竜の郷あれこれ

龍ヶ崎市と周辺の名勝、観光地、行事、身の回りのことなどを写真と文書により紹介します。「気まぐれ写真日記」もご覧下さい。

牛久沼

2006-07-14 15:13:34 | Weblog

 牛久沼の見所の一つは白鳥である。元は皇居のお堀からつがいで譲り受けたもので、餌付けをして面倒を見て、曲折はあったが、数十羽まで増えたそうである。定住性のコブハクチョウでちゃんと餌付けをしているので他に行ってしまうこともなく住みついている。市民にも愛され市の鳥にも選ばれている。市内を通る道路にも白鳥通りという名が付けられている。

 ところで、龍ヶ崎は昔から、茨城県南部の中心的役割を担ってきたが、このところ近隣との相対的重みが変化したり、何かと誤って理解されていることがある。

 一つには、龍ヶ崎市は常磐線佐貫駅からローカル線に乗って行った先にあり、交通の便はイマイチであると思っている人がいることである。そういう人は、県外や「茨城都民」といわれる人に多い。地図帳によれば、龍ヶ崎線の先端あたりに龍ヶ崎市と書いてあるので、そう解釈してしまうようである。交通の便が良いことは大事なことであり、市のイメージにもつながるので、龍ヶ崎市の中を常磐本線が通っていることを認識して貰う必要がある。

 もう一つの誤解は、牛久沼は牛久市にあると思っている人が意外に多いことである。私自身も27年前に東京からつくば市に移住して5年ほどそこで暮らしたが、数年後に牛久沼畔の料亭で忘年会をするまで、牛久沼もその料亭も龍ヶ崎市にあるとは知らなかった。
 牛久沼の全水域は龍ヶ崎市に属しており、東谷田川及び西谷田川の流れ込み口までが含まれ、西北部は二本の角のような形でつくば市とも隣接している。

 牛久沼という名前については、龍ヶ崎市内にある金龍寺の小坊主が、住職の忠告をきかず、喰っては寝てばかりしていて牛になってしまい、それを悲しんで沼に身を投げた時、助けようと尾を引っ張ったが、尾は切れて牛は沼に引きずり込まれてしまった。それから「牛を喰う沼」という意味で牛久沼と呼ばれるようになった、という昔話が伝わっている。

 ところで牛久沼が他の市にあると誤解されるのは、龍ヶ崎市が沼を有効に生かしていないためとも考えられる。
 沼のほとりに立てば周りの緑と広がる水面が目に飛び込み、爽やかな風が流れて来る非常に快適な場所である。しかし、数軒のレストランを除いては国道沿いに車を止める場所もないので、通りかかったドライバーがその良さに浸ることはできない。
 最近、国道から少し入ったところに水辺公園が整備されたが、そこへの道がわかりにくく、たまたま通りかかったドライバーには入りにくい。
 国道と沼の間の数十メートル幅の帯のような場所は、私有地あるいは社有地になっているのかも知れないが、ここ数十年来ほとんど雑草地あるいは荒れ地のままである。こちらも一般の人が入れるエリアにして貰えればと思う。

 龍ヶ崎市街地から国道に出る白鳥通りは台地上を通り、林の中から急に視界が開けて龍ヶ崎大橋の上に出る。正面に広々とした牛久沼のパノラマが広がっている。また、空気の澄んだ日の夕暮れ時には斜め左前方に真っ赤に染まった空に浮かび上がる意外に大きな黒い富士山が目に飛び込んでくる。

 いずれも龍ヶ崎市にとって貴重な眺めであるが、ゆっくりと楽しむこともなく国道の運転に引き戻される。大橋に入る手前の丘陵地にパーキングエリアあるいはサービスエリアがあれば、ゆっくりとこの景観を楽しむことができ、龍ヶ崎市の魅力を十分に堪能できると思うがいかがであろうか。最近、沿線および牛久沼畔は建設重機関係のエリアになりつつあり、私の期待する姿とはずれてきていて残念である。




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