来てください

2008年03月20日 | Weblog



▼あまりに直前になってしまいましたが、今度の日曜、23日の午後1時から長野県松代町の「明徳寺」で開かれる栗林忠道・帝国陸軍大将の63年回忌法要に、ぼくも参列し、つたない講演も行います。

 硫黄島の戦いで、敵だったアメリカからいまだに名将と敬愛され、祖国日本からは忘れ去られていた、あの栗林将軍です。

 クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」で、渡辺謙さんが演じ、ジェネラル栗林は、ようやく日本国民にも知られました。
 しかし故郷の松代町では、若者をたくさん死なせた戦争犯罪人のように誤解して、その名を記憶していた人もいたようです。

 いわば名誉回復の法要でもあると、ぼくは考え、参加させていただくことにしました。
 ぼくが2006年の12月に硫黄島を訪れ、島内をぼくなりに懸命にみて歩いたこと、そのあとはいかなる講演会でも、硫黄島で後世の日本の輝きのためにこそ死んでいった将兵の生きっぷりを話していること、それらをご存じのかたも、このブログを訪ねてくださるなかには、いらっしゃると思います。

 交通費はかかりますが、講演などはもちろん無料です。
 誰でもおいでになれます。
 ぼくのためにじゃなく、栗林将軍のご遺族のため、また硫黄島に命を埋めたすべての、わたしたちの先達(せんだち)のために、どうかおいでください。

 写真は、その法要と講演会のちらしです。


▼ぼくは、きょう間もなく、江田島の海上自衛隊・幹部候補生学校の卒業式に列席し、海上自衛隊機で、ほかの列席者とともに夜には東京に帰り、翌日の金曜夜には再び、大阪入りして、土曜日の午前に関西テレビの「ぶったま」の生放送に参加し、そのまま東京にとって返して、TVタックルの収録(放送は3月末)に臨み、翌日の日曜朝に長野県松代町に向かいます。

 ぶったまやタックルに関心があるひとは、どうぞ番組をみてください。
 そして、できれば、松代町でお会いしましょう。
 一人でも多くのかたと、松代町でお会いしたいです。

 このブログを読んで、長野県松代町の法要と講演会に来られたかたは、ぜひに、ぼくに声をかけてください。
 固い握手を交わしたいと思います。
 サインなどを、僭越ながらもしもお望みでしたら、すべてのかたのご要望にお応えします。


 青山繁晴 拝 3月20日春分の日 未明3時40分


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17 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ランチ)
2008-03-21 01:45:09
松代町の明徳寺ですか、青山さんの足元にも及びませんが、やはり時期的にキツい、情勢的には更に辛い!しかし内密にでもぜひ伺いたい。でも声をかけるなんて出来ないだろうな~何時ぞやの公開アンカーでも影から熱い視線を向ける事くらいしか出来ませんでしたし、講演の後ともなると絶対泣いてしまうだろうし。
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Unknown (Unknown)
2008-03-22 12:44:05
テレビだけじゃ時間がないと察します。もっと青山さんの声と情報を聞きたい!
webなどで直接動画を流してはどうですか?
寄付してでも、もっとお話が聞きたいです。
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講演会 (佐々木)
2008-03-22 15:38:30
こんにちは。
長野県佐久市内で鶏とたまごを専門とした居酒屋をさせていただいておりますものです。以前の佐久での講演を拝聴し感動しました。あれからこのサイトにコメントさせていただきアンカーの硫黄島のあの動画も月1回のミーティングで流し皆で共有しました。
今回のこの講演の知らせにぎりぎり今日出会えたのも何かの縁と考え今から心踊り、騒ぎ、ワクワクしています。是非、行かせて頂きます。楽しみにしています。本当にサインや握手などしていただけるのでしょうか?
少し勇気を出してみようか…
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硫黄島 (MO)
2008-03-24 22:44:22
はじめまして

栗林大将の法要と講演会に参加させていただきました
。 私は10年程前から、小笠原の父島、母島を何度か訪れ、いたるところに残されたトーチカ、塹壕、高角砲、沈船などに興味を持ち、硫黄島のこと、栗林中将のことなどを知りました。調べていくうちに栗林中将の生家やお墓が実家から車で30分程の所にあることを知り、驚きました。長野市で真田幸村とか佐久間象山は誰もが知っていますが、3年位前までは、栗林中将の事を知る人は殆どいませんでした。日本人に忘れられた尊敬されるべき司令官や命をかけて戦った兵士たちの功績を自分を含め出身地の人たちが知らないとは・・・何とか知ってほしいと思っていたところ、梯さんの本が出版され、イーストウッドが映画を作り、(小笠原では結構前から話題になっていました)そして青山さんが硫黄島を訪れた、その番組もネットで広がり、多くの人に知られるようになり、とてもうれしく、感謝しております。
わたしも2006年9月に船で硫黄島に行き、御参りすることができました。(上陸は出来ませんでしたが)

昨年、硫黄島の名称が「いおうとう」に統一されたのは、青山さんが安部さんに働きかけていたとは・・・
知りませんでした

 ps  講演のレジメが欲しかったのですが、貰えませんでした。内容をブログに載せていただけませんでしょうか?
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今回は誠に有難う御座いました (法要の事務局です)
2008-03-26 00:43:08
この度は快く講演をお引き受け下さり誠に有難う御座いました。講演を聞き胸が熱くなり又泣いてしまいました。今日も今まで仲間達と議論等を行いその流れで青山さんのホームページをお訪ねしました。
コメントを拝見いたしましたら レジュメを貰えなかったというコメントを見まして大変申し訳御座いませんでした。もし宜しければレジュメをご送付させていただきます。
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祖父も眠っています。 (まゆ)
2008-03-26 17:58:47
今日のニュースアンカーを拝見致しました。
昨年の12月も拝見しましたが、2度とも青山さんのコメントに涙しました。

私が生まれる前に戦死した祖父ですので会ったこともないのですが・・
やはり、うちでも遺骨の代わりに祭っているのは石です。

母は硫黄島に参りたいとずっと思って叶わず・・。

冷たい水運動・・そして本当にいつか祖父の遺骨が戻ってきたら・・と思っております。
遺族の一人としてお礼が言いたくて・・青山さん、ありがとうございます。
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散るぞ悲しき ()
2008-03-26 19:19:17
今日のアンカー、「栗林中将の六十三回忌」のご報告
その暑き熱き思いに打たれて私も思わず涙しました。
当時しょうがく六年生のであった私にとっても、三月はわすれえぬ特別の付であります。東京大空襲の、大阪、名古屋と相次ぐ大空襲。そして硫黄島玉砕!
昨年ドキュメント『散るぞ悲しき』を読むまで、たった5センチほどの当時の新聞記事の背後にどのような惨憺たる絶望的な戦いがあったか、知る由もありませんでした。栗林中将のお子さんやおくさまにあてたお手紙の愛情深い夫として、父としてのお人柄に打た、その人の下で数多の普通の男達が本土の妻や子たちのためにあのドラム缶の熱湯を飲んで闘ってくださったのかと映像に釘付けになりました。わたしの従兄も消息不明のまま遺骨の帰らない一人です。
お言葉のごとく決して風化させてはいけない事実として語り継ぎ一杯の氷水の輪を広げなければ、『散るぞ悲しき』は周りの人たちにつぎつぎとお勧めしています。悲しい事件が起こるたびに嘆きつつ、しかしその世代を育ててきた我々も反省しなければという思いに駆られ、孫達に折に触れて戦の記憶を語っておりますが。
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ニュースdeズバリのコーナー (Unknown)
2008-03-26 21:16:58
前回、青山さんが硫黄島を取材されたのを見て、引きちぎられるような、いろんな感情から涙が溢れました。
そして毎週このコーナーを見、色々なことに関心を持つようになり、それまで深く考えなかった世の中の出来事も書きとめ、家族と話すようになりました。

今日の放送でも、祭壇に置かれたものがアメリカから持ち込まれた石と知り、映画がきっかけで日本に浸透した歴史、そして執り行われた法要に何故!?と愕然としました。

青山さんの言葉は心を打ちます。生身の声は生身に響きます。ですから今日のコーナーで「後の2回で降りようと思う」発言にはえーっ!?と叫んでしまいました。
でも思いとどまっていただいたみたいでホッとしましたが…^^;

ふざけた犯罪がこの先減るかは分かりませんが、少なくとも青山さんの声は届いてると思います。
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Unknown (U)
2008-03-27 04:08:19
こんにちは。
初コメントです。
毎週青山さんのコーナーを楽しみにしています。
うちの母も青山さんのファンです。

栗林中将六十三回忌の放送、拝見しました。
前回の硫黄島の放送同様、とてもとても心を打たれました。
まず嫌がらせの電話等がかかってくる
など、何ていう国なんだろうと思いました。。
この国を守ってくれた人なのに何故?と思いました。
硫黄島だけではありませんが、あの時代に戦争で亡くなった方達の
おかげで今の日本があるんだと思いますし、誇りに思っています。
なのでそれについて否定的な意見などを聞くと、
腹が立ちます。もちろん戦争は反対ですが。

今の日本を見ると先人達は悲しむでしょうね。と思う反面、
こんな何一つ不自由のない生活の日本を見て喜んでいるんじゃないかな、とも思います。
何と言うか、書き表すのが難しいですが。。
ともかく日本人である事に誇りを持ちたいのです。
今の日本人には自信と誇りが足りないと思います。
硫黄島の戦いの様な歴史が削られてしまっている事に原因がある様な気がします。私も現に最近まで知りませんでしたし、当然教学校でも教えてくれません。
僕はまだ20歳そこらの若造ですけれど、戦没者の方々にもお陰でこんなに良い国になりました、と胸を張って言える様な国にしたいと放送を見て改めて思いました。



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興奮して眠れませんでした (てる)
2008-03-27 09:26:27
毎週アンカーとぶったまの録画を欠かさず観ています。何より楽しみにしている番組です。昨日のアンカーは泣きました。それから興奮してしまって硫黄島をパソコンで検索したら、硫黄島から生きて還ってこられた方が硫黄島で綴られていた日記が、その息子さんのご意思で公開されていているのを見つけて見入ってしまいました。そこに綴られた生々しい毎日は、青山さんの言葉と融合して、硫黄島に自分がいるかのように、その人自身になったかのような気分になりました。今朝、一杯の氷水を入れました。青山さん、いつも気付かせていただいて有難うございます。
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