アレックス・ベロス『フチボウ 美しきブラジルの蹴球』を読む。
「フチボウ」とはブラジル・ポルトガル語でフットボール。つまりはサッカーのこと。
といえば、もうおわかりのように、ブラジルのサッカーについて語られた本。
英雄ペレと天才ガリンシャ、「黄金の中盤」ソクラテスのインタビューに、98年W杯決勝について語るロナウドといった本格的な記事から、リオのカーニバルとサッカーの関連性。
はたまた、熱すぎるクラブチームの成り立ちから、そこにはびこる「帝王」のような支配者の存在といった、いかにもブラジルなエピソードも満載。
しまいには、フィールドにカエルを埋めて相手チームに呪いをかけるとか、名もなき少数民族のサッカー事情など、南米文学的「マジック・リアリズム」なノリもあって、もう盛りだくさんの内容。
分厚い本だが、文体は軽妙で、どんどん読み進む内に、いつのまにかブラジルサッカーとブラジルという国にずっぱまりしている良書である。
中でも語られるべきは、ブラジルサッカーにおいて、はずすことのできないこの事件。
そう、1950年ワールドカップ・ブラジル大会決勝リーグ第3戦。ブラジル対ウルグアイ。
そう、いわゆる「マラカナンの悲劇」である。
世にいうサッカーの古豪や強豪といわれるチームは、たいてい一度は地元でワールドカップを開催し、また多くはそこで優勝を果たしている。
ウルグアイ、イタリア、イングランド、西ドイツ、アルゼンチン、フランスなどが、そのそうそうたる面々だが、意外なことにブラジルは優勝できなかった。
舞台は1950年7月16日の、エスタジオ・ド・マラカナン。
運命の一戦を前に、なんとスタジアムには20万人近い観客が詰めかけていた。
当時決勝トーナメントがなかったワールドカップでは、決勝リーグで1位になったチームが優勝というシステム。
ブラジル、ウルグアイ、スウェーデン、スペインで争われたリーグで抜け出したのが、地元ブラジル。
スペインとスウェーデンに大勝したことによって、トップをひた走り、事実上の決勝戦となる3戦目のウルグアイ戦に勝てばもちろんのこと、引き分けでも優勝が決まるという状況だった。
地元ということもあって、圧倒的に有利と思われたブラジルは、後半開始すぐに先制点を奪う。
ふつうに見れば、もう大会はおしまいである。
20万の観客、いやブラジル国民の歓喜は、ここに絶頂に達したことだろう。
ところが、勝負というのは下駄を履くまでわからないというのが常であり、勝つしかないウルグアイは必死に攻めて、なんと後半21分に同点ゴールを奪う。
そうして悲劇の舞台は整った。
運命の時は後半の34分。
ウルグアイのギジャが放ったシュートは、無情にもGKバルボーザが懸命に伸ばす手をすり抜けて、ゴールに流れ込んでいった。
この瞬間、マラカナン・スタジアムは恐ろしいほどの静寂に包まれた。
まさかの出来事に、ただでさえ凍りついていた選手たちも、
「あれほど静まり返った瞬間というのは、後にも先にも体験したことがなかった」
というほどの、死のような静寂だったという。
まさかのうえにも、まさかの付くギジャのゴールによって、ウルグアイの劇的逆転優勝が決まった。
あまりの衝撃に、その場で2人が自殺。
ショック死する者も出るほどの、まさに二重の惨事と相成ったのである。
こうして起こってしまったブラジルの敗北は、たしかに悲しい出来事だった。
だが、ここに、さらにもうひとつ悲劇が生まれてしまう。
それは、ブラジル敗北の責任を負わされることになってしまった、マラカナンで戦っていた選手たちのことだ。
(続く)