相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「花水川」と「花水橋」を撮る!!

2023-07-11 10:55:17 | 川・堰
花水川は丹沢山系に源を発し、大山の神奈川県の中西部を流れる二級河川金目川の下流部における別称である。西側を流れ相模湾に注ぐ金目川の流路のうち平塚市徳延付近の渋田川との合流点から相模湾に注ぐ河口までの約2.5kmの間を花水川と呼ぶ。東海道が渡っており昔は多くの人の信仰を集めた高麗寺のあった高麗山が近くにあることや更級日記に出てくる唐が原もその岸辺にあることから、それほど大きない川ながら古くからその名前は知られていた。平塚の西部を流れる「金目川」の流域にも「桜の木」が多くあり、見所は、渋田川などと合流して「花水川」となる山下の辺りから国道1号にかかる「花水橋」までの川の両岸に桜並木は名所となっている。ここの桜は古木が多く、川沿いサイクリング道路を覆っており、桜のトンネルとなる。桜見物と高麗山や丹沢の山々を眺めながらウオーキングやサイクリングにも最適のスポットでとなっている。下流には「東海道本線」、上流には「高麗大橋」が架かっている。近くには平成一里塚もある。(2307)
 
 
 
 
 




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了源上人創建の「龍頭山善福寺」

2023-07-11 07:27:50 | 寺院
神奈川県中郡大磯町高麗に宗祖・親鸞聖人常随の高弟である関東六老僧の一人、鎌倉時代の浄土真宗の僧の平塚入道了源上人=伊東四郎祐光が創建の浄土真宗本願寺派寺院「龍頭山善福寺」は鎮座している。伊東祐光は伊豆の押領使・伊東祐親の孫であり、その次男・伊東九郎祐清の子で、仇討ちで有名な「曽我兄弟」とは従兄弟の関係になる。元仁2年(1225)祐光は国府津(勧堂)滞在の親鸞聖人の本願他力の道に心を打たれ弟子となり念仏の教えを各地に弘めて道場を建立し、延応元年(1239)には壗下の地に草庵を結び阿弥陀堂を建立した。本尊は阿弥陀如来立像。平塚市内より国道1号線を大磯に向かって進むと「花水川」に架かる「花水橋」を渡った左側に構えられた小田原城家老職・大久保忠衛の屋敷門の移築の「山門」より入山すると正面に文化2年(1805)の再建「本堂」(阿弥陀堂)と「庫裏」がある。境内庭の東側には6、7世紀の「横穴式墓穴群」の古墳を見ることができる。岩山の前には檀家の墓地も並んでいて古墳時代と現代人の墓地が一緒という不思議な空間である。(2307)
 
 
 
 
 



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