新型コロナウイルスで「卒業式がなくなって悲しい」という若者と、真田圭一八段の高校時代のお話

2020年03月06日 | 時事ネタ

 「卒業式が無くなって悲しい」

 という意見に、全然ピンとこない。

 昨今、コロナウィルスのせいで、各地の学校が休みになっている。

 そのせいで、卒業式もなくなるため、そのことを残念に思う生徒が、多いんだとか。

 これには、

 

 「あー、そっちがふつうの感覚なんやー」

 

 と、わが身を振り返ってしまった。

 私はといえばこれに関して、

 「別にええやん

 としか、思わなかったからだ。

 いやあ、どうでもよかったなあ、卒業式とか。

 別に学校で、イジめられたとかではない。

 そりゃクラスに友達がいない時期や、担任の先生と反りが合わなかったこともあるけど、まあ、その程度は、だれでも似たような経験はあるだろう。

 楽しい思い出も、それなりにあるわけで、単に「嫌だったから」卒業式が、どうでもいいということでもない。

 たぶん、根本的に学校という場所が好きではないため(「強制収容所」くらいに思ってるからかな?)、そこでいい思い出があろうが無かろうが、それを「慈しむ」という感覚が希薄なのだ。

 昔『将棋世界』『将棋マガジン』だったかを読んでいるとき、まだ若手バリバリだった真田圭一八段が、高校時代の思い出を書いていたことがあった。

 その内容というのが、とにかく学校が楽しくて、仲間が最高で、先生も素晴らしく、ちょっと甘酸っぱいのドラマとかもあって。

 あのころは、なにもかもが輝いていたから今でも思い出す、とかそういったものだった。

 真田八段がみなに好かれる、陽性さわやかアニキであることは聞いていたが(団鬼六先生も本でそう書いていた)、その肯定感200%の思い出話を読んで、ずいぶんと不思議な気持ちにさせられたものだ。

 

 「世の中には、こんな、さわやかな青春時代を送っている人が、本当にいるんだなあ」

 

 そんなのは、マンガドラマの世界の話だと、思いこんでいたのだ。

 私はもともと能天気で、あんまし青春の蹉跌的な悩みもなかった。

 高校時代といえば、学校はよくサボっていたし、高2高3のときはクラスになじめなかったけど(明るいイケイケの子が多かったから話が合わなかった)、部活もやって、友達もいてもあって、それなりに楽しくはやっていた。

 でも振り返ったとき、あんな真田八段の書く、洗いたてのシャツをはおるみたいな、お日様のにおいがする肯定感はないよなあ、と。

 なんか、もうちょっとウェットというか。

 先生とかヤな奴多いし、第一、朝からずっと同じ方向を向いて、どうでもいい授業を聞いてるのを強制されるとか、まともな人間のやることじゃないよ。

 なので、

 「学校というものにポジティブなイメージを持つ」

 という感覚には、どうしてもなじめいなところがある。

 

 「ゲットーが好き」

 「刑務所が楽しい」

 「アパルトヘイトの時代に戻りたい」

 

 とか、言わないじゃん、ふつうは。

 修学旅行とか体育祭とかも、全然おぼえてないなー。

 文化祭は部活をやってたから、楽しかったけど。

 おそらくだけど、私と真田八段のような人では「青春の定義」が違うんだろう。

 真田八段たちにとってのそれは、

 

 「そのときあるもの、そのものすべてが青春の輝き」

 

 であって、私の場合は

 

 「そのお仕着せから、いかに脱却するか奮闘する」

 

 こそが、若さの出しどころだった。

 根本が違うわけだが、振り返ってみると、案外そういう子同士が友達にはなるケースもあって、そこがまた、おもしろいところだけど。

 またこういう「さわやか」な人でも、たまに

 「自分がいかに変なヤツか」

 をアピールしてくることがあって、意味不明だったけど、どうも、そういう人は人で自分が、

 「世間的に見て健全である」

 このことに、ちょっと不満があったりするケースもあるよう。

 今でも覚えているのが、20代のころ、当時よく遊んでた、ある「さわやか」グループのリーダーだった友人から、

 

 「シャロン君はオレのこと《さわやか》とか言うけど、ホンマは変人なんやで。そこをもっと見てくれよ。ガンダムとか好きやし」

 

 とか、うったえられたことあったなあ。

 いやいや、今の時代にガンダム好きなのは、まごうことなき「ふつう」ですよ!

 オレなんか友人にオウム真理教の道場連れていかされて、尊師空中浮遊するアニメ見せられてるよ!

 セリフ棒読みで、周りに信者がいたけど、笑いこらえるの大変だったよ!

 コンサートも行かされて、そこでシンセサイザーで作った、アニソンみたいな歌も聞かされたなあ。

 歌手の女の子はかわいかったけど、「変なヤツ」って、そういうイベント持ってくるヤカラのことや!(おい、テラダ、おまえのことやぞ)

 あと、本当に変な人は、自分で変とは言いません。

 人に指摘されると、ちょっとムッとしますから! あれホント、頭くるんだよなあ(←おまえのことかよ!)。

 男女問わずやさしくて、みんなに慕われて、立派な家庭も築いてるけど、案外そんなところに悩み(というほどでもないでしょうが)があるんやなあと、ほほえましくもなったもの。

 そんな人間なので、

 

 「卒業式に出られないのが悲しい」

 

 という声には今でも、

 

 「そういうもんなんやー」

 

 というマヌケな感想しか出てこないわけなのだ。

 ただ、世間のヤングたちが、それを「悲しい」と感じること自体はきっと、真田圭一さん的な良きことなので、混乱が収まったら、何らかの形で式をしてあげてほしいとは思う。

 


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