▼きのう12月5日火曜に、パリから帰国。
パリの滞在は、5日間だけ。
そりゃ、きついよ、正直。
ちょっと自分じゃないみたいな、体調だ。
帰国の機中の11時間ほど、成田から都心へ向かうバスの1時間半、それからバスターミナルから自宅へのタクシー20分、その全部を通じてほとんど眠らずに、会員制レポートを書き続け、自宅に着くと荷物もほどかずに仕上げて、夕方5時半ごろ、会員へ配信、はいしんっ。
やれやれ、しっかりと仕上げたレポートを配信できて、うれしいな。
そのまま休まず、独研(独立総合研究所)に出社し、大阪から来た関西テレビのスタッフと、翌日の報道番組について、かなりの時間をかけて打ち合わせ。
終わると、シンクタンク・独研の社長として、社内の打ち合わせや、情報の収集などなど。
夜9時になり、日テレへ。
9時半ごろから、報道番組の解説コーナーの収録。
ぐったり疲れて深夜に、ふたたび帰宅。
荷物を整理し、すこし情報を整理していると、もう午前4時まえ。
さすがに朦朧としてきたので、じぶんをリラックスさせて、仮眠。
▼3時間後の、12月6日水曜の朝7時ごろ、電話で起きる。
ふらふらで起きたから、時計やら何やら、いろんなものをひっくり返す。
電話は、福岡のRKB毎日放送から。
ああ、そうだ、電話を使ったレギュラー出演だ。
朦朧がとけない頭を、懸命に澄ませて…あんまり澄んでないけどさ、生放送に電話で出演へ。
リスナーにも、キャスターにも、ぼくの睡眠不足は関係ない。
ラジオから聞こえる声、それだけがすべてだ。
コマーシャルのあいだに、水をごくごく飲んで、むせかえりながら、どうにか声をまともにして、出演する。
終わると、ぐしゃっと顔を洗い、羽田空港へ。
大阪へ飛ぶ。
わぇー、また飛行機の中だよ。
伊丹空港に着くと、タクシー車内で原稿を書きながら、定宿のホテルに入り、電話とメールで情報収集。
そして関テレと電話で打ち合わせをし、その打ち合わせで気づいたことについて、もう一度、情報収集をしてから、プールですこしだけ泳ぎ、無理にでも身体を目覚めさせて、関テレへ。
報道番組『ANCHOR』に出演、『青山のニュースDEズバリ!』のコーナーでは、パリで知った驚きの事実を話す。
内心では、ふらふら、ぐにゃぐにゃ、ぼろぼろの状態。
しかし、それは視聴者にも他の出演者にも、関係ない。
ラジオもテレビも、それは、おんなじだ。
だから番組全体を通じて、一生懸命に話した。
それでも、じぶんでは、またしても不満いっぱい。
一緒に出ている室井祐月さんが「とっても、分かりやすかったよ」と言ってくれたので、すこしだけ、ホッとした…けど、伊丹空港で軽く食事をする頃から、やっぱり下手くそな放送だったなぁと、また、こころのうちで、どっしゃーんと落ち込む。
夜に帰京、自宅へ。
あすは硫黄島へのロケ取材なので、早く寝たいのだけど、原稿が山盛りで眠れない。
うーむ。
ぼくはどうなっちゃうんだろ、と思わず考えるほど、きついや。
いや、硫黄島で命の最後の一滴まで、後生のぼくらのために戦ったひとびとのことを、すこしでも思うなら、おまえよ、まさか、じぶんのことは思うなよ。
▼このブログで始めている「深く 淡く 生きる」の書き込みは、10月半ばからの日々をすこしづつ振り返っていく。
だから、まだまだ現在には届かない。
しかし、あと6時間ほどで、硫黄島へ出発する今夜は、どうしても今のことを、簡単にでも書きたかった。
なぜ、だろう。
涙が止まりませんでした。
あの島に残り最後まで戦い続けた人たちが
最後に願ったのは、ただ愛する国と家族を守りたい。
残ったものがよい国にしてくれるから。。と
思って死を覚悟して戦い続けたのですね。
頭がさがる思いです。
わたくしたち世代は幸せか不幸か戦争を知りません。
しかしこうやって語り継ぐ大切さをあらためて思い知りました。
何かできることはないのか。。
そんなことを思いつつ涙しました。
久しぶりに熱い、深い意味のあるテレビになりました
その受け止め方は、ひとそれぞれかもしれませんが。
人はそれぞれの立場で発言しますから、その立場によって、様々なスタイルの感情発露の度合いと方法があっていいのではないでしょうか。
どうしても一言言いたくて書き込みをさせてもらいます。
松本京子さんの放送でもそうですが、昨日の硫黄島の放送でも説明の途中で
涙を流しておられましたが、事実を伝えるときにそれはどうなのでしょうか。
例えば、ニュースを読むアナウンサーが悲報を泣きながら原稿を読んでいたら、
それは視聴者に対してフェアじゃない思うんです。
事実を伝えた後、個人の感想として喜怒哀楽を見せるのは良いと思うのですが、
「事実」の受け止め方は人それぞれですし、なるべく押しつけにならないように
伝えた方が良いのではないでしょうか。
かといって淡々と伝えられても、どう反応して良いのか戸惑ってしまいますが・・・。
それにしても、硫黄島のロケVTRは衝撃過ぎて震えました。
硫黄島についてほとんど知らなかったので、大変勉強になりました。
立ち入り禁止を無くすという案は賛成です。
やるとすればなるべく早いほうが良いような気がします。
この先少子化が進むと内に籠もるようにナショナリズムが進みそうで、
火に油を注ぐ事になるような気がします。
生意気を書いてすいません。
多くの人の目にとまらないように、あえて一つ前のエッセイに書きました。
しゅういちさんに対しての反論とかではなく、個人的意見であって他意はありません。
なにかあればお手数ですが削除をお願いします。
私の祖父は硫黄島で戦死し、今でも硫黄島で眠っています。
番組を見て、祖父がどのような場所で戦ったのか、どのような場所で亡くなったのかわかりました。
青山さん、泣いて下さってありがとうございます、祖父や戦友の言葉を代弁して下さって、ありがとうございます。
涙して下さる方がおられた事で戦死した方の心も安らいだのではないでしょうか。
例え遺族であっても慰霊祭以外では上陸が出来ないと聞いておりますので、取材はたいへんだったと思います、本当にありがとうございました。
祖父に代わってお礼申し上げます。
以前特攻隊の遺書を読んだときに全く同じことを思いました、日本の未来を考え、たった一つの命を捧げた人たちの思いを今の日本人は知ることも無い。
人間が、いえ全ての生物が本能的にもっているもの、自分たちの兄弟、子孫のためなら自分の命も惜しまないこと。
不法投棄、悪法、海洋汚染、悪い教育など、未来に負の遺産を残す者には厳罰を与えることを望みます
本当に、米国は守ってくれますか?
そんな契約や条約はありません。
なんで精密誘導弾の話が出てきたのかよく分からん。
第1
TNT火薬搭載の精密誘導弾で敵国の核ミサイル基地を攻撃する案は、愚論でしょう。なぜなら、数百ある敵ミサイル基地に精密誘導弾が届く前にレーダーで察知され、かなりの数の核ミサイルが日本に向けて発射されるからです。よって、敵の核攻撃を誘発する極めて危険な兵器です。
つまり敵はこう考えます。「日本の精密誘導弾は報復用でなく、こちらが核ミサイルを発射する前に核ミサイルを無力化するものだな。では、わが国はその前に日本に向けて発射するしかない。」
まあ、敵からの第2波の核攻撃をさせないために、第1波後に核基地を叩くという戦略ならありえるでしょう。その場合、第1波は甘んじて受けざるを得ないので、日本の各都市は核シェルターで守るしかありません。
核シェルターを馬鹿にしてはいけません。東京大空襲10万人の犠牲者が、もし防空壕(シェルター)がなかったら50万人の犠牲になったでしょう。
広島の爆心地から150~200mにいた人が無傷で助かっています。たまたま地下1階にいたから。1階です。5階や10階ではないのです。スイスや北欧諸国は戦後、この経験を生かす街づくりをしました。
第2
しかし、核ミサイルを使用させないための抑止方法としては、有効かもしれません。
というのは、報復するために敵国のダムを精密誘導弾で攻撃する方法があるからです。第3国に被害が及ばない河川を選ぶという条件付です。
ダムは本来、たとえ戦争の場合でも攻撃してはいけません。一般市民への大被害を目指すもので戦争犯罪になりえます。しかし、日本の都市に対して核攻撃するのであれば、そして日本が核武装しないのであれば、許されるでしょう。
これ以外に、非核で敵国に同害報復する方法があればいいですが、なければこの方法しかないかもしれません。
ただ、敵が1ヶ月かけてダムの水を抜いて備えたら、この手は使えません。
北朝鮮(中国)の複数のダムに対して2,000発の精密誘導弾をぶち込む。ついでに平譲(北京)にも5,000発打ち込む。なぜなら、戦争になれば、敵は必ず日本の皇居を狙って核ミサイルをぶち込むでしょうから。
繰り返しますが、あくまで抑止力のためです。日本が先制攻撃をするためではありません。敵に先制攻撃させないためです。
以上です。長くてすいません。
硫黄島ではなにをお感じになられるのか、私は映画もまだ見ておりませんが、またご紹介ください。
睡眠時間の寄付ということが叶うならば、という気持ちです。
どうぞお身体をご慈愛くださいね。