったことはない。

 ところで今から30年ほど前、仕事の関係でニューヨークの郊外で暮らしたことがある。9月頃林の中で、網茸と思われる数本のキノコを見つけた。多少黄色がかっていたが、特徴はほぼ網茸と同じであった。数人の日本人に聞いたが、食べたこともないしわからないという。アメリカ人に聞くと、やはり食べたこともなくてわからないとのことであるが、代わりにキノコの本を貸してくれた。その本に当てはまるキノコを見つけることはできなかった。しかし、ある程度は検討したので、思い切って食べてみた。味も網茸と同じで、食中毒にもならなかった。地球の裏側にも同じようなキノコはあるものだ。

 ついでながら、その林にはよくワラビが生えていた。欧米人は食べないので、採ろうと思えばいくらでも採れた。ゆでて醤油をかけるとお浸しとしてご飯の良いおかずになり、日本食を食べているような気分になれた。

 ところが昨日、6月26日、近くの遊歩道のそばの林の中に大きなキノコを見つけた。傘は15~22cm位もあり、一見、網茸とは別種のようであるが、大きさを除けば、色も網目も網茸とほぼ同じである。この種のキノコは、普通は秋口から出てくるもので、6月とは少し早い。また、傘の表面も、今まで見たこともない斑状のものもある。そこでまだ食してみる気にはなれない。

 しかし、今年は、本格的な梅雨で、湿気も多く、キノコの発芽の条件が揃ったのかも知れない。また、夏の暑い日射に曝されて傘の表面が斑状に破れたものと考えられる。

 遊歩道からよく見えるところにあるが、誰も採っていったようには見えないし、まだ私も試食していない。それがもっと小さめであれば、キノコらしいが、グロテスクなほど大きいので、食べる気がわいてこない。恐らく食べられると思うのだが、、、、。誰か詳しそうな人に聞いてからにしよう。昔とは異なり、少し抵抗力や免疫力が落ちているかも知れないから。

 数日後、通りかかると10本ほどあった網茸らしいキノコはすべてなくなっていた。いっしょに生えていた毒キノコらしいものは残っていたので、網茸らしいキノコは食用となると知っていて採って行ったのかもしれない。残念だったような気もする・・・・。

 その後もその網茸らしいキノコを見かけることがあり、いろいろと調べてもいた。しかし、記憶よりも大きいことを除いて、それが食用であることを否定するようなものは何も出てこなかった。また、自宅のそばで出る大きなキノコが食用であることを確認したくて、思い切って試しに食べてみることにした。

 8月1日、採ってきて澄まし汁に入れて食べてみた。数十年ぶりに食べたが、記憶にあるほど香りはなく、疑心暗鬼な気持ちがあるせいかあまりうまくもなかった。試し食いであるから、笠半分くらいしか食べなかったが、2~3時間は中毒が出ないかと思って落ち着かなかった。幸い何事もなく、やはりあれは網茸であったかと思った。

 これからは、安心して、味わって食べられそうだ。 

あやめ祭り

2006-06-26 16:37:51 | Weblog

 6月は「アヤメ」の季節である。わが家から車で45分くらいのところに水郷と呼ばれる地域があり、この季節、「アヤメ祭り」が行われる。県境をまたいでいるので、二つに分けて呼ばれる。一方は茨城県の潮来であり、もう一方は千葉県の佐原である。利根川流域の湿原地帯にあり、いずれも昔から水運の中継地や神社への参拝路などとしてにぎわったところである。

 潮来には、前川に沿ってあやめ園があり、また、前川十二橋巡りおよび常陸利根川を越えた佐原側の加藤洲十二橋巡りへの船の基地となっている。あやめに関しては佐原より古くから知られていたと思われる。

 佐原側のあやめの中心は、水郷佐原水生植物園である。こちらは沼沢地帯に約40年前頃造成されたもので、敷地や周りの駐車場がゆったりとしており、車で行く場合には都合が良い。「佐原」は、佐原ばやし、伊能忠敬などで、古くから有名であり、50年位前から「佐原市」としてこの地方の中心地となっていたが、本年3月から周辺の香取郡の町村と合併して「香取市」となり、佐原市という名称はなくなった。ここには古来から軍神として尊崇された香取神宮があり、新市域を包括する地名でもあったことから、それに因んで命名したものと思われる。

 今回、6月12日に水郷佐原水生植物園に行って来た。年により気候がずれて花の最盛期が異なるので、これまで時期を誤ることがしばしばあったが、今回は現地に問い合わせた上で行ったので、最盛期の花を楽しむことができた。
 ここはハナショウブ150万株と東洋一の規模だそうである。今、主として咲いているのは、そのハナショウブである。

 ところで、いつもこの時期、似た花の名前で混乱する。ショウブ、ハナショウブ、アヤメ、カキツバタなどである。ショウブもアヤメも辞書で引くと「菖蒲」という漢字が出てくる。つい、同じものであったのかと思ってしまうが、どうも違うらしい。また、ショウブもちゃんと花が咲くので、ハナショウブとも混乱する。

 「ショウブ」はサトイモ科で、「アヤメ」や「ハナショウブ」はアヤメ科であり、別種だそうである。同じアヤメ科でも「アヤメ」には、やや乾燥した土壌が適しており、早めの5月頃に花をつけ、「ハナショウブ」は、白、桃、紫色の美花をつけ、湿地を好み、遅めの5月下旬から6月頃に咲く。なお、「カキツバタ」もアヤメ科である。

 水郷地帯では「アヤメ祭り」を例年5月下旬から6月に開いているようであるが、そのため「アヤメ祭り」の際の主役は、ハナショウブのようである。アヤメもハナショウブもアヤメ科であるから、総称して「アヤメ祭り」と呼ぶのはごく自然である。

花の季節

2006-06-23 14:30:50 | Weblog

 6月は、関東地方では梅雨の季節であるが、紫陽花やハナショウブなど多くの花の季節でもある。

 近隣では、水郷の潮来や佐原に沢山のハナショウブを見ることができるが、これは水気を必要とするので、一般の家庭では少し手間がかかる。わが家の場合、家の周りに植えて、他の植木と同様に、適当に肥料や水を与えていたが、年とともに株が小さくなって花を付けなくなり、しまいになくなってしまった。

 一方、紫陽花は比較的手間がかからないので、近隣の道路や住宅の周りに多く見ることができる。わが家にも10株以上あり、日陰にも比較的強いので、家の北側や両脇の通路に沿って植えてある。6月下旬の今、花を咲き誇っているが(上の写真はその花である)、悩みの種は花に比べて株が大きくなることで、枝や葉が大きく広がり、通路を塞いでしまう。花屋やホームセンターなどにある鉢植えの紫陽花は、小さな幹の上に立派な花を咲かせているのに、大違いである。

 自宅でもあのようにできれば狭い宅地を占領されずに済むのにと思う。咲き終わった時に、根本近くからばっさりと切ってしまうとすっきりするが、翌年ほとんど花を付けなくなってしまう。花芽を絶やさないためには早めに切っておかなければとのことであるが、切りさえすればよいわけではなさそうだ。

 小さな株のまま、花を毎年付けさせることは容易ではなさそうだ。

小貝川利根川サイクリング

2006-06-17 18:30:21 | Weblog

 本年4月に利根川に新しい橋が開通した。茨城県利根町と千葉県栄町を結ぶ橋で、栄橋と長豊橋の中間にある。多くの応募の中から「若草大橋」と命名された。橋の名は地名や川の名に基づくのが普通と思っていたが、河川は県境等となっている場合が多く、両側の地名を反映することが難しい場合には、今回のような名が無難かも知れない。

 今回、サイクリングを兼ねて、小貝川から利根川沿いに堤防上のサイクリングロードを通り若草大橋を見に行った。

 近年、堤防の上に2~3m幅の舗装道路が造られるようになった。通常は、サイクリングのできる遊歩道となっており、監視用や増水時には緊急車用となる。道は周りより10m位高いところを通っているため、両側の眺めがよく、通常は自動車も通らないので安心して、快適なサイクリングが楽しめる。

 以前、堤防上の道が舗装されていなくて小石や砂利でごろごろしていた頃、市役所に、散歩、ジョギング、サイクリングなどに適した舗装した道に改善することを提案したことがあったが、2~3年後にできあがった道は、単なる舗装よりはかなりしっかりしており、市が提案を取り入れたのではなく、管理・防災を担当する国土交通省あたりが整備したものと思われる。

 わが家からは、まず小貝川にかかる高須橋の近くで堤防の上に出て、左岸のサイクリングロードを下流に向けて進む。間もなく豊田堰を通り過ぎ、その下流の戸田井橋を過ぎると、小貝川は利根川に合流する。利根川は小貝川の7~8倍の川幅があり水量もはるかに多い。さらにそこから1kmくらい下ったところに栄橋がある。

 このあたりは両側から台地が迫り、川幅が狭められている。そのため利根川の増水時には水位が上がり、いつもそこへ流れ込んでいる小貝川の水が流れ込めなくなり、逆に利根川から小貝川に逆流して、小貝川の水位が上がってそこの堤防を脅かす。25年前の高須橋(合流点から4km位上流)近くの左岸の決壊もそのようにして起こり、龍ヶ崎市などに多大な被害を及ぼした。

 元々は、利根川は東京湾に流れ込んでいたが、江戸が頻繁に洪水に見舞われるのでそれを避けるため、約350年前頃、利根川の流れを鬼怒川と合わせて銚子に至る現在のルートに変えた。利根川上流の増水の影響は新しいルートに移され、その後も何度も改修工事が行われて現在に至っているが、まだまだ問題はある。

 約半世紀前、小貝川から利根川への合流点を狭窄地点の上流側から下流側に付け替える計画が立てられた。そうすれば逆流による氾濫を防げるとの考えであった。そのためには小貝川の流路を台地の裏側の田園地帯を通すように移動させねばならなかった。しかしそれには住民の猛反対があり、計画は実現しなかった。移設計画は中止され、堤防を強くする方針に変更され、現在は幅の広いスーパー堤防化が進められている。

 若草大橋は、栄橋から5kmくらい下ったところにある。名前にふさわしく若草色をしている。栄橋から長豊橋までの15kmくらいには橋がなく、二つの橋はラッシュ時には大変な渋滞を起こしていたようで、それを回避するために中間に新しい橋が造られた。ここは有料で普通車片道200円である。有料のためか、週末の朝8時頃だったためか、がら空きで、時々車が通る程度であった。もう一つの車の少ない理由は、取り付け道路の整備が不十分なこともある。最終計画は4車線のようであるが、取りあえずは2車線で運行している。

 このあたりの利根川は湾曲しているので堤防上の方が直線状の一般道路より長く、堤防上の往路は18kmで一般道路の帰路は16km、往復34km程度で、写真を撮りながらで約3時間を要した。

 この間、体調は大丈夫であったが、帰宅後2~3日は腰痛に悩まされた。同じ姿勢で腰に負担をかけ続けることは良くないようである。約1年前、つくばエクスプレスが開通した時にやはり自転車で見にいったが、その時は何回か接骨院へ通うことになった。

 以前東京との間をサイクリングで往復した際に通った国道6号は、片側2車線であるが、車道は自動車でほぼいっぱいで、自転車は圧迫されながら走らざるをえず、歩道は、歩行者優先であり、起伏が多くて、スピード調整や体重の移動などで疲れる。結局、大部分は車道の端を通り、右折レーンなどがあって窮屈になる交差点付近では歩道を走ることになった。かなりストレスがたまった。

 それに比べると今回の堤防上の道は、時々ジョギングやウオーキングの人に会う程度で、極めて快適であった。