*日々の点描 オン・ボード その3
【12月3日月曜 続き】
▼未明から明け方へ向けて、予定外に本を読み終えてしまった。
それは、この世に現れた、滅多にない尊い書物だ。
急逝なさった流通ジャーナリストの金子哲雄さんが、稀な異種の肺ガンの告知を受けてから、現世を去るまでを、みずから、一歩一歩その足取りを来世へ固めていくように綴られた本だ。
金子さんが最後の一呼吸を吸って、もはや吐き出さず、ふっと違う世界へ転じられた、その瞬間は、奥さまが、たとえようもないほど端正な筆致で描かれている。
誰しも、この書を読むひとは、その生涯を通じて忘れられない本になるだろう。
金子さん、みんなが読んでいますよ。よかったですね。報われましたよ。これからもずっと報われますよ。
▼明け方に近く、短い仮眠をとる。
金子さんの本で、夢のなかは、いっぱい。
ある若い、素晴らしい人材から「ガンの可能性を医師に言われました」とだけ聞いて…その後に音信不通になっているひとがいて、夢のなかで探し続ける。
ぼくは去年の2月に大腸ガンを手術した。しかしガンはあまりに様々で、おのれの体験から軽々に推し量ってはいけない。ぼくが死に直面したのは、手術のあとの腸閉塞であって、ガンそのものはⅠ期で、そのⅠ期のなかでもごく初期だった。
正直、おのれの今後より、周りのたいせつなひとたちに次から次へと起きるガンの告知や、あるいはガンをめぐる精密検査の決定に、浅い仮眠のなかで、うなされていた。
▼夜明けのあと、おのれの体を励まして起き出し、AGU(地球物理学連合)の発表の準備や、会員に向けて発信しているレポート(東京コンフィデンシャル・レポート)の執筆を続ける。
そのなかで総選挙をめぐってEメールと電話が、ひっきりなしに繰り返される。
そして午前11時前、きょうもY秘書とともにロータスで羽田へ。
羽田から福岡へ向かう。
ロータス・サウンドが、心身の淀みをきれいにしてくれる。ほんとに好きだな、ドライヴィング。
夕刻から、RKB毎日放送の選挙特番の生放送に参加(出演)する。
福岡が本拠の老舗(しにせ)放送局、RKB毎日とのおつきあいが、ラジオ番組への電話参加(出演)は、実は記者時代から続いている。
今は、毎週水曜朝に、人気キャスター中西一清さんの「スタミナラジオ」に電話参加している。
しかしテレビは、これが初めてだ。
福岡に着き、タクシーで局へ。
テレビ局というのは、不思議なほど、局によって何もかもやり方が違う。しかしラジオディレクターのSさんが丁寧にアテンドしてくださったこともあって、まったく問題ない。快適だ。
Sさんとは、こないだ、博多のライブハウスで、ギター・デュオのライブをやった。
聴衆は、独研の「インディペンデント・クラブ」(IDC)の会員のみなさん。
聴衆がもう入り口で待ってらっしゃるなかで、初めて音合わせと練習をわずかにやるという無茶ぶりだったけど、ミュージシャンでもあるSディレクターに助けてもらった。
▼さて、生放送が始まると、居並ぶ7党(12党のうち参加は、福岡県で小選挙区の候補者を擁立していることなどの条件に合う7党)の政治家たちと、子育て、景気、金融政策、、メタンハイドレート、原発政策などなどを、ぼくなりに考え、考え、議論した。
ぼくと一緒に、政治学の泰斗の高名な学者と、サンデー毎日の編集長のお二人が参加されていた。
番組の最後にキャスターから、「さ、青山さん、今日のまとめを」と問われた。
街頭インタビューの有権者が、世代を超えて「領土問題」「外交」を総選挙の最大の争点に据えている人が何人もいて、目の前が開けるように明るい気持ちになったことを、ありのままに話した。
▼番組が終わると即、福岡空港に向かい、Y秘書とおいしい博多ラーメンを食べて機内へ。
24歳のY秘書は、これが福岡初上陸だった。
あっという間の日帰り出張だけど、楽しそうに仕事をしてくれるので、救われる。
▼帰京して仕事部屋に入ると、今日ももう夜10時を回っている。
朝までに、AGUで発表する内容の仕上げを終えねばならない。
遅れたら、AGU事務局への登録ができなくなり、口頭発表がドタキャンになってしまう。
荷物のパッキングを少しづつやりながら、頭をなるべく自由自在に遊ばせるようにして、発表内容を仕上げていく。
残念ながら、自宅へ戻って青山繁子、ポメラニアンの繁子ちゃんと触れあう時間はない。繁子当番を引き受けてくれた次男に任せる。
出国までに、入院中の母を見舞いたかったけど、それも無理。
ちと、つらい。
【12月4日火曜】
▼ほぼ徹夜のまま、朝9時半に、RKB毎日放送「スタミナラジオ」の収録を電話でやる。
すこし疲労の影響があって、話しぶりはいつもよりさらに下手だったけど、なんとかリスナーに伝えるべきを伝えようと努める。
今週は、北朝鮮のミサイル発射準備のために、野田総理の思惑が外れた、という事実を話した。
総選挙の投票日までに、北朝鮮との「拉致をめぐって再調査」というナンチャッテ裏合意を、表に出して発表する手はずを進めていたのが、北朝鮮の突然のミサイル騒動で潰れたのだ。
この再調査は拉致被害者に有害だから、妙な動きが結果的に避けられたとも言えるし、同時に、拉致事件が総選挙の重大争点に浮上する機会も生まれなかったとも言える。
収録のあと、耐えがたい眠気をふり払い、おのれを励まし励まし、AGUの発表内容を完成させた。
これで、わたしたちの祖国を資源大国として、アジアと世界に新たに貢献できる国になる道筋の、最初の一歩を世界の学者にアピールする試みができる。
アピールする、なんて僭越なことは申しませぬ。
とにかく試みることだけは、できそうだ。
重い荷物のパッキングも終わった。
さぁ、シスコだ。
去年12月のシスコは、AGUへの参加とともに、「ぼくらの祖国」をどうしても年内に脱稿せねばならない、年内脱稿ができなければ出版自体が取りやめになるという、ぎりぎりの断崖絶壁のような日々だった。
ほんとうに苦しかった。刻々、苦しみ抜いた。
ことしは、それはない。
ただ、別の見方をすれば、あれからちょうど1年、新しい本を出していないということだ。
これでは、プロの物書きの名が泣く。
ことしのAGU出張では、みんなが寝静まった夜中に、小説の仕上げに着手したい。もう7年か8年か、あと少しの仕上げをせずに置いていた短編小説だ。
▼「ぼくらの祖国」(扶桑社)は、かろうじてロングセラーの一角に踏みとどまって、読み続けられている。
先日に、高木健治郎さんという大学の先生が、Eメールをくださり、なんと「ぼくらの祖国」をゼミで使っていますという連絡をいただいた。
「ぼくらの祖国」を教育の現場で活かしてください、という僭越だけど切なる願いを、かつてこのブログで記したら、びっくりするぐらいの積極的な反響があった。
だけど、実際には、小学校から大学まで、話だけは出て、具体的にはまとまらず実現していない。
祖国を教育現場で語ることには、まだまだ強い抵抗もあるようだ。
そのなかの高木先生からの知らせ、疲れがすこし遠のくぐらい、嬉しかった。
この方のブログには、その詳しい授業内容が、克明に、誠実に記録されている。
▼パッキングのあと、会員制レポート「東京コンフィデンシャル・レポート」を書き続けていたら、もう午後2時半が近づいてくる
2時半に出発して、今日は都内の講演に回り、なんと講演をふたつ遂行してから、深夜の羽田に行き、零時過ぎの深夜便で、シスコに向かう。
ちょっと頭がくらくらするような日程だ。
中央突破しかありませぬ。ふひ。
【12月3日月曜 続き】
▼未明から明け方へ向けて、予定外に本を読み終えてしまった。
それは、この世に現れた、滅多にない尊い書物だ。
急逝なさった流通ジャーナリストの金子哲雄さんが、稀な異種の肺ガンの告知を受けてから、現世を去るまでを、みずから、一歩一歩その足取りを来世へ固めていくように綴られた本だ。
金子さんが最後の一呼吸を吸って、もはや吐き出さず、ふっと違う世界へ転じられた、その瞬間は、奥さまが、たとえようもないほど端正な筆致で描かれている。
誰しも、この書を読むひとは、その生涯を通じて忘れられない本になるだろう。
金子さん、みんなが読んでいますよ。よかったですね。報われましたよ。これからもずっと報われますよ。
▼明け方に近く、短い仮眠をとる。
金子さんの本で、夢のなかは、いっぱい。
ある若い、素晴らしい人材から「ガンの可能性を医師に言われました」とだけ聞いて…その後に音信不通になっているひとがいて、夢のなかで探し続ける。
ぼくは去年の2月に大腸ガンを手術した。しかしガンはあまりに様々で、おのれの体験から軽々に推し量ってはいけない。ぼくが死に直面したのは、手術のあとの腸閉塞であって、ガンそのものはⅠ期で、そのⅠ期のなかでもごく初期だった。
正直、おのれの今後より、周りのたいせつなひとたちに次から次へと起きるガンの告知や、あるいはガンをめぐる精密検査の決定に、浅い仮眠のなかで、うなされていた。
▼夜明けのあと、おのれの体を励まして起き出し、AGU(地球物理学連合)の発表の準備や、会員に向けて発信しているレポート(東京コンフィデンシャル・レポート)の執筆を続ける。
そのなかで総選挙をめぐってEメールと電話が、ひっきりなしに繰り返される。
そして午前11時前、きょうもY秘書とともにロータスで羽田へ。
羽田から福岡へ向かう。
ロータス・サウンドが、心身の淀みをきれいにしてくれる。ほんとに好きだな、ドライヴィング。
夕刻から、RKB毎日放送の選挙特番の生放送に参加(出演)する。
福岡が本拠の老舗(しにせ)放送局、RKB毎日とのおつきあいが、ラジオ番組への電話参加(出演)は、実は記者時代から続いている。
今は、毎週水曜朝に、人気キャスター中西一清さんの「スタミナラジオ」に電話参加している。
しかしテレビは、これが初めてだ。
福岡に着き、タクシーで局へ。
テレビ局というのは、不思議なほど、局によって何もかもやり方が違う。しかしラジオディレクターのSさんが丁寧にアテンドしてくださったこともあって、まったく問題ない。快適だ。
Sさんとは、こないだ、博多のライブハウスで、ギター・デュオのライブをやった。
聴衆は、独研の「インディペンデント・クラブ」(IDC)の会員のみなさん。
聴衆がもう入り口で待ってらっしゃるなかで、初めて音合わせと練習をわずかにやるという無茶ぶりだったけど、ミュージシャンでもあるSディレクターに助けてもらった。
▼さて、生放送が始まると、居並ぶ7党(12党のうち参加は、福岡県で小選挙区の候補者を擁立していることなどの条件に合う7党)の政治家たちと、子育て、景気、金融政策、、メタンハイドレート、原発政策などなどを、ぼくなりに考え、考え、議論した。
ぼくと一緒に、政治学の泰斗の高名な学者と、サンデー毎日の編集長のお二人が参加されていた。
番組の最後にキャスターから、「さ、青山さん、今日のまとめを」と問われた。
街頭インタビューの有権者が、世代を超えて「領土問題」「外交」を総選挙の最大の争点に据えている人が何人もいて、目の前が開けるように明るい気持ちになったことを、ありのままに話した。
▼番組が終わると即、福岡空港に向かい、Y秘書とおいしい博多ラーメンを食べて機内へ。
24歳のY秘書は、これが福岡初上陸だった。
あっという間の日帰り出張だけど、楽しそうに仕事をしてくれるので、救われる。
▼帰京して仕事部屋に入ると、今日ももう夜10時を回っている。
朝までに、AGUで発表する内容の仕上げを終えねばならない。
遅れたら、AGU事務局への登録ができなくなり、口頭発表がドタキャンになってしまう。
荷物のパッキングを少しづつやりながら、頭をなるべく自由自在に遊ばせるようにして、発表内容を仕上げていく。
残念ながら、自宅へ戻って青山繁子、ポメラニアンの繁子ちゃんと触れあう時間はない。繁子当番を引き受けてくれた次男に任せる。
出国までに、入院中の母を見舞いたかったけど、それも無理。
ちと、つらい。
【12月4日火曜】
▼ほぼ徹夜のまま、朝9時半に、RKB毎日放送「スタミナラジオ」の収録を電話でやる。
すこし疲労の影響があって、話しぶりはいつもよりさらに下手だったけど、なんとかリスナーに伝えるべきを伝えようと努める。
今週は、北朝鮮のミサイル発射準備のために、野田総理の思惑が外れた、という事実を話した。
総選挙の投票日までに、北朝鮮との「拉致をめぐって再調査」というナンチャッテ裏合意を、表に出して発表する手はずを進めていたのが、北朝鮮の突然のミサイル騒動で潰れたのだ。
この再調査は拉致被害者に有害だから、妙な動きが結果的に避けられたとも言えるし、同時に、拉致事件が総選挙の重大争点に浮上する機会も生まれなかったとも言える。
収録のあと、耐えがたい眠気をふり払い、おのれを励まし励まし、AGUの発表内容を完成させた。
これで、わたしたちの祖国を資源大国として、アジアと世界に新たに貢献できる国になる道筋の、最初の一歩を世界の学者にアピールする試みができる。
アピールする、なんて僭越なことは申しませぬ。
とにかく試みることだけは、できそうだ。
重い荷物のパッキングも終わった。
さぁ、シスコだ。
去年12月のシスコは、AGUへの参加とともに、「ぼくらの祖国」をどうしても年内に脱稿せねばならない、年内脱稿ができなければ出版自体が取りやめになるという、ぎりぎりの断崖絶壁のような日々だった。
ほんとうに苦しかった。刻々、苦しみ抜いた。
ことしは、それはない。
ただ、別の見方をすれば、あれからちょうど1年、新しい本を出していないということだ。
これでは、プロの物書きの名が泣く。
ことしのAGU出張では、みんなが寝静まった夜中に、小説の仕上げに着手したい。もう7年か8年か、あと少しの仕上げをせずに置いていた短編小説だ。
▼「ぼくらの祖国」(扶桑社)は、かろうじてロングセラーの一角に踏みとどまって、読み続けられている。
先日に、高木健治郎さんという大学の先生が、Eメールをくださり、なんと「ぼくらの祖国」をゼミで使っていますという連絡をいただいた。
「ぼくらの祖国」を教育の現場で活かしてください、という僭越だけど切なる願いを、かつてこのブログで記したら、びっくりするぐらいの積極的な反響があった。
だけど、実際には、小学校から大学まで、話だけは出て、具体的にはまとまらず実現していない。
祖国を教育現場で語ることには、まだまだ強い抵抗もあるようだ。
そのなかの高木先生からの知らせ、疲れがすこし遠のくぐらい、嬉しかった。
この方のブログには、その詳しい授業内容が、克明に、誠実に記録されている。
▼パッキングのあと、会員制レポート「東京コンフィデンシャル・レポート」を書き続けていたら、もう午後2時半が近づいてくる
2時半に出発して、今日は都内の講演に回り、なんと講演をふたつ遂行してから、深夜の羽田に行き、零時過ぎの深夜便で、シスコに向かう。
ちょっと頭がくらくらするような日程だ。
中央突破しかありませぬ。ふひ。