某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

嫌いな食べ物―どじょう

2009-10-19 12:30:57 | ぼやき
 何でも食べるのだが、幼少の頃から一つだけ駄目なものがあった。「どじょう」。小学生の頃まで夏休みの間は両親の故郷会津に帰っていた。東京からのお客さんに出す最高のご馳走は、田圃から取ってきたばかりの「どじょう」。味噌汁には太いのがごろごろいるし、おかずにも太いのが口をあけている。伯父達はサービス満点。「全然くわねえでねえか、ほら、もっとやんべ」。これが辛い。お客扱いしなくなる日をひたすら待ち望んだ。
 小学三年生のある日、夕食に茄子の卵とじのようなおかずがでた。「これ、どじょうじゃないの?」と聞く私に母は「茄子よ、たくさんたべなさい」と言う。半信半疑で食べた。どじょうの味を知らないから、変だと思うだけだった。翌日学校から帰ると、母が隣の小母さんと話していた。「茄子よ、茄子よ、って言ったらヤットどじょうを食べてくれた。」ゲーッとなってそれ以後ますますどじょう嫌いになった。
 新米教員の頃、深川の印刷所で良く出張校正をした。終わると、印刷屋のおやじさんが「先生どじょうを食いに行きましょう」という。最初はぎょっとしたが、まさか、食べられないともいえず覚悟を決めてついて行った。柳川鍋。いや美味いこと。どじょうでもこれなら大丈夫、と安心した。その後間もなく金沢に行った。大冒険のつもりで、どじょうの空揚げを頼んだ。これまた美味いこと。味を占めて、自宅近所の飲み屋でもどじょうの空揚げを頼んだ。水槽で泳いでいるのを掬って油の中へ。あまりいかさない。ガッカリした。なるほど「さんまは目黒で、どじょうは金沢か」とやっと知った次第。
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声なき声を聞こえる声に。

2009-10-19 10:49:13 | ぼやき
 近所にちょっとした「森」がある。それを市民の憩いの場として保存しようと毎月手入れしている人たちがいる、ときいて、先日見学に行った。大変ご苦労なさっている。中でも難しいのが、近所に住む方々から「暗い、危ない、虫が困る、変なのがうろうろして怖い」等々沢山の苦情が市役所によせられていて、緑を守ろう、という願いと正面から対立してしまうことだと言う。
 散歩して膝の痛いのが直った、森の中を散歩すると免疫力が増加すると言うのは本当だ、珍しい鳥も観察できて楽しい、等々喜んでくれる人も多いけれど、そういう声は市役所には届かない。電話は「抗議」だけ。駅からも近く、マンション、お墓、介護施設、駐車場等に「活用」したいと業者が地権者に毎日働きかける。いつまで森が生きていられるか、はなはだ心もとない、という。市には買い上げる金など無い。地権者が世代交代して、相続税として物納してくれるのを待つしかないと言う。
 声なき声を聞こえる声にし、市役所が保存に動き出すのがいいと思うが、森の周囲の住民の不便をどうすべきか、財政的にはどうすればいいか。市民運動というのは難しい。
 
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