私たち夫婦の墓をどうするかと相談したとき、どうせ死んだら「原子と分子になる」のだから、個人的な墓は必要ない。しかし、骨を焼いた後、どこかに骨を埋めなければ、子どもたち(娘2人と息子1人)が、世間からいやな目でみられることになっても困るだろう。とにかく、遺骨を埋める場所を決めなければと考えていたとき(2年前の春)、私が長年携わっていた仮説実験研究会が、「科学の碑」の再募集をしていました。奥さんも同意してくれたので、一緒に申し込みをしました。
仮説実験研究会では、提唱者であり、代表をしている板倉聖宣氏の蔵書を保存するに当たり、当時の新潟県湯の谷村の東養寺の住職・細井心円(むねまる)さん(故人)が仮説実験研究会の会員でもあるということで、その敷地に蔵書の置き場兼集会所をつくりました。そのとき、同時に科学の碑をつくり、墓地もつくりました。
板倉さんは昨年2月死去し、そこに、「原子・分子となって」葬られています。私は、自宅のある府中市での葬儀は参加しました。無宗教で、数人が弔辞を述べて、献花をするというもので、線香も焼香もない、葬儀でした。
しかし、後日行なわれた科学の碑での納骨には参加していません。
私たちの葬儀の内容の方向性は、親族には、その旨、伝えてあります。
ところが、80歳になる義姉が、「私もその墓を死ぬ前に見ておきたい」と言い出しました。「順番にいけば、私が先だから、死ぬ前に見ておきたい。早く連れていってほしい」というのです。もっともな話です。
たまたま、今月末、パティシエをしている次女が、「店の改造」で2週間の休みがとれたということで、昨日いってきたのです。当然、子どもたちにも、納骨さきを知っておいて、現地を見てもらわなければ、なりませんから、いい機会となりました。ただし、ここは豪雪地帯ですから(3メートルもつもるときがあるとのことでした)、冬場の納骨は困難です。
娘の車で、北関東高速道、関越高速道をすすみ、小出ICでおりて、4キロほど往くと、東養寺です。
入口に科学の碑のおおきな案内板が立っています。
細井心円さんの息子さんと記念写真
墓には、菊池伸浩と菊池節子の名前が刻まれています。
これが科学の碑です。
ここに私も奥さんの遺骨は納骨されます。
仮説実験研究会では、提唱者であり、代表をしている板倉聖宣氏の蔵書を保存するに当たり、当時の新潟県湯の谷村の東養寺の住職・細井心円(むねまる)さん(故人)が仮説実験研究会の会員でもあるということで、その敷地に蔵書の置き場兼集会所をつくりました。そのとき、同時に科学の碑をつくり、墓地もつくりました。
板倉さんは昨年2月死去し、そこに、「原子・分子となって」葬られています。私は、自宅のある府中市での葬儀は参加しました。無宗教で、数人が弔辞を述べて、献花をするというもので、線香も焼香もない、葬儀でした。
しかし、後日行なわれた科学の碑での納骨には参加していません。
私たちの葬儀の内容の方向性は、親族には、その旨、伝えてあります。
ところが、80歳になる義姉が、「私もその墓を死ぬ前に見ておきたい」と言い出しました。「順番にいけば、私が先だから、死ぬ前に見ておきたい。早く連れていってほしい」というのです。もっともな話です。
たまたま、今月末、パティシエをしている次女が、「店の改造」で2週間の休みがとれたということで、昨日いってきたのです。当然、子どもたちにも、納骨さきを知っておいて、現地を見てもらわなければ、なりませんから、いい機会となりました。ただし、ここは豪雪地帯ですから(3メートルもつもるときがあるとのことでした)、冬場の納骨は困難です。
娘の車で、北関東高速道、関越高速道をすすみ、小出ICでおりて、4キロほど往くと、東養寺です。
入口に科学の碑のおおきな案内板が立っています。
細井心円さんの息子さんと記念写真
墓には、菊池伸浩と菊池節子の名前が刻まれています。
これが科学の碑です。
ここに私も奥さんの遺骨は納骨されます。