菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

中村喜四郎氏が「野党新党」に参加

2020年08月26日 08時40分57秒 | 国政
 今、立憲民主党と国民民主党が結成する「新党」がマスメディアで報じられている。全国のマスメディアは、枝野幸男代表と小沢一郎代表や野田元首相の会談を報道している。だが、さすが茨城新聞は、地元の中村喜四郎氏の動向を報じている。

 中村氏は衆院当選14回。新党では小沢一郎衆院議員に次ぐベテラン議員となる見通しだ。立民の福山哲郎幹事長は中村氏に関し、「こまやかな気配りなど、かつての政治のやり方を体現されてきた方だ。大変、おおきな力になる」と歓迎した。
 中村氏は1994年にゼネコン汚職事件で自民党を離党。その後も無所属で当選を重ねた。2009年から10年には約半年間「改革クラブ」に所属した。18年から衆院の改革クラブの野党会派に所属している。

私は、現職の中村喜四郎氏とは面識がないが、先代の中村喜四郎氏をみたことがある。先代・中村喜四郎氏は、茨城師範学校でまなんだ方で、剣道の達人で、水戸東武館では四天王と言われるほどだったという。
 なぜそんなことを知っているかというと、真壁町大和町でラーメン店「一平」を開いていた中内武七氏が同期だったからだ。中内武七氏は同じく茨城師範ををでて、東武館でも剣道をやった方だったからだ。中内氏は、師範学校出のため、出世も早く30代の若さで教頭にまでなった。しかし、共産党員であったため、「レッド・パージ」にあい、首をきられ、ラーメン店を営んでいた。

 国会議員であった中村喜四郎氏は、「オートバイで宣伝カーの前を走る」エネルギッシュな姿が忘れられない。石岡から上曽峠をこえて来たときいて、すごいエネルギーだと思った。ところがその話には裏があった。中村氏は、人の前だけで「オートバイ走行」したのであって、上曽峠などの野良道は、代行運転手がいたのだという。
 それを知ったのは、前々回の衆院選挙告示日であった。私は、茨城7区の候補者の立候補届に行ったとき、中村陣営の方とあった。「私は急がないから、順番は3番目でいいから」を受付順を譲ってあげた。それから話が弾んで、「桜川の市議さんですか。真壁には、Mさんというかたがいますよね。あの方は、山越えをするとき、オートバイの代行していただいたんですよ」と語ってくれたのです。
そんな中村氏も、1971年61歳の若さで急死された。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする