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某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

シルバー川柳

2013-04-06 03:21:43 | ぼやき
 入院中に『シルバー川柳』というのを読んで面白かった、というメールを頂いた。特に気に入ったものとして次の三首があげられていた。
「起きたけど 寝るまでとくに 用もなし」
「老後にと のこした夢も 夢のまま」
「手遅れの 人で混み合う 美人の湯」

 前にも『シルバー川柳』が面白い、というメールを別の方から頂いていた。面白いことに、例に挙げられていた最初の句は同じだった。
「起きたけど 寝るまでとくに 用もなし」
「飲み代が 酒から薬に 変わる年」これはメールの主が男性だからだろう。ちなみに 上は女性からのもの。
「中身より 字の大きさで 選ぶ本」『シルバー川柳』は一ページに一首だけ印刷してあるという。
 
私の先生も晩年に川柳を作られた。
「ちかごろは 出すだけでよい 顔になり」シルバー世代の悲哀。

さる著名なマルクス経済学者が戦時中治安維持法違反で牢屋に入れられた。その折隣の房にもひとがいるのを知って作った。
「秋深し 隣は何を した人ぞ」悠々としたものだ。
泥棒か強盗か。二字変えただけで芭蕉の名句が牢屋の川柳になった。弟子が感心して「先生、句集を出しましょう」と言った。「これ一つだけだからだめだよ」と先生。この先生が長く牢屋に入っていたら、芭蕉の本歌取りといった面白い川柳が沢山出来たかもしれない。
 
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まだ水がタダの国―アイルランド

2013-04-06 02:32:41 | ぼやき
 来年1月から水道料金を設定し徴収する、と準備をしている国がある。アイルランド。今まではどうしていたか。水道メーターがなかったからいくら使ってもタダだった。正確に言うと家屋の規模に応じて「水道料」も「徴収」していた。家屋税に組み込まれていた。昔、日本では電気代が定額で徴収されていた。あれに似ている。使用量とは無関係。だから、私の田舎では昼間から電気は付けっ放しだった。料金は同じだから消す必要がなかった。アイルランドでは水がそうだった。家が大きいからと言って水の使用量が増えるわけではなかろう(少しはちがうかも)が、水の使用量は水道料と無関係だった。今ダブリンでは給水制限をするほど水の問題が深刻になっている。
 1月から使用量に応じて料金を徴収するといっても、そのためには水道メーターを全戸に設置しなければならない。果たして間に合うか。あの国では先ず不可能だろう。既にそれを見越して、メーターが間に合わない場合どのように料金設定をするか、という議論まではじまっている。来年1月からだというのに今頃そんな議論を始めている。怠慢か、のんびり屋さんなのか。どういう国だろうね。
 良いこともある。メーターの検針係に2000人が新たに雇われるらしい。漏水、貯水地の整備など仕事はうんと増える。経済立て直しに少しは役に立つだろう。面白いのは、料金の議論に、無料にするのはどれほどの使用量までか、という検討がなされていること。日本だと、それは基本料金と言って、「安い」けれど有料。決してタダにはしない。アイルランドでは、水道料が新たに課されて「崖っぷち」から落っこちてしまう家計がないように、という心配りをしている。どっちの国が豊かなのかな。
 それにしても、毎日雨が降り、水不足とはおよそ縁のなかった国、だから水はタダでも大丈夫だった国が、とうとう水道料金をとることになったか、とちょっぴり残念な気もする。 
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まだ水がタダの国―アイルランド

2013-04-06 02:32:41 | ぼやき
 来年1月から水道料金を設定し徴収する、と準備をしている国がある。アイルランド。今まではどうしていたか。水道メーターがなかったからいくら使ってもタダだった。正確に言うと家屋の規模に応じて「水道料」も「徴収」していた。家屋税に組み込まれていた。昔、日本では電気代が定額で徴収されていた。あれに似ている。使用量とは無関係。だから、私の田舎では昼間から電気は付けっ放しだった。料金は同じだから消す必要がなかった。アイルランドでは水がそうだった。家が大きいからと言って水の使用量が増えるわけではなかろう(少しはちがうかも)が、水の使用量は水道料と無関係だった。今ダブリンでは給水制限をするほど水の問題が深刻になっている。
 1月から使用量に応じて料金を徴収するといっても、そのためには水道メーターを全戸に設置しなければならない。果たして間に合うか。あの国では先ず不可能だろう。既にそれを見越して、メーターが間に合わない場合どのように料金設定をするか、という議論まではじまっている。来年1月からだというのに今頃そんな議論を始めている。怠慢か、のんびり屋さんなのか。どういう国だろうね。
 良いこともある。メーターの検針係に2000人が新たに雇われるらしい。漏水、貯水地の整備など仕事はうんと増える。経済立て直しに少しは役に立つだろう。面白いのは、料金の議論に、無料にするのはどれほどの使用量までか、という検討がなされていること。日本だと、それは基本料金と言って、「安い」けれど有料。決してタダにはしない。アイルランドでは、水道料が新たに課されて「崖っぷち」から落っこちてしまう家計がないように、という心配りをしている。どっちの国が豊かなのかな。
 それにしても、毎日雨が降り、水不足とはおよそ縁のなかった国、だから水はタダでも大丈夫だった国が、とうとう水道料金をとることになったか、とちょっぴり残念な気もする。 
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スポーツ吹矢。やっと五段の2に合格

2013-04-06 00:54:23 | ぼやき
 少々事情があって今まで書けずにいました。吹矢の試験を受け、「五段の2」というのに合格しました。妙な「資格」ですが、これは六段を受ける資格が出来たということです。六段は最高段位ですから、五段までのように、昇段してから六カ月で次の段を受験出来る、というわけにはゆかないのです。五段になって一年経つと、去年の合格はまぐれじゃないでしょうね、という試験がある。それで五段の点数を出せれば、「五段の1」に認定される。其れからまた一年経つと、まだ五段の点数を出せますか、という試験を受けられる。それに合格すると「五段の2」に認定され、晴れて六段の受験が許される。つまり五段になってから最低丸二年経たないと六段は受験できない。六段の試験は年一回しか受けられないから、容易ではありません。スポーツ吹矢協会の会員3万人のうち、六段はまだ十数名しかいない。ベテランの先生方でも緊張しすぎて点数を出せないらしいです。悪いことを書くと、そうなってしまいますから、ここには「今年の秋には合格するぞ」とだけ書きましょう。お受験の子供さん達が「必勝」という鉢巻をするのと同じ。
 六段受験までには長い時間がかかり、自分の残り時間がなくなってしまうから六段は諦める、と前には書いていました。しかし、どうやら受験までは時間が残っていそうです。さあ、あと半年。悪い癖を直して秋の試験に備えましょう。これまでの四年半、本当に久しぶりに「受験勉強」の毎日です。受験も9回(二級から「五段の2」まで)しました。幸い無事に合格してきましたから、後ひと踏ん張り。それにしても、今になって新しいスポーツを始め、毎日「受験勉強」をするとは、想像もしていませんでした。当たると楽しい。工夫が上手くゆくとなお楽しい。昔、どうしても解けなかった数学の問題が、風呂に入ったら、スーッと解けた。あの何とも言えない良い気分と同じものを、満点を出すと味わえる。受験勉強は楽しくなければやってられません。わかると楽しいから続けられる。吹矢も同じ。当たらないと悔しいからまたやる。当たるまでやる。吹矢は楽しいから続けられる。80歳の手習い、受験勉強。本人は張り切っているけれど、はたから見たら滑稽でしょうね。
 
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わかもと と 近衛文麿

2013-03-19 07:54:46 | ぼやき
 先日久しぶりに鎌倉に行った。桜にはまだ早かったが、小町通りの古書店で白崎秀雄『当世畸人伝』中公文庫1998年というちょっと変わった本をみつけた。「長尾よね」という人が最初に取り上げられていて、近衛文麿の連合軍による逮捕令から話が始まっている。ちょっと立ち読みしたら知らぬことばかり書いてあるので買ってしまった。
 近衛さんは、逮捕令の出た時軽井沢の山荘にいて、その後、美人のお妾さんをつれて櫻新町(今はさざえさんで有名だ)の長尾欽爾邸に行き、そこで4日間すごし、夫人の長尾よねさんに、「ここで自殺するから、貴女が帯の間に持っている茶色の小壜の青酸カリをくれ」と頼んだという。しかし、よねさんに「死ぬのはご本邸で、奥さんのそばでなさい」と断られたので、荻窪の荻外荘に帰って自殺した。死の枕元に茶色の小壜があってまだ数滴残っていたが、米兵が持ち去ったというから、長尾よねさんがあげたのだろう。当時、米兵は日本の女性を誰かれ構わず強姦すると信じられていたから、多くの女性が青酸カリを持っていた。近衛さんは死ぬ前に何故四日間もぐずぐずと他人の家にいたか。美人のお妾さんと一緒にいたかったからだろう、と著者は推測している。白洲正子は近衛文麿のことを「コノエフミマヨウといわれて」と書いている。優柔不断なお公家さんという意味にちがいない。今なら「決まらないな、また野田する」というところか。
 何故いきなり白洲正子に話が飛ぶかというと、彼女が書いた「女傑」という短いものが、長尾よねについて書かれた唯一のものだと言われるからだ。正子は鎌倉山の長尾の別邸で、よねと酒を酌み交わしながら話を聴いたという。長尾欽爾は健康補助剤「わかもと」を作って巨富を築いた「事業家」で、近衛の金銭的な面倒もみていたという。なにしろ「わかもと」はビールを絞ったかすを原料にして作る錠剤だからボロもうけ出来た。今でいえば特別良くきくサプリメントというところだろう。豪勢な大邸宅を構え(櫻新町の屋敷跡は今、高等学校の敷地になっているという。)陸海軍の元帥や大将、お公家様や総理大臣から東大教授まで、さらには歌舞伎役者から横綱大関まで、あらゆるトップを招待しては大宴会を催していたという。其の中心にいたのが長尾よねだった。美術品も専門家に目利きしてもらって沢山集め、長尾美術館を作った。戦後衰退し、没落するにつれて、そうした逸品は次々に売られてしまった。熱海のMOA美術館の逸品中の逸品、国宝の仁清の藤の花の壺も長尾美術館から流れて行ったものだ。
 話はガラッと変わる。この本を読んだ翌日が土曜日で、「若い」友人の定年を祝う?ご苦労さん会があった。その男が実は白洲正子についての第一人者で、今年も正子についての公開講義をする。何たる偶然!早速その鎌倉山で取材して書いたという短文「女傑」のことを尋ねた。勿論良く知っていて、コピーをくれるという。ついでに、近衛さんの自殺についての正子の文章もくれるという。散々飲んで彼はかなり酔っていたから忘れるかと思ったら、なんと今朝(月曜日)一番にファックスで送ってくれた。いや偉いものだ。
 孫に誘われて、何気なく鎌倉に行ったら面白いものを掘り出した。しかも、その翌日からまた話が広がって面白い文章が読めた。毎日このようなことがあると良いのだが。
 
コメント (3)
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