将棋 この大トン死がすごい! 谷川浩司vs高橋道雄 第13期棋王戦 その2

2018年07月29日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 前回(→こちら)の続き。

 第13期棋王戦5番勝負第2局で、谷川浩司九段が、高橋道雄棋王相手に勝利を目前にしている。

 ……と見えたのは大錯覚で、実は先手の谷川に勝ちがない局面になっているのだが、そのことに気づいていたのは、まだ誰もいなかった。

 

 


 

 

 この局面、先手玉に受けはないが、よく見ると後手玉に詰みがありそうだ。

 ▲33銀と打ちこんで、豊富な持ち駒があるから、あとは自然に王手、王手と追いかけていけば、なんとでもなりそうなのだ。

 だが、ここに錯覚があった。

 ▲33銀に△同金寄、▲同桂成

 

 

  


 
 そこで△同金と、ふつうに対応すれば▲52飛とおろして簡単だが(本譜もそこで高橋投了)、上の図から△同金と取らずに、ひょいと△13玉とかわすと、なんとこれが典型的な「王手なし」の形で詰まない

 


 

          ▲33同桂成に△13玉とかわす

 

 

 いかにも迫られている後手玉は、これが絶対に詰まない、当時なら「」、今なら「ゼット」と呼ばれる形になっているのだ。

 ▲31角は△同金なら▲23成桂と捨てて、▲24を打って迫れるが、△22合駒をされて、▲同角成△同金で次の手がない。

 

 
 

 ▲24を打ってこじあけようにも、すべて△同銀で、やはり王手がかからない。

 羽生善治や藤井聡太が頭をひねろうが、ソフトにかけようが、どうにも手のほどこしようがないのだ。

 今でいえば「銀冠の小部屋」に似た手筋で、アマ有段者でも指すだろうが、なぜか皆発見できなかった。

 このしのぎに、唯一気づいたのが、谷川浩司だった。

 ハッキリと負けの局面に一直線に突き進んでしまったのは、谷川もまたこの局面を「詰みあり」と確信していたから。

 ところが、▲33同桂成に高橋が、△同金とするところで考えていたとき、自らの致命的な見落としを発見したのだ。

 このときのことを谷川は、



 「本当はそこで投了しようかとも思ったんですが……」



 少し考えたあと(盤側は、簡単な詰みなのに、なぜすぐ指さないのかいぶかしんだそうだ)「をしのんで」詰ましたが、のちに聞いてファンはホッとしたのではあるまいか。

 ふつうなら、勝ちの場面で「投げようかと思った」と言われても、



 「またまた、気取っちゃって」

 「そんなこと言っても、絶対投げないっしょ。タイトル戦だし」



 なんて茶々を入れたくなるところだが、ことこれが谷川浩司の話となると、ちょっとばかりリアルなのだ。

 「格調が高い」というのも、ときに困りものなのである。

 ここが人同士の戦いのアヤ。

 高橋が△13玉に気づかなかったのは、谷川もまた気づいてないがゆえに「勝ちましたよ」といった雰囲気で指していたからだ、ということは想像に難くない。

 でなければ先手が、こんな一直線の負けになる順など、選ぶはずがないからだ。

 そして、もし谷川が局面の煮詰まる(高橋が投了のため気持ちをととのえる)、もっと前にミスに気づいていたら、高橋もそれを察して△13玉を発見できたことだろう。

 詰みやポカに気づいた瞬間、相手も以心伝心で気がつくというのは、高度な世界での「将棋あるある」なのだ。

 そこをウッカリという「天然」なところが、逆に相手に疑いを持たせなかった。

 谷川は「読めていなかった」からこそ勝てたわけで、そのことを「恥ずかしい」とうなだれたが、ただこれもまた実は谷川の「実力」でもある。

 かつて大山康晴名人は、こんな言葉を残した。

 

 「棋士に必要なのは信用です」



 ここでいう「信用」とは人間性ではなく棋力に対してのことで、



 「周囲に強いと認識されていたら、それだけで勝負に有利

 

 今でいえば「羽生ブランド」(どんな手でも「羽生が指したのだから、いい手にちがいない」と周囲に思わせること)のことだといえば、わかりやすいか。

 この一番でも、もし相手が周囲から「弱い」「たいしたことない」と思われていたら、高橋も

 

 「投了しなければ、いつか間違えるだろう」

 「詰ますつもりかもしれないけど、どうせ読み抜けがあるにちがいないから、ねばってやれ」



 と思うだろうから、そこでもう一度読み直し、△13玉を発見して勝っただろう。

 相手が谷川だったものだから、



 「この人が、こんな自信満々に踏みこんでくるのだから、きっと負けにちがいない



 そう思いこんでしまったところに敗因があった。

 それもこれも、「光速の寄せ」によって「信用」を積み上げてきた賜物であり「強い者」だけが得ることのできる勝ち方。

 その意味での、これは高橋のトン死ではなく、谷川の「実力」ということなのだ。

 このシリーズは3勝2敗で谷川が奪取するのだから、結果的に見ても大きな勝利だった。

 このころから谷川は安定感がグッと増した印象があり、名人復位、竜王戦で羽生に完勝、そして四冠王と、着々とその地位を固めていくこととなるのだ。

 
 (森内俊之編に続く→こちら

 

 

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