前回の続き。
羽生善治王将(名人・棋聖・王座)に久保利明棋王が挑戦する、2010年の第59期王将戦七番勝負。
久保が3勝2敗と奪取に王手をかけて、むかえた第6局も、とうとう大詰めをむかえた。
羽生が▲64角と王手して、久保玉を詰ましにかかったところ。
ふつうは△73桂の合駒だが、それには▲同角成、△同玉、▲13竜。
久保はそこで△53角と打って不詰と読んでいたが、それは前回言った「絶品」の手順で詰まされる。
土壇場で読み負けていた久保は追いつめられるが、ここで心を折らせずに立て直せたのが、この男のすごさ。
バラバラに砕け散った読み筋を拾い集めて、再度、懸命に助かる道を探し続ける。
そこでとうとう、今度は久保にとって奇跡的な手順が見つかったのだ。
それが、桂ではなく△73銀と合駒する形。
ふつうは、こういう場面では銀より、桂馬のような「安い駒」を使うのがセオリー。
実際、接近戦ではカナ駒よりも、頭の丸い桂を渡したほうが、詰みにくく見えるものだ。
それが盲点だった。
ここでは桂を渡してはいけない。渡すなら、銀一択だったのだ。
終わったと思ったこの局面で、なんと羽生が長考に沈む。
なにがあったのか?
おそらくは読み抜けだ。
羽生はその前の▲74桂に3分、▲64角はノータイムで指している。
それを、ここで手が止まってしまうのは、明らかにおかしい。
そして、羽生の苦慮は正しかった。この局面で、なんと久保玉には詰みがないのだ!
ともかくも、先手は▲73同角成と取るしかない。
△同玉で、▲13竜。
再び、久保が選択を強いられる番。
なにを合駒する?
△53銀と打つのが、唯一無二の正解。
ここを桂だと、▲同竜から追って、後手玉が△94に逃げたときに、▲86桂と打って詰む。
△53角は、やはり▲同竜、△同金、▲62角、△82玉に、もらった銀で、▲73銀から押していけばいい。
なので、ここはまたも銀一択。
銀合に▲同竜、△同金、▲62飛成は、△84玉、▲86香に、△85角と打つのが、絶妙手で詰まないのだ!
▲同香に△94玉とかわして、▲85銀が打てないから詰まない。
ここで先手に桂があれば、△94玉に▲86桂で詰むため、「桂合」は不許可だったのだ。
そう、この将棋は最後まで、久保が勝つようにできていた。
だがそれは、
▲64角に△73銀
▲13竜に△53銀
▲86香に△85角
という、「これ一択」な限定合のタイトロープを、落ちることなく渡り切ってのこと。
そんな、スーパー難度のウルトラCが前提にあった「勝ち」だったのだ。
そんなモンスター級の難事を切り抜けて、やっと勝てるというのだから、久保の読みもすばらしいが、羽生を倒すことのむずかしさも、これでもかと伝わってくる。
しかも、この「久保勝ち」も羽生の読み抜けがあったからこそで、本当に久保からすれば、ギリギリの戦いだった。
とはいえ、もちろんここで、すべてを正確に対応できた久保もまたバケモノであり、それはどれだけ称賛しても、しすぎるということはない。
以上の手順を見れば、羽生が▲58香ではなく桂を打ったのが、なんとなく理解できる。
羽生のイメージでは、最後に▲86香と打って仕上げる算段だったのだろうが、それは詰みがない。
▲86桂とせまる筋も消えているし、根本的に修正が必要だったのだ。
正解は▲58香、△59金に▲63桂と捨てる攻めがあったとか。
△同金に▲75桂が詰めろになって、以下先手のラッシュが決まっていたという。
だがそれは、先ほども言ったがあくまで結果論で、羽生は「詰む」と見越して桂を打ったのだから、そこは言ってもしょうがない。
むしろやはり、かすかに穴の開いていた羽生の構想を見破り、それを超人的な美技で根底からひっくり返した、久保の強さこそを、たたえるべきであろう。
(久保の芸術的さばきといえばこれ)
(A級降級のピンチで見せた久保の名局はこちら)
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