何でも食べるのだが、幼少の頃から一つだけ駄目なものがあった。「どじょう」。小学生の頃まで夏休みの間は両親の故郷会津に帰っていた。東京からのお客さんに出す最高のご馳走は、田圃から取ってきたばかりの「どじょう」。味噌汁には太いのがごろごろいるし、おかずにも太いのが口をあけている。伯父達はサービス満点。「全然くわねえでねえか、ほら、もっとやんべ」。これが辛い。お客扱いしなくなる日をひたすら待ち望んだ。
小学三年生のある日、夕食に茄子の卵とじのようなおかずがでた。「これ、どじょうじゃないの?」と聞く私に母は「茄子よ、たくさんたべなさい」と言う。半信半疑で食べた。どじょうの味を知らないから、変だと思うだけだった。翌日学校から帰ると、母が隣の小母さんと話していた。「茄子よ、茄子よ、って言ったらヤットどじょうを食べてくれた。」ゲーッとなってそれ以後ますますどじょう嫌いになった。
新米教員の頃、深川の印刷所で良く出張校正をした。終わると、印刷屋のおやじさんが「先生どじょうを食いに行きましょう」という。最初はぎょっとしたが、まさか、食べられないともいえず覚悟を決めてついて行った。柳川鍋。いや美味いこと。どじょうでもこれなら大丈夫、と安心した。その後間もなく金沢に行った。大冒険のつもりで、どじょうの空揚げを頼んだ。これまた美味いこと。味を占めて、自宅近所の飲み屋でもどじょうの空揚げを頼んだ。水槽で泳いでいるのを掬って油の中へ。あまりいかさない。ガッカリした。なるほど「さんまは目黒で、どじょうは金沢か」とやっと知った次第。
小学三年生のある日、夕食に茄子の卵とじのようなおかずがでた。「これ、どじょうじゃないの?」と聞く私に母は「茄子よ、たくさんたべなさい」と言う。半信半疑で食べた。どじょうの味を知らないから、変だと思うだけだった。翌日学校から帰ると、母が隣の小母さんと話していた。「茄子よ、茄子よ、って言ったらヤットどじょうを食べてくれた。」ゲーッとなってそれ以後ますますどじょう嫌いになった。
新米教員の頃、深川の印刷所で良く出張校正をした。終わると、印刷屋のおやじさんが「先生どじょうを食いに行きましょう」という。最初はぎょっとしたが、まさか、食べられないともいえず覚悟を決めてついて行った。柳川鍋。いや美味いこと。どじょうでもこれなら大丈夫、と安心した。その後間もなく金沢に行った。大冒険のつもりで、どじょうの空揚げを頼んだ。これまた美味いこと。味を占めて、自宅近所の飲み屋でもどじょうの空揚げを頼んだ。水槽で泳いでいるのを掬って油の中へ。あまりいかさない。ガッカリした。なるほど「さんまは目黒で、どじょうは金沢か」とやっと知った次第。