某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

正月の厳しい短歌

2013-01-24 23:57:33 | ぼやき
 ようやくブログを書く気持の余裕ができたらし。この一カ月余どうにもならなかった。
そんなゆとりのない気分で読んだせいか、今週の歌壇・俳壇には厳しいものが多く目に付いた。正月だというのに。

「カツカツと軍靴の迫る音響き白泉(はくせん)の句を黒板に書く」
 12月の選挙で日本の政治が右に急旋回し始めたのを嘆く高校の先生の授業。渡辺白泉「戦争が廊下の奥に立ってゐた」と富沢赤黄男「戛々(かつかつ)とゆき戛々(かつかつ)と征(ゆ)くばかり」。この戦時中の有名な句と歌を踏まえた短歌。黒板に当たる白墨の音が聞こえる。嘗て教え子を戦場に送った先輩教師の嘆きを繰り返すまいという祈りの歌だろう。撰者は佐佐木幸綱。三代にわたる短歌の名門の御曹司。よくこの歌を首席にした。こんなことを思うのは私の偏見か?

「肉体も心も言葉もかよわない男の姓で呼ばるる今日も」
 同感という女性は多いか、と撰者の評にあった。そういえば還暦の女性が「夫の姓で呼ばれるのには違和感がある」と言っていた。養子になった男も同じ違和感を感ずるのだろうか。

「父母に編み夫子に編んで孫に編み編物人生終りに近し」
「喪中はがきの故人は百歳九十歳戦火をくぐりし剛(たけ)きひとびと」
「砂時計のくびれの位置にわれ立ちて残り少なき上をみており」
「あの世あらば知らせてあげると姉逝って知らせはないが夢によく来る」
 どうも年の始めだというのに暗いのが多い。
 
 勿論楽しいのもある。若い子はいいね。
「学芸会ぼくは脇役だけれどもぼくの母さんぼくを見ている」
「学芸会に端役などなし父母のビデオは君を君だけを追う」生徒さんとその担任の先生。みんな主役だよ。元気にいこう。

「おはようと言って窓辺へつれてゆくママは優しいシクラメンにも」優しいお母さんが大好きな女の子。

 福島に思いをはせる人々。
「飯舘とう村通らねば生家には辿りつけない雪容赦なし」
「南天の一枝を活けて春を待つ除染進まぬふるさと遠く」

 私の放射線治療を読んだようなのもあった。
「マジックで照射の位置をマークされ母は獣のような目をする」 私もマジックで放射線を当てる位置をマークされ、風呂に入ると消えるからシャワーだけにしろと、45日くらい入浴禁止だった。終わって、やれやれ風呂でうんとこするぞ、と思った途端に「内部がかなりやけどになっていますから、当分こすらないでください」と注意された。「俺の肉は焼けてレアかよ。ビフテキじゃあるまいし」と情なくなった。 
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