竜の郷あれこれ

龍ヶ崎市と周辺の名勝、観光地、行事、身の回りのことなどを写真と文書により紹介します。「気まぐれ写真日記」もご覧下さい。

餅つき

2006-12-25 09:54:51 | Weblog

  わが国にはいぜんとして、正月に雑煮や汁粉を食べる習慣が根強く残っている。
  最近では、餅はスーパーマーケットなどで容易に購入できるが、餅つきは師走の行事として、家庭や、グループでもかなり行われている。

  12月24日に近隣の9家族が一緒に餅つきを実施した。


  午前9時半頃から集まり、庭の一隅に毎年設置するカマドに釜を架けて水を入れ、剪定した庭木の枝や廃棄した家具を解体して出た板きれなどを薪として火をつける。涌いた湯で石臼や杵を掃除したり温め、釜の上に研いだ米を入れた蒸し器を二段に重ね、釜から出た蒸気で蒸し上げる。

  2時間ほどかけて、10臼(1臼3kg)を交代でつきあげた。

  このグループでの餅つきは皆が団地に越してきた20年位前から続いており、いろいろな事情で参加する人の出入りはあったが、核になる人の努力とまわりの人の協力でずっと続いている。

  しかし、団地ができた頃30代、40代だった人も年を重ね、50~60代になってきた。子供達も育ったが、独立して家を出て行く傾向があり、そのため、平均年齢も着実に上がり、餅つきへの参加者の年齢も上がり、餅をつくこともきつくなってきた。

  そのため、一人で一臼つきあげるのが難しくなり、今では2~3人のリレーで乗り切るようになった。

  この度の餅つき日は好天で、小春日和で風もなく、餅つきは昼頃までに完了した。

  午後からは、できたての餅で作ったお雑煮を食べ、各家庭から持ち寄った手製の料理をつまみ、日本酒、ビール、焼酎などを飲んでくつろいだ。

  夜は、皆で近くのカラオケルームへ行き、「歌い放題、飲み放題、時間無制限」のコースで、約6時間にわたり、交代でそれぞれの得意な歌を歌いまくった。それでもまだ、歌い足りない人もいたが、翌日出勤の人もいたので、日の変わり目を前に終了し解散した。

  年の瀬の楽しい一日であった。

旧市街

2006-12-03 19:21:29 | Weblog
  最近、都市の中心部の低迷が憂えられている。これは、郊外に大型店舗、あるいは大型モールが新設され客をそちらに奪われていることによる。

  このような傾向は米国から始まったと思われるが、我が国でもマイカーが普及すると、広い駐車スペースがあって、渋滞の恐れがない郊外の大型店に車で買い物に行き、多くの選択肢から選ぶことができ、また、食品の場合には、まとめ買いをして冷蔵庫や冷凍庫に保存する生活様式が浸透してきたことによる。

  旧市街では、道路の拡張や駐車場の確保もままならず、一店あたりの規模も小さくて、それぞれの選択肢にも限りがあり、多くの商品を並べる郊外の店舗との競争に敗れてしまう。各市でも、市街地の再開発により、閉塞状況を打開するべく努力しているが、なかなか難しい。

  旧市街には、種々の資産や文化の蓄積や伝統があり、また、社会のつながりがあり、新しいものにはない良さがある。

  わが龍ヶ崎市でも、そのようなものの一つとして、いくつかの祭りがあり、通常、11月23日の勤労感謝の日には、「いがっぺ祭り」が行われる。ここに示す写真は、祭りにおけるいくつかの場面である。

  ヨーロッパでは、旧市街を大事にしているような気がする。昔から石材や煉瓦で家を造ることが多く、地震が少ないので、ちゃんと手入れをしていれば家の寿命は数百年に及ぶので、家および街は大事に使って長持ちさせるものであるという考えが浸透しているようである。

  ドイツやオーストリアなどにはアルトシュタット、スペインにはユダヤ人街などと呼ばれる古くからの街が保存され、由緒ある場所として観光の目玉とか世界遺産になっている。

  わが龍ヶ崎市も、古くから常陸の国の南部の中心都市として栄えてきたところであり、由緒ある神社仏閣、史跡、建造物などもあり、それらを中心とする旧市街と新興住宅地、大規模工業団地などを協調的に発展せせることにより、活気のある住みやすい街としていく必要があると考えられる。