2016全仏オープン 錦織圭vsリシャール・ガスケ戦なんて、とてもまともに見られるわけないだろ!

2016年05月31日 | テニス
  「昔はよかったなあ」。

 そう深くため息をついてしまうのは、ここ数年のテニスと錦織圭を見ているせいである。

 などと切り出すと、

 「昔はよかったって、もしかしてアンチ錦織か?」

 とか、

 「いるんだよなあ。最近のテニスについていけなくて『道具の進化で勝つのはおかしい。木のラケットに戻せ』とか『フィジカルに頼りすぎる今のテニスは退屈』とかいう老害が」

 なんて、それこそため息をつかれそうだが、私は別にそういう懐古趣味者ではないし、もちろんのことアンチ錦織でもない。

 むしろその逆。日本の至宝である錦織圭の活躍を大いによろこび、「すごい時代になった」と心を震わせているからこそ、それゆえに深い、それこそマリアナ海溝よりも業の深いため息を、しみじみとついてしまうのだ。

 「嗚呼、昔はもっと、勝っても負けても錦織圭の試合を気楽に見られたのに」。

 錦織圭という選手がすばらしい才能の持ち主であることは、ジュニア時代から話には聞いていた。

 1995年全日本選手権から日本男子テニスとその低迷期を見てきた私にとって、その名前は大きな希望であった。

 この男が、今の閉塞状況を破ってくれるかもしれないと。

 それは期待通り、いや期待以上、いやいや以上どころか、はるか彼方までぶっ飛ぶ大爆発で、日本の、いやさ世界のテニス界はとんでもないことになってしまった。

 これはテニス雑誌にも書かれていたので、けっこう古参テニスファンの実感だとも思うが、錦織圭の大活躍は、

 「想定よりも速すぎる」

 というと、今の「スーパー圭」状態を見ているファンからは、

 「そうなの? 彼ほどの才能なら、これくらいは行けるっしょ!」

 そう納得されるだろうが、情けないことにファン歴的に「玄人」のはずの私は、正直ここまでとは思っていなかったのだ。

 もちろん、錦織圭が世界の上位で戦えることくらいは考えていた。18歳でトップ100に入り、デルレイビーチでツアー初優勝、着実にランキングをあげ、デ杯のナショナルチームでもエースとして君臨。

 まあ、そこくらいまでは範囲内だった。

 すべてが計算外になったは、もちろんのことあの、2014年USオープン、準決勝でジョコビッチを破っての準優勝だ。

 グランドスラムの決勝進出。こんなことが現実に起こっていいのだろうか。

 告白するが、今でも私はあの決勝戦が信じられない。

 別に錦織君の能力を疑っているわけではない。彼の実力だったら、あってもおかしくはない出来事だ。

 だが、それにしたって過去20年以上世界のテニスと日本男子の差を見せつけられてきた身からすると、どうしても実感できない。

 今でもあれは、壮大なドッキリかヴィシュヌ神が見ている長い長い夢ではないかと思えてしまうくらいなのだ。

 「予想はずし」ついでに書いてしまうと、錦織圭が世界46位という松岡修造さんの壁を超えたとき、「圭はどこまでいけるか」を想像してみたことがある。

 目標はグランドスラムでシードがつく30位以内に入れれば。

 ツアーはマスターズは難しくても、がんばれば3、4勝はいけるかな。500の大会をひとつ取れればいいなあ。デ杯では1度でいいから、悲願のワールドグループ進出。

 グランドスラムでの目標はベスト8に2、3回くらい。1回くらい、まぐれでベスト4に入ってくれたら御の字。

 キャリアハイでもトップ10は厳しいけど、一瞬くらいは15位以内に入ってくれたら、もうなにも思い残すことはない。泣いちゃうよ、オレ。

 くらいに考えていたのだ。これは周囲のテニスファンも、「それくらいかなあ」とプラマイ少々の差はあれ、似たような意見だ。

 当時としては、かなりリアルなラインだったと思う。

 それが、再びいうが、あの全米決勝からすべてがおかしくなった。いや、もちろんいい意味でだが、歯車が狂ったのはたしかだ。


 (続く→こちら




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