「ゆるパッカー」アジアの涅槃仏に感動 タイの首都バンコクにある寝釈迦について その2

2019年11月20日 | 海外旅行
 前回(→こちら)の続き。
 
 タイの首都バンコクにある涅槃仏が好きである。
 
 全長49メートル、高さ12メートルの巨大仏がこちらを圧倒するように、どーんと寝ている
 
 「ゆるキャン△」ならぬ「ゆるパッカー」を自認する私は、その圧倒的ゆるゆるなビジュアルに感動することしきりだ。
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  イスラムでは
 
 「偶像崇拝はよくない」
 
 といっているのに、仏教ではその偶像が、のんびりとになっている。 
 
 ある意味すごく深いユーモアであり、どこか風刺めいているといえなくもない。
 
 考えてみれば、ブッダなんて悟りがどうとかおっしゃってるが、そもそも金持ちのボンボンだし、修行をしていたがさっぱり道が開けず、
 
 
 「あかんなー、厳しい修行しても、しんどいだけで、なんも生まれまへんなあ」
 
 
 なんて、万年1回戦敗退の運動部員みたいなボヤきを入れる始末。
 
 休憩でもしょうかと木陰で休んでいたら、女の子が冷たい牛乳を運んできてくれて、「こら、ありがたい」とゴクゴク飲んで、
 
 
 「プッハー! 修行のあとの一杯、これが最高やな。あ、もしかして、今の気分が『悟り』っていうんじゃね?」
 
 
 という、ほとんど仕事帰りのビアホールか、サウナ上がりのビックル一気飲みみたいなノリで「解脱」に成功したのである。そんなんで、ええんかいな。
 
 仏教というのは超私的解釈では、
 
 
 「ボンクラ青年の生涯ニート宣言」 
 
 
 みたいなものであり、こんなもん、ひいきにせずにはいられないではないか。
 
 こうして私は仏教徒ではないが、タイ旅行以来「仏教ファン」になったのである。
 
 ただ、こういった「ファン活動」は、あまり賛成の意をくんでいただけることがない
 
 というか、そもそも寝釈迦というのはあまり人気のスポットではなく、さほど旅行者の心を打たないようなのだ。
 
 聞いてみても、「あー、なんかな像でしょ」なんていってすましている。
 
 エメラルド寺院の仏像や王宮の荘厳さについては語ってくれるが、寝釈迦についてはなかばスルー
 
 どうにも反応が、いまひとつである。というか、ここまで寝釈迦に熱い男が私だけのようなのだ。
 
 あのゆるさがわからんとは、まったく日本人はムダに勤勉な民族である。ブラック企業がはびこるのもむべなるかな。
 
 そこで、外国人はあの寝釈迦についてどう考えているのか、オーストラリアの有名なガイドブック『ロンリープラネット』(英語版)が宿に置いてあったので参照してみると、そこには衝撃の記述があったのだ。
 
 「Wat Pho」の欄には、
 
 
 「ここではぜひ寝釈迦を鑑賞したい」
 
 
 とあったのだが、その寝釈迦の英訳というが、
 
 
 「Reclining Budda」
 
 
 リクライニングブッダ
  
 あの荘厳な、世界の仏教のシンボルが「リクライニング」と表現されているのだ。
 
 すごいぞ、英語のセンス。
 
 いや、訳としては間違ってないんだろうけど、それにしたって「リクライニング」はないだろ、「リクライニング」は。どんだけリラックスさせる気や!
 
 うーむ、さすがは世界のバックパッカーのバイブルともいえるロンプラ。このセンスには脱帽だ。
 
 悟りを開いたエライ人なのに、のんびりと寝ている。
 
 このギャップと、英訳のハイセンスさには感動した。
 
 もし私が大富豪になって、『サンダーバード』のような私的地球防衛軍や国際レスキュー隊を作ることになったら、ぜひこれをシンボルマークに採用したい。
 
 でもって、かっこいいハイテクメカにベタベタ貼りつけて、マヌケにゆるく出動したいものだ。
 
 

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