苦渋   その1 (字数制限があるので、2つに分けています)

2010年11月08日 | Weblog
※きょう11月8日月曜、午前9時55分から放送されるフジテレビ「知りたがり」生放送に参加(出演)します。
 テレビ番組への参加をお知らせするのは、正直、あまり好きではありませぬ。
 ぼくも独研(独立総合研究所)も宣伝はしないことが原則です。
 すくなくとも、収録したコメントだけの放送は、お知らせしていません。2時間収録して、放送は30秒とか1分ということが日常茶飯事でもありますから。
 けれども今回は、まったく初めての番組ですし、生放送への参加です。
 意外なところでぼくがひょいと出てきて、「事前に知りたかった」と思われるかたも中にはいらっしゃるだろうと考えますから、お知らせしておきます。

 以上は、お知らせ。
 以下は、ひとりごとです。


▼11月3日祝日の水曜、大阪で関西テレビの報道番組「スーパーニュース・アンカー」の生放送に参加して、夜、帰京。
 ほんのわずかな間、自宅で片付けものをすると、もう翌朝、4日の木曜だ。そのまま京都へ向かう。

 新幹線の車中で、心身に鞭打って懸命に集中心を保ち、東京コンフィデンシャル・レポート(TCR/独立総合研究所から配信している完全会員制レポート)を書く。
 通路を挟んだ隣席の男性客は、ゆったりリラックスしていて、正直ちょっと羨ましい。
 ぼくはもともとは、移動の車中は頭をゆっくり遊ばせて、たくさんの新しい発想が浮かぶようにしていた。
 その時間もまったく取れなくなって、すでに9年ほどにもなる。むしろ、ほとんど車中しか原稿を書く時間がない。

 昼の午後0時28分に京都駅に着く寸前に、どうにか脱稿し、京都駅の構内を歩きながら片手でパソコンを操作して、0時29分、独研(独立総合研究所)の総務部へ送稿する。総務部から午後0時47分に、全会員へ配信されたことを、京都駅から乗ったタクシーの中で確認して、ホッとする。
 10月は配信回数が少なかったから、11月は早めにどうしても配信を再開したかった。
 このレポートは2000年3月30日に第1号を配信し、この日は第491号。
 10年と7か月、苦しみつつも、たゆまず配信し続けて、もうすぐ記念すべき500号だ。
 このレポートの会員は、まさしくぼくを支えてくれている。ぼくの発信としては、いちばん機密性の高い情報を提供している。

 京都駅から右京区に入り、志ある市民のかたがたに、ぼくなりに力を尽くして講演をいたした。記者時代に6年を住んだ京都は、ぼくにとって青春の地のひとつだ。
 講演のあと京都駅へ戻り、そのまま福井へ。
 本業の核セキュリティ(原子力防護)に関連する仕事に取り組むために出張する。
 福井県は、やはりすこし寒かった。宿泊先のちいさなホテルで、その仕事の準備をしていた。
 同時進行で、警視庁公安部外事3課の機密ファイルなどが漏洩した空前の大事件について、関係する政府当局者のうち、もっとも信頼できるひとびとの携帯電話に電話していった。
 すると夜半、「青山さんに見てほしい動画がネットにアップされています」という知らせがあった。

 いつかは出るだろうと考えていたし、先に放送されたTVタックルでも、そう発言したが、正直、今夜だとは思っていなかった。ただ、思わず『来るべきものが来た』と呟いていた。驚く気持ちは、ほとんどなかった。
 本来の仕事を中断して、44分の動画を4回、見た。
 内容からして『間違いなく尖閣諸島の9月7日の現実を撮った映像だ』と確信しつつ、あっという間に5日金曜の朝を迎えた。


▼早朝、まず、海上保安庁の信頼する幹部と電話で話した。
 そして、独研のY秘書と朝食をとり、タクシーで、今回の出張任務の現場へ入った。
 午前、独研(独立総合研究所)の社員たち、それに外部の最良の人材とも力を合わせて、その仕事を遂行し、昼、ふたたび海上保安庁の高級幹部と電話で話した。
 この時点で、ビデオについて報道ぶりは新聞もテレビも事実とは違っている部分があることを確認した。

 テレビ朝日の夕方の報道番組「スーパーJチャンネル」から、生放送への参加(出演)依頼が来たが、福井で実務遂行中だから、もちろん不可能。
 独研の秘書室がいったん、お断わりした。
 すると、電話でのコメント収録ではどうか、という打診になった。国民は真相に近づくべきだと考え、その時点で確認できた範囲だけを電話でお話しした。
 その後、関西テレビの福知山(京都府)駐在のカメラマンが片道1時間半をかけて、福井に来られた。カメラのまえで、先ほどと同じように、確信できることだけを話した。
 これで昼は終わり。昼休みは全部なくなった。

 すぐ午後の実務に戻り、再びみんなと力を合わせて、完遂。
 夜、ぼくはひとり特急列車で福井県から石川県に入り、小松空港から空路で帰京。
 列車の車中と機内、それに空港の超満員の待合室で、東京コンフィデンシャル・レポートの次号を書き続ける。
 正直、眠りたい。書きながら、2分か3分の仮眠を数回とる。これだけでも、ずいぶんと違う。力が回復する。ただし1時間ほどしか持たないから、また2分ほど仮眠する。この繰り返し。
 おれは猫か。
 猫はキャットスリープを上手に使って、しなやかに生きている。おまえ、猫に失礼だよ。ふは。


▼夜10時過ぎ、自宅にたどり着くと、毎日放送の情報番組「知っとこ」から電話取材。同じ姿勢で応じる。

 終わった直後、海上保安庁のきわめて良心的な高級幹部から携帯に電話。11時を超えて話していると、話している携帯に、ほかから電話がかかっているサインが出る。
 警察の機密情報漏洩をめぐって政府当局者から電話がかかってきたのかもしれないと考え、いったん海保幹部との電話を切ると、その電話はTBSの「サンデーモーニング」という番組だった。
 この番組からは、コメント収録の依頼が来ているのだが、電話は、その依頼の範囲内をはるかに超えて、尖閣ビデオの性質(いつ撮られたか、いつ編集されたか、どこの誰に渡っていたか)をめぐって詳細に、聞かれるものだった。この番組からは、同じことをめぐって繰り返し繰り返し、取材された。
 聞かれた以上は、ベストを尽くして、ほんとうのことを答えたい。

 その電話がようやく終わると、今度はフジテレビの「知りたがり」という番組からかかってきた。


▼明けて11月6日土曜になり、なにもかもが多忙を極めていたが、かねて独研の秘書室から予約の入れてあった耳鼻科に向かった。
 ここのドクターは、声帯の専門家としてアメリカでも知られている。
 ぼくの声は、滅多にぼくを褒めない母が「あんたの声は通る。どこでも隅々まで通る」と言っていた。自分ではおのれの声が好きではない。ただ、講演会の最初に、「みなさん、こんにちは」と呼びかけるとき、会場が広くても最後列の隅の人まで反応があるのが好きだった。

 ところが、講演が年に100回を超え、今のように120回ほどにもなると、声が潰れて、かすれたりするようになった。
 特に、講演の後半になると、聴衆のかたがたともっと直接に触れあいたい気持ちが高まって、マイクを離してしまったり、気づいたらスイッチを切っていたりで、肉声を張りあげて会場の隅々にまで届かせようとする無茶をやってしまうことがあるので、声帯に負担がかかる。

 そこで、この声帯専門ドクターに何度も予約を入れてきたのだけど、すべて、忙しくて直前にキャンセルしてきた。
 だから今日ばかりは行きたかった。第一、病院に申し訳ない。

 診察を受けて、自分の声帯を初めて見た。
 ドクターがマイクロカメラを喉の奥に入れるのは苦しかった。そもそも子供の頃から、鼻や喉に医師がなにかを入れるのが苦手で、むせてしまう。
 しかし声帯を見たのは、なかなか貴重な体験だった。
 一対のダークグレーの襞(ひだ)が、凄いスピードで細かく振動している。ドクターによると、「1秒に120回以上、振動しています」ということで、すこし驚く。

 ドクターは「声帯はきれいです。ポリープもありません。すこし、むくみはあるけど、心配ない。どしどし声を使ってください」とおっしゃった。
 ぼくが「はぁ、そうですか。何もしなくて、いいんですね」と答えると、「治療は要らないけど、講演の前と後には水をとっているでしょうね」
「いや、講演の時は集中しているので、何も飲まないことが多いです」と答えると、「それは駄目です。水をしっかり飲んでください」ということだった。

 そしてドクターは「青山さん、風邪を引いていますよ。だから検査もかなりやりにくかった」とおっしゃる。
「え? ほんとですか。何も気がつかないですけど」
 ドクターは笑って「いや、しっかり引いています。ふつうなら休むでしょう、こんなに風邪を引いていたら」
 ははぁ、そうですか。実際、なにも気づかなかった。


▼病院を出て、街角から、TBS「サンデーモーニング」のディレクターに電話。
 番組に出るわけではないのだけど、電話取材を受けたときに聞かれて、ぼくが答えたことには責任がある。
 ぼくがゆうべ答えた中身は、今朝(土曜の朝)の各紙朝刊と食い違っている。
 そこで確認取材を海保、検察、そして他の政府当局者に試みると、やはり、ゆうべの答えで正しいと考えるほかない。
 それを、このTBSの社会部出身の、優秀で熱心な感じの若手ディレクターに伝えた。

 この土曜日に、TBSの「朝ズバッ」という番組からも出演依頼が、独研の総務部に来た。
 これまで、ご縁のなかった番組から次から次へと連絡があるのは、すべて、福井から電話でコメント収録をしたテレビ朝日「スーパーJチャンネル」の放送を見てのことだという。
 しかし、ぼくはこの放送のとき福井県にいたから、この放送を見ていないし、そもそもふだんから、自分の喋っている場面など見る趣味はないので、ほとんど見ない。
 だから詳しいことは分からないが、どうやら、ぼくの話が新聞、テレビの一般的な報道ぶりと違っているから、らしいと分かる。

 土曜日はこのあと、海保、検察、そのほかの政府当局者に断続的に電話して、あるいは電話を受けて、事実を確認し、議論をし、提案をすることを続ける。
 扶桑社から出版予定の「ぼくらの祖国」の原稿の仕上げに、この週末は集中するはずが、またしても執筆時間がまったく取れない。
 一方で、危機のさなかにあっても真実をしっかり伝えてくれる良心的な海保幹部らに、深く感謝した。

 夜8時20分ごろ、TBSに入る。
 警備員のひとに、「こんな夜に見学にやってきた、おかしな人物」と誤認される。ふひ。
 収録が終わったのは、10時に近かった。正確には、9時50分だった。
 ぼくは、ディレクターの質問にすべて答えつつ、事件の背景をしっかり話そうと努めた。
 あの映像は、ほんらいは公開が前提だった。それが機密情報になってしまったのは、中国の容疑船長を放免してしまったからであり、映像を国民と世界が見れば「放免が間違いだ」と誰でも、保守もリベラルもなにも関係なく、分かる、分かってしまうからこそ機密にして封じ込めようとした。その本質こそ、報道されねばならない。

 しかし、どこが使われるかはまったく分からない。収録に応じる以上は、編集権はテレビ局にある。いつも言っている通りだ。
 この収録のあと、同じTBSの「朝ズバッ」のディレクターに会う。


▼疲れて帰宅、仕事と仮眠を繰り返すうち、11月7日日曜の夜明け前になる。
 まだ真っ暗だけど、青山繁子(ポメラニアン)が、散歩に連れて行ってほしいモード全開なので、散歩に出る。
 繁子、たいへんに喜ぶ。はしゃぐ。
 ぼくは、どうしてこんなにこいつを愛しているか。それは小さいからだ。無力だからだ。
 父性愛が強いよなぁと、おのれに感じることがある。ぼくに護られなければ生きていけないちいさき繁子に、ずいぶんと疲れを薄めてもらった。ありがと、シゲコ。もっと一緒にいたいよね。


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