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海の見える丘へ

2014年08月05日 | Weblog
 ぼくの背骨をつくってくれた母の葬儀は、8月2日の土曜に、日本キリスト改革派恵泉(けいせん)教会の牧師さまが神戸から遠路来てくださって、、都内の斎場で執り行いました。
 仏式の通夜にあたる「前夜式」(あるいは前夜祭)も、1日金曜の夜に、同じ牧師さまのもと行いました。

 とても沢山の弔意、供花、電報をいただき、そして前夜式、葬儀とも、数多くの参列をいただき、こころ深くから感謝しています。

 母は今、ちいさな骨のカケラとなって、ぼくの仕事部屋に設(しつら)えられた祭壇で、十字架のある骨壺のなかにいます。
 やがて、教会と牧師さまのご準備が整えば、神戸の海が見えるプロテスタントの共同墓地に葬ります。

 仏教徒だった亡き父と、クリスチャンの母が再会して永遠に共に安らげるようにするには、一体どうしたらいいのか。
 父は、青山家のふつうの仏式のお墓に入っています。
 母にそこに入ってもらうことは、母の遺志に反します。
 それが、ぼくら肉親にとって悩みでした。

 ぼくは、現役社長のまま医療ミスで突然に死去した父が諦められずに、その遺髪を長年、ぼくの仕事部屋に祀って祈りを捧げてきました。
 この遺髪を、棺の母の顔のそばに入れて共に焼き、そうして一緒に、目には見えないけどしっかりと一緒に、神戸の海が見える丘に入ってもらうこととしました。



 肉親を亡くされた方がおそらくは皆、そうでありますように、ぼくにも悔いがあります。
 いわば直近の悔いで申せば、一度でも、ぼくらが自主開催している独立講演会に来て欲しかった。
 そして、新刊の「死ぬ理由、生きる理由 英霊の渇く島に問う」を読んで欲しかった。
 前夜式と、葬儀と、二日間にわたって牧師さまが読み上げてくださった文章、それは母が恵泉教会の文集に寄せた一文でした。
 ぼくも初めて眼にした文章でありました。
 その見事な文章力、構成力に感嘆し、そのなかに「戦中、戦後に苦労された方々」という言葉もありました。
 病床の母は、ぼくがすこしだけ語る硫黄島のことを、息を詰めて聴き入っていました。
 硫黄島をめぐる、今の段階でのささやかな集大成とも言うべき新刊は、枕元へ届けたかったです。

 みなさんには、まもなく8月12日から、新刊は届きます。
 そして独立講演会は、8月31日にお目にかかります。

 願わくば、ぼくに幼い頃からたくさんの本を読む機会を与えてくれた母には、小説の新作も届けたかった。
 それから、みんなに読まれ続けている「ぼくらの祖国」も、もう一度、手に取ってみて欲しかった。
 母の病室にあった、ぼくの本はすべて棺に入れて焼きました。
 青山千春博士との共著の「海と女とメタンハイドレート」などもそうです。
 そうやって天国へ持って行ってもらったのですが、なぜか、「ぼくらの祖国」だけは見当たらなかったのです。
 母が入院先で誰かに貸して、そのままになっているのでしょうが、ふと、「ぼくらの祖国」だけは、灰にもされずに元のまま天国へ持ち帰れるように、母があらかじめ隠しておいてくれたのかなと思わず、夢想もしたのでした。