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某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

ミャンマーのケシ畑を薬草畑に・・・。

2013-02-13 17:12:51 | ぼやき
 ちょっと変わったテーマの講演会

「ミャンマー(ビルマ)のケシ畑を薬草畑にかえる」
講師:佐竹元吉さん(お茶ノ水女子大教授)

佐竹さんは元国立医薬品食品衛生研究所生薬部長。定年後現職。
ミャンマーではケシが栽培され、麻薬として世界中に出荷されています。それを減らし薬草をそこで育ててミャンマーを麻薬供給地から生薬供給地に変えようという壮大な計画をたて、現地に入り活動をつづけているのが佐竹さんです。「ミャンマー・ケシ代替植物プロジェクト」の理事長さん。WHOでも活躍中。15日にWHOの仕事を終えて帰国されますので、講演会では、一番ホットな情報をうかがえるでしょう。
 なお、佐竹先生は、大和市南林間、十条通り医院のお医者さん「ラナ先生」のお父さんです。
 日時 2月17日(日)13時30分~16時。
 場所 大和市勤労福祉会館(小田急江ノ島線 つるま駅下車、徒歩6~7分。) 中会議室 
 資料代 300円
 問合せ先 046-272-8880  ファックス 046-278-2289
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はい、 チーズ。

2013-01-25 01:10:36 | ぼやき
 友人に勧められて、店でチーズの串あげというのを始めて食べた。うまかった(チーズそのものも大好きだが。)それで思い出した小学生の頃の話。
 地理の授業で北海道の産物を習っていた。「にしん、たら、さけ、ます、かに、こんぶ」と大声で暗唱した。すると先生が「チーズってのもあるんだぞ」といった。「だれか、チーズってのを知ってるか?」誰も手を挙げなかったが、お金持ちの子が、小さい声で「銀紙に包んであるの」といった。先生も「そうだ、銀紙に包んであるものだ」と言った。それで終わり。なんだかわからないが、チーズってのは銀紙で包んであるもの、ということになった。昭和17年、東京市中野区の小学校での話。多分先生も知らなかったのだろう。
 この話は、実は前にも一度したことがある。ゼミナールの学生達に戦時中の小学生の様子や学童疎開(集団疎開)のことなどを話していた時だ。すると、学生に「それじゃ、写真を撮るとき何と言ったんですか」と聞かれた。今なら、写真を撮るとき「はい、チーズ」と声をかけて皆を笑い顔にする。「オー、鋭いな」とまず褒めた。「でもな、写真はみんなまじめでおっかない顔をして撮ったんだよ。めったに撮らなかったしな」と。小学校で今は「1たす1は?」と言うこともある。皆が「にー」と、良い笑顔になる。これも、しかし、戦後だろう。
 父は会津の農家の四男だった。会津平といわれ、四方を山に囲まれた盆地。6年生の時修学旅行で猪苗代湖に行くことになったそうだ。先生が「猪苗代湖は広いぞ、おっきいぞ」というので「どのくらい広いのかし、海より広いかの」と聞いた。勿論子供達は誰も海を知らない。すると先生は「ああ、海より広いぞ」と大威張りしたそうだ。海水浴に連れて行ってもらうたびにその話を聞いた。
 先生は大変だ。知らないことでも教えなければならない。辛かっただろうな。
 
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正月の厳しい短歌

2013-01-24 23:57:33 | ぼやき
 ようやくブログを書く気持の余裕ができたらし。この一カ月余どうにもならなかった。
そんなゆとりのない気分で読んだせいか、今週の歌壇・俳壇には厳しいものが多く目に付いた。正月だというのに。

「カツカツと軍靴の迫る音響き白泉(はくせん)の句を黒板に書く」
 12月の選挙で日本の政治が右に急旋回し始めたのを嘆く高校の先生の授業。渡辺白泉「戦争が廊下の奥に立ってゐた」と富沢赤黄男「戛々(かつかつ)とゆき戛々(かつかつ)と征(ゆ)くばかり」。この戦時中の有名な句と歌を踏まえた短歌。黒板に当たる白墨の音が聞こえる。嘗て教え子を戦場に送った先輩教師の嘆きを繰り返すまいという祈りの歌だろう。撰者は佐佐木幸綱。三代にわたる短歌の名門の御曹司。よくこの歌を首席にした。こんなことを思うのは私の偏見か?

「肉体も心も言葉もかよわない男の姓で呼ばるる今日も」
 同感という女性は多いか、と撰者の評にあった。そういえば還暦の女性が「夫の姓で呼ばれるのには違和感がある」と言っていた。養子になった男も同じ違和感を感ずるのだろうか。

「父母に編み夫子に編んで孫に編み編物人生終りに近し」
「喪中はがきの故人は百歳九十歳戦火をくぐりし剛(たけ)きひとびと」
「砂時計のくびれの位置にわれ立ちて残り少なき上をみており」
「あの世あらば知らせてあげると姉逝って知らせはないが夢によく来る」
 どうも年の始めだというのに暗いのが多い。
 
 勿論楽しいのもある。若い子はいいね。
「学芸会ぼくは脇役だけれどもぼくの母さんぼくを見ている」
「学芸会に端役などなし父母のビデオは君を君だけを追う」生徒さんとその担任の先生。みんな主役だよ。元気にいこう。

「おはようと言って窓辺へつれてゆくママは優しいシクラメンにも」優しいお母さんが大好きな女の子。

 福島に思いをはせる人々。
「飯舘とう村通らねば生家には辿りつけない雪容赦なし」
「南天の一枝を活けて春を待つ除染進まぬふるさと遠く」

 私の放射線治療を読んだようなのもあった。
「マジックで照射の位置をマークされ母は獣のような目をする」 私もマジックで放射線を当てる位置をマークされ、風呂に入ると消えるからシャワーだけにしろと、45日くらい入浴禁止だった。終わって、やれやれ風呂でうんとこするぞ、と思った途端に「内部がかなりやけどになっていますから、当分こすらないでください」と注意された。「俺の肉は焼けてレアかよ。ビフテキじゃあるまいし」と情なくなった。 
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子供達は良い俳句を作る

2012-12-10 00:33:19 | ぼやき
 前にも書いたが、「おーいお茶」という緑茶のペット・ボトルの紙に俳句が印刷されている。それが読みたくて時々買う。良い句がある。
1)「じじの家とまりたいけど寒すぎる」(11歳男子)
2)「転勤の父にも出そう年賀状」   (14歳男子)
3)「電線の五線譜伝う五時の鐘」   (14歳男子)
4)「手をつなぎ力加減を気にしてる」 (12歳女子)
5)「土の中ありが迷路を建設中」   (13歳男子)
 1)やられたね。孫たちは気密性の高いマンション暮らしだから暖房が利いて冬寒くない。夏は涼しい。私のような爺の木造家屋は隙間風だらけで寒く、暑い。その方が耐性が出来て風邪をひかないんだ、などと痩せ我慢しても説得力はない。嫌われるだけ。
 2)けなげな中学生。寂しさをこらえて大人の迎春。
 3)女子の句かと思ったら中学生男子だった。今の子は男女を問わず楽譜を読めるんだ、と改めて感心した(読めるかどうかではなく、想像力の問題かもしれないが。)昔、シューベルトの伝記映画があって(「未完成交響曲」)、小学校教師のシューベルトが算数を教えていた。2*1=2、2*2=4と黒板に書いたとたんに、ひらめいた。答えの2と4の間に/を引き、4分の2拍子にして、黒板(何故か五線譜用に線が引いてあった)に音符をバリバリ書いてゆく。見ていた生徒は、曲が出来上がったところで、それを歌う。「童は見たり 野中のバーラ・・・」と。勿論ドイツ語でうたったが、凄く感心した。ドイツの子供は楽譜が読めるんだ、見てすぐ歌えるんだ、と。いやいや、なんと素直だったことよ。映画を真実と信じて疑わなかった。もう大学生だったのに。楽譜を読めないという自分のコンプレックスが、この素直な感激を生んだのかもしれない。
 4)これは男の子の句かと思ったら女の子だった。運動会のダンスだろうか。それともちょっとおませで男の子と手をつないで帰ったのだろうか。かわいいね。ちょっとドキドキしたかな。
 5)多分利口な子だろう。しかし、観念的。想像の産物だ。悪くはないが。私は彼より二歳若い時に、透明な広口瓶に土を入れ蟻を沢山入れて、土中に埋めておいた。やがて、立派なありの通路が壜の内側に沿って幾筋も出来た。途中で掘り出すと駄目になると思ったから、我慢に我慢を重ね、ようやく成功した。ほぼ同じ年頃の男の子だけれど、此の作者は多分想像しただけで見ていないだろう。図鑑が作句のヒントかもしれない・・・。何も俺がむきになって「観念的」だの「見てない、唯の想像の産物」などと言うことはないのに、まるで対抗心を燃やしたみたい。駄目だね。
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陳情可決

2012-12-06 00:19:33 | ぼやき
 隣の市「綾瀬」で今年日本人女性が厚木基地の米兵に乱暴され、それを大和警察がなかなか公表せず、逮捕もしなかった。朝日新聞には、「オスプレイの問題などもあるので人心を刺激してはまずい」というどこかからの「示唆」もあって警察が公表を控えていた、などという記事が載っていた。勿論当局は否定しているが、その米兵を逮捕したのはごく最近。3カ月以上たってから。日本人なら即座に逮捕されるのに。
 沖縄では近頃繰り返し米兵による凶悪な犯罪が起こっている。増えたのか、それとも日本のマスコミが前ほど遠慮せず記事にするようになったのか、分からないが。自粛だの夜間外出禁止だのが、ろくに守られていないことは明白になっていて、米軍当局に犯罪防止をやる気がないのだ、と、かなりの人が思い始めている。「要するに奴らはまだ日本を占領してると思っている。占領軍なら何でも出来るんだ」と昔の兵隊さんは言う。自分の経験らしい。
 こうした米兵の凶悪な犯罪の多発に、温厚な銀行員だった畏友Mさんがとうとう頭にきて「米兵犯罪の徹底的根絶を米国政府、日本国政府に求める陳情書」というのを書いて、大和市議会に提出した。1人では迫力がない、というので、私他計3名もこれに加わった。
 今日(11月5日)市議会の総務常任委員会というところで、これの審議が行われた。流石にどの委員さんも「こんなの駄目」とは言わない。米軍や政府は良くやっている、という発言はなく、最後は全会一致で賛成になった。中には「米兵だからというのではなく、市民を犯罪から守るという趣旨に賛成だから」とわざわざ断る賛成論もあったが(多分、米軍基地反対と思われては困るからだろう)、私はそれでも良いと思った。いずれ本会議にかかるのだろうが、そこでどうなるか。「基地反対という本音が見え透いているから、こんな陳情には反対」とか、「日本は米軍に守られているのだから、日本の女性が少しくらい犠牲になっても仕方がない」などと発言する議員がいたら面白いのだが、そこまで言う馬鹿はいまい。しかし、腹の中でその位のことを考えている議員はいそうだ。そういう人たちは黙って反対票を投ずるかもね。
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