Our World Time

不肖ながら、ほんのすこしだけ、かけらだけ、日本を背負って

2012年12月09日 | Weblog


*日々の点描 オン・ボード その5
【12月4日火曜/続き】







▼サンフランシスコの街中のホテルにチェックインし、先にシスコ入りしていた独研(独立総合研究所)の戦う自然科学部長、青山千春博士と、研究員とに合流する。

 シスコと日本は、時差が実に17時間ある。要は、世界でいちばん、日本との時差が激しいところだ。
 だからシスコに入ると、時間が大きく逆戻りして、12月4日火曜の夕刻になっている。つまり、東京都内で連続講演をやっていた時間に、いわばタイムマシーンのように戻る感覚だ。

 別の見方をすると、日本での新しい時間が、おのれの今いる場所よりずっと先にどんどん進んでいくことになる。
 こういう海外出張というのは、毎回、かなり苦しい面もある。
 日本での複雑な仕事の局面がそれぞれ先へ、先へ進んでいくから、常に、現地での仕事に合わせて海の向こうの日本に対処せねばならないから。

 …と言ってもまぁ、慣れてはいるから、ストレスは、ほぼない。
 それより、とにかく海外に出て、感覚がリフレッシュされていて、なんやら快適だ。


▼シスコに着いてすぐ、明日の朝にはもう、資源や地震、環境といった地球科学をめぐる世界最大の学会、AGU(地球物理学連合)のオーラル・セッションで、口頭発表をしなければならない。
 発表時間はみな、15分間に制限されている。
 なにせ世界中から、2万人を超える第一線の学者と研究者が、どっと詰めかけている。

 ふつうは、その15分間をフルに話してしまうのではなく、最後に質問を受ける時間を残す。
 その質問タイムを作るためにも、予行演習がやはり必要だ。


▼国際学会でいつも、すこし驚くことがひとつある。
 学者・研究者のなかには、質問を封じるために、15分を超過気味に話すひと、あるいは質問者をサクラで用意しておいて、あらかじめ分かっている質問だけを受けようとするひとがいる。

 ぼくは最初、そんなことは分からなかった。
 学者の世界で生きてきたのではないからだ。
 しかし、狭い学者の世界で良心的に生きようとしているひとたちと、ご飯を食べたり酒を酌み交わしているうちに、そうしたことをよく聞き、やがて、実際の学会発表で「ああ、この発表が質問封じなんだなぁ」」と分かったり、「これはサクラの質問かな」と思うときが出てくる。
 そうしたとき他の学者に聞くと、「あれは、もちろん、そうですよっ」という明快な返事だ。

 うーむ、何のための学問、何のための研究なのか。
 そして、うーむ、こういう学者は、すくなくともぼくは日本からの発表者以外には、見たことがない。
 アメリカやヨーロッパからの学者は、質問を待ち構えていて、短い時間であっても意味のある質疑、議論を自在に展開しているひとが多い。
 英語力への不安もあるのかもしれないけど、日本社会で、保身や虚栄が先行していて、本来の目的を見失うことが少なくないことと関係があると考えるほかない。

 独研(独立総合研究所)がふだん、日本の既得権益の勢力から受けている圧力や嫌がらせなどなどと、根っこは同じだろう。
 だからといって、日本にがっかりするのでは、全くない。
 戦う目標が、より、はっきりして、やる気が余計に満ちてくる。
 無理をしているのでは、ありませぬ。
 なんだか、すがすがしい気分すらする。人間、何をやればいいのか分かることほど、気持ちのいいことはない。


▼当たり前だけど、ぼくは質問を受けたいので、ボリュームたっぷりの発表内容がコンパクトに収まるように、まずは、独研シスコ3人組で、内容を再検討する。
 しかし青山千春博士も、研究員も一方で、ぼくが事前準備を克明にやるより、自由な余白をむしろ残しておき、本番の集中力を高めるタイプだということが、よーく分かっている。
 だから過剰な介入は、しないでいてくれる。
 あっさりした打ち合わせを終えて、ぼくは、一度だけ声に出して、発表をひとり、やってみた。

 オーラル・セッションで発表する学者・研究者は誰でも、あらかじめAGU事務局に提出してある文字と画像を、発表会場でプロジェクターに大きく映し出すのだけど、その画面にはない補足、というより根っこにある核心を、その場で自然に話したい。
 なぜか。
 画面をなぞるだけの発表だと、聴いている側は関心が薄れてしまう。寝ちゃう人もいる。
 なにせ、次から次へと15分ごとに発表が続くのだから。


▼AGUは完全な自然科学系、理系の学会だけど、ぼくの発表内容は前回(2010年)も今回も、理系と文系、自然科学と社会科学の境界線を考えている内容で、AGUもその意義を認めてくれて事前審査を通り、発表予定が公式登録されている。

 日本海のメタンハイドレートによって、日本国だけではなくアジアに希望をもたらすためには、どんな科学的アプローチと社会的アプローチを実践するかという内容だ。
 どんなアプローチが考えられるか、という評論風の発表じゃない。
 いま実際にどう具体的に実践しているか、それをどう現実に発展させるか、という発表だ。

 だから聴衆にちゃんと聴いてもらわねばならない。
 資料の読み上げのような硬直した発表には、したくない。


▼ひとりでの予行演習は、一度だけにして、あとは頭を自在に遊ばせて、単なる読み上げをいかに脱するかを、考えていくうち、どんどん朝が近づいてきた。
 時差ぼけの影響は、正直、ある。
 かつて1日1国というスケジュールで、ひとり、世界を廻っているころは、時差ぼけもまったく感じなくなっていた。
 今は、日本で欠席しにくい仕事が増えているから、そんなことできない。
 たまにしか海外に出ないから、かつてよりずっと、時差ぼけが出てくる。
 しかしまぁ、これも、まさしく想定内。さしたることはない。


▼シスコに到着していきなり、こうしてパソコンに向かい合っていると、やはり思い出されるのは、去年に同じクリスマス・シーズンのシスコで、「ぼくらの祖国」(扶桑社)を学会と同時進行で、渾身で、ほんとうはね、ふひ、死ぬ思いで仕上げていたときのことだ。
 あの苦しさは、もう二度と嫌だけど、あの集中力は物書きとしても、もう一度、発揮したいな。
 AGUでの発表が早期に終わるということは、物書きとして、日本とは違う環境でリ・スタートできそうだということでもある。

 うん、だから、わくわく。
 日本で進行中の総選挙も、憲法がすくなくとも議論はされている初めての総選挙だから、わくわく。

 ダブルわくわくは愉しい。
 ただし、AGUの発表が終わったらすぐに、まずは、独研が会員に向けて配信している「東京コンフィデンシャル・レポート」を仕上げて、シスコから送らねば。
世界も日本も、この瞬間もどんどん動いているのだから。


*写真は、■シスコの夜のケーブルカー通り。■AGU会場のもの凄い学者と研究者の群れ。■そして、ぼくも発表する会場の前で学者・研究者が発表予定を熱心にチェックしている。どの発表を聴くか選ぶのも大切だ。■貼り出された発表予定。世界の人々とともに、ぼくの名もあります。なかったら、えれーことだぎゃ。■ふんふん、ちゃんとあるなぁ、ひと安心という感じ。