某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

ラファエロ・ダヴィンチ・ミケランジェロ

2011-12-20 21:50:21 | ぼやき
 大天才ばかりで、私には何も書く資格はないのだが、たまたま今日知ったことが面白かったので忘れないうちに一筆。ピカソは「上手く描くというだけならラファエロ位はいつでも描ける」と既に16歳位の頃に豪語していたと昔読んだことがある。私は何も知らない。ラファエロが大変な天才で、ダヴィンチとミケランジェロから影響を受けた、と辞書類に在るのを漠然と知っていただけだ。
 今朝たまたまTVでラファエロとこの二大巨人の関係を解説しているのに出っ食わした。ダヴィンチの工房でラファエロはモナリザその他多くのダヴィンチの絵を見事に模写し、ダヴィンチも彼の才能を愛して技法を教えたという。今でもルーブルでは画家が模写をしている。良い勉強法なのだろう。しかし、ミケランジェロはあまりにもうまく模写するラファエロを疎ましく思い、嫌ったという。そのせいか、ヴァチカンにあるラファエロの壁画の中の群衆の一人として書きこまれているダヴィンチの顔は立派だが、ミケランジェロは、くすんださえない老人になっている。そう思うのは私の偏見かもしれないが。
 殆どあらゆる分野で卓越した業績を残したダヴィンチの寛容、スケールの大きさと、何かの時に感じるミケランジェロの職人的偏狭さが、ラファエロに対する二人の態度に良く見えて、なるほど、と納得した。
 勿論、私はミケランジェロを低く評価しているわけではない。逆だ。特に、ヴァチカンの創世記にもとずく壁画は今でも頭に焼き付いている。あの中でも特に、最後の審判を下しているキリストの若きプロレス選手のごとき巨体には圧倒された。あれは、私の中では長崎の平和祈念像の半眼の若い男性の巨体とダブってしまう。あれのモデルは力道山だとか、別の選手だとか色々噂されているらしいが、審判を下す怒れるキリスト、と理解するのが一番ふさわしいと、私は思っている。
 
コメント (3)
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