小学生低学年の頃、近所の一家がバナナの中毒(疫痢)になり、区役所からきた人々が消毒液をやたらその辺に振りまいたので、臭くてえらい目にあった。それが口実になって(かどうか)私はバナナを食べさせて貰えなかった。小学三年生のとき、父の教え子達の会で「あんみつ」がでた。バナナの切れ端が見えた。(バナナが食べられる!)と喜んだら、隣に座っていた父が「これはちょっと」と変なことを言って、ヒョイと食べてしまった。いや悔しかった。そんなこと、親父はその直後に忘れたろうが、私は70年たってもまだ忘れない。
昭和17年くらいまでは、まだ乾燥バナナというのが輸入されていて、お金持ちの息子たちが見せびらかして食べていた。こっちはバナナに飢えていたから、彼らの食い方までまだ覚えている。うまそうだったなア。
結局大學を卒業するまで(正確に言うと大学に就職するまで)バナナというものを食べずにいた。実は、それが講義で恥をかく遠因になっていたのだった。お後がよろしいようで。
昭和17年くらいまでは、まだ乾燥バナナというのが輸入されていて、お金持ちの息子たちが見せびらかして食べていた。こっちはバナナに飢えていたから、彼らの食い方までまだ覚えている。うまそうだったなア。
結局大學を卒業するまで(正確に言うと大学に就職するまで)バナナというものを食べずにいた。実は、それが講義で恥をかく遠因になっていたのだった。お後がよろしいようで。
声を出して笑ってしまいました。
今に限らず、声を出して笑う、というのが体に良い、と知ってそのようにいつもしておりますが、きょう日、あまり無いことなので今日は得したなあ。
時々まとめて読ませてもらっています「ぼやき」は、消えてしまうのがもったいないので、本にしてください。