エレミヤ書34:15-16
『しかし、あなたがたは、きょう悔い改め、各自、隣人の解放を告げてわたしが正しいと見ることを行い、わたしの名がつけられているこの家で、わたしの前に契約を結んだ。
それなのに、あなたがたは心を翻して、わたしの名を汚し、いったん自由の身にした奴隷や女奴隷をかってに連れ戻し、彼らをあなたがたの奴隷や女奴隷として使役した。』』
何度経験しても慣れないのは、人の裏切りです。
良くしてあげた人から、また親しかった人から受ける裏切りは何よりも心が痛みます。
裏切りは計画的ですね。
自分の身のためにとっさに裏切ることもありますが、多くの場合は計画的に裏切ります。
詐欺を働くのとあまり変わらないです。
カエサルが言ったことばがよく思い出されます。
『ブルータス、お前もか』
ダビデも親しい者たちの裏切りに心を痛めた者でした。
どれほど心に痛みを受けたのかが、ことばの中に現れてあります。
詩篇55:12-15
『まことに、私をそしる者が敵ではありません。それなら私は忍べたでしょう。私に向かって高ぶる者が私を憎む者ではありません。それなら私は、彼から身を隠したでしょう。
そうではなくて、おまえが。私の同輩、私の友、私の親友のおまえが。
私たちは、いっしょに仲良く語り合い、神の家に群れといっしょに歩いて行ったのに。
死が、彼らをつかめばよい。彼らが生きたまま、よみに下るがよい。悪が、彼らの住まいの中、彼らのただ中にあるから。』
私たちはただ裏切られた被害者だけではなく、誰かを裏切った加害者でもあることを覚えないといけないです。
神を裏切り、人を裏切ることは小さな罪ではなく、大きな罪です。
裏切ったことがあるならば悔い改めることです。
【関連聖句】
詩篇41:9
『私が信頼し、私のパンを食べた親しい友までが、私にそむいて、かかとを上げた。』
《 3分バイブルボイス 》
【ディボーション】その末には、どうするつもりだ:エレミヤ書5章30-31節