某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

サッチャー氏の訃報

2013-04-09 14:41:32 | ぼやき
 サッチャーさんが亡くなった。会った事もないし、握手したこともないが、なんだかちょっと知っているような感じ。あまり良いことで覚えているのではない。
 彼女が首相になった時、知り合いのイギリス人が「これから国民はいじめられるぞ」といった。「なにしろミルク・スナッチャーだからな」と。スナッチ snatch つまりヒッタクリ。強奪。誰から奪ったか。イギリスの小学生から。それまで小学校では給食のミルクが無料だったのを有料にした。だから小学生からミルクをひったくった人といわれていた。まだ厚生大臣だった時のことらしい。サッチャー(ご先祖が屋根ふき業だったのだろう。)にひっかけたイギリス式ジョーク。本心だろうが。
 本当に、「鉄の女」だな、血も涙もないのか、と私がゴマメの歯ぎしりをしたのは1981年。北アイルランドの刑務所に収監されていたIRAの若者たちが「俺たちは政治犯だ、破廉恥罪の連中とは違う待遇をしろ」と要求してハンガー・ストライキをした時。ボビー・サンズという若者が66日のハンストの後死亡し(彼は獄中から立候補して当選し、イギリスの国会議員になっていた)、その後合計10名の若者がハンストの結果死亡した。回りから色々な進言があったらしいが、彼女は「テロリストとは交渉しない」と頑張って、とうとう10名餓死させてしまった。自分にも同じ年頃の息子がいるのに、なんというむごい母親だ、とこっちは常識人だからむかむかしていた。
 大学の経費削減にも大ナタを振るった。特に文系が狙われ、ある大学では歴史学科がまだ学生がいるのに急に廃止された。教員の任用も若い人は1年単位になり、その間にしかるべき研究業績を出せなければお払い箱、となった。ベルファストの知り合いの教授は、その当時経済学部長だったが、「若い人が上や周りの顔色ばかりうかがって、せこせこと小論文を書いている。大きな研究をしていては首になってしまうから」と嘆いていた。その後日本でも同じようなことが起こってきたが、サッチャーさんの軌跡を日本は歩んできたように思える。
 新聞の追悼記事にはまだこんな悪口は書いてない。亡くなったひとへの礼儀なのかもしれない。
コメント
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