さくら・たわわにたわごと

四季折々、愛しきものたちとの日々と思いを綴ります。

演奏曲・ソロ&デュエット編 2

2014-12-09 | 演奏曲・習った曲


演奏曲・ソロ&デュエット編 1 は、こちら

2012年11月7日の記事以降~2014年いっぱいまでの演奏曲

2012年つづき

☆A野先生門下のクリスマス会(12.15 いたみホール・多目的ホール)

・春の歌 op.71-2  Fruhlingslied  メンデルスゾーン

・海と涙と私と    やなせ たかし/木下 牧子  (Duet)


2013年

☆だいだいリートvol.12(1.14 ギャラリー里夢)

・春の歌 op.71-2  Fruhlingslied  メンデルスゾーン

・海と涙と私と    やなせ たかし/木下 牧子  (Duet)


☆だいだいリートvol.13(8.25 いたみホール・中ホール)

・日曜日の歌 op.34-5  Sonntagslied  メンデルスゾーン

・ぼくの涙はあふれ出て Aus meine Tranen spriesen ファニー・メンデルスゾーン (Duet)


☆A野先生門下のクリスマス会(12.8 いたみホール・多目的ホール)
 
・野ばら    Heidenroslein   ヴェルナー (Duet) 

・下の谷底では Da unten im Tale ブラームス (Duet) 

・むこうむこう    三井 ふたばこ/中田 喜直  

・竹とんぼに     岸田 衿子/木下 牧子


2014年

☆だいだいリートvol.14(3.21 ピッコロシアター・小ホール)

・野ばら    Heidenroslein   ヴェルナー (Duet) 

・下の谷底では Da unten im Tale ブラームス (Duet)

・家族の肖像  Familiengemalde シューマン (Duet)

・むこうむこう    三井 ふたばこ/中田 喜直


☆だいだいリートvol.15 日本歌曲集(11.3 ピッコロシアター・小ホール)

・小さな木の実    海野 洋司/ビゼー (Duet)

・浜千鳥       鹿島 鳴秋/弘田 龍太郎

・雨降りお月     野口 雨情/中山 晋平



ソロ&デュエットに関しては、相変わらずあがってしまうことが
なかなか克服できません。
ふだんに近い状態で歌うことができたら、
わたしにすれば、それだけでも大きな進歩なのですが。。。

これだけ数多くひと前で歌っていながら、
いまだにここで足踏みしている自分を思うといつもなさけなく、
どんどんおちこんでしまうのでした。

ある友人からは、

 「あがらないこと、が歌うための目標みたいになってないか?
  それはちがうでしょ。

  歌詞なり、こう歌おうとかの歌い方なりに集中すれば、
  あがってるヒマなんてないはずだよ」

またある友人からは

 「まだカラダを使って歌えてないんだよ。
  まだ地声でノドからの声がつよいんだ。

  ベースができてないから、本番でも息が流れないんだよ」

とまあ、きびしくも真っ当なアドバイス。

自分では、それも自覚していて、改善するべく努力しているつもり
なのですが、まったく成果がみえないんですよねえ。

来年、どうすればいいのかな。。。
個人的な発声のしかたや からだの使いかた、こころのありよう…
について、なにをどうがんばっていけばよいのか、
その方向がみえないでいます。 






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父に寄せる句

2014-12-06 | 父・母、家族のこと


(画像の写真は「花の庵」さなえさん より おかりしております

 ”メタセコイア”)

わたしには、もうひとつのブログ
「さくら・ことのは~川柳の部屋」
というのがありますが、
今日はこちらにも書いてみようと思います。


父に思いを寄せてつくった句のあれこれ。



   元気かと父がさしだすぬくい杯

   父の日もそうでない日も父と呑む

   どこかしら父に似たひと好きになる

   男らしい人で拳は振りあげぬ

   家まもる父の背中の傷幾多


父とおいしいものを食べ、お酒をのみ、話す時間は
とてもこころ満たされるものだった。
一緒に過ごして楽しく、そして一本筋のとおったひとだった。
 


   淡々と告知する側される側

   泣いてなどおれぬほんとの一大事

   福音のように響いた転移なし

   気を逸らすこともひとつの生きる知恵

   ユーモアはこんなときでも笑うこと   

    
健康そのものだった父が、いのちをおびやかされる悪性の病に。
不安と希望に揺れうごく日々。
急ぎ手術を受け、病巣は取り除けた。
転移のない初期のものであったことにひと安心するが、
術後の痛みはなかなか癒えず、
そして 術後わずか4ヶ月たらずで再発が判明する。

父の肺がんは、多形がんという、
たぐい稀な悪性度の高い組織型だった。
早期に再発・転移を起こし、抗がん剤にも抵抗性。
めずらしいタイプの組織型なので、データも少ないが、
いろいろ調べても、完治した例を見出せない。
暗澹たる気持ちになった。
一方で、父が完治した最初のひとになればいいんだ、
希望を持とう。
とも思った。


   試練とはこうも続くか空に問う

   神さまにねだろう寿命もうすこし

   過去形にまだしたくない物語

   ないよりはいいと胸張る空元気

   日がすこし翳ったままの発病後

   いまは泣けいつか笑える日も来よう



当初は、急ぎ抗がん剤治療をと言われた。
が、その後まもなく、
まだじゅうぶん体力もあり元気に過ごせているので、
今のそのちからを保ちながら病と共存する道をと、
医師からすすめられた。
わたしは、効果の望みが少なくても、
医師からはきっと抗がん剤をつよくすすめられるだろうと思っていたので、
これは意外なことだった。

もとより、
抗がん剤におそらく効果はのぞめないだろう、
いま父にある体力を、免疫力をうばうだけにしかならないだろう、
と考えていたわたしに異存はなかった。
もちろん、やってみなければわからないかも知れない。
けれど、このまま父の生命力にゆだねるほうがのぞましいと
直感してうたがわなかった。
寿命の長さよりも、たいせつなのは質。
父も母も弟も、それを自然に受けいれてくれた。

けれどそれは、治癒をめざしての治療をやめるということ。
痛みや心身のさまざまな苦痛をとるための緩和ケアを受けながら、
いつ訪れるか知れぬ終末を、いやでも意識させられることになる。   
が、その日までの日々を悔いなくたいせつにともに過ごそうと決める。
毎日、気持ちは揺れた。
いつその日が来ても、父と母を支えよう。
その日が近いことも覚悟した。
けれどそれでも、ひとすじの希望を胸に抱きつづけた。
   

   逆境で真価をみせたああ男  

   わずらいを捨てて今日だけ見て生きる

   ケセラセラなにがあっても受けいれる

   第三の道はないかと思案する 


   病床の父と眺めるカレンダー

   いつか来る別れの日まで愛を積む

   けれどなお願ってやまぬ父の治癒

   いま生きて在るひと過去になる別れ


病のなかにあっても、
臥してからも、父はやはり父だった。
父らしさは、さいごまでうしなわれることはなかった。
いさぎよくて、美しくて、つよくて、やさしくて、みごとだった。



   
   この世でのさいごの息をふかく吸う

   潮どきを悟ったように花が散る

   来年はもうない父と見たさくら

   散る日まで椿は椿父は父

   いてくれるそれだけでいいひとが逝く



   正解はそれぞれにある看とりかた

   去ってより存在感が増してくる

   そこここにぬくもりのこし死出の旅

   尽くしてもたりぬと思う父看取る

   秋立ちぬ夏いっぱいを生きた父


8月8日の立秋の頃、父は旅立った。
8日に日付が変わってまもない真夜中、  
わたしの目の前で、この世でさいごの息をしてくれて、
しずかにその呼吸を止めた。




   存在の大きさを知るその不在

   白萩は咲いて散るまで白い萩

   風流れいるべきひとがいなくなる

   常夜灯消えてしるべをさがす指



   もういないひとのぬくもり消えぬ部屋

   日々拝む遺影の父はきょうも笑む

   祈ることばかりであった年も暮れ

   ゆっくりとこのさびしさに慣れてゆく



本当は、このさびしさに慣れることはない。
ただ、父のいなくなった世でも、
わたし自身の人生を淡々と、でも精いっぱい生きていくだけ。
喜んだり、悲しんだり、泣いたり笑ったりしながら。
のこされた、母や弟とともに。
わたしのまわりの、愛するひとたちとともに。

けれど、まだどこか、
喜怒哀楽の振幅の、レベルが一段低いなかで生きている自分を
感じている。

父にあいたい。



   こんなにも広かったのだ父の傘

   

   

   

   
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父・あの日から

2014-12-03 | 父・母、家族のこと


ちょうど1年前の今頃だ。

定期的に経過をみていた父の肺の影に変化がみられ、
急ぎ 精査が必要と言われたあの日。
2013年の12月4日のことだった。

その同じ年の6月に心臓の弁置換の手術を受けた母が、
術後思わぬことで3ヶ月間もの入院となり、
そのうち約1ヵ月半はICUだった。
一時は回復も危ぶまれた。
治療の苦痛や 大きなストレスにも耐えた母に
ようやく光が見え、ぶじ退院できたのが9月。

前年の夏には父の胃がんが見つかり、
内視鏡的胃粘膜剥離術のあと、
その組織結果で 開腹での胃部分切除が必要となり、
結局2度の手術を受けた。

幸いにも、経過は順調。
ほかに内科的な病気もなく、これまで病気知らずなうえ
体力にも恵まれていた父は 回復も早かった。
術後1年目が過ぎたこの頃、
転移や再発の兆候はみられていない。

母の長引く入院で、
父の心身には大きな負担がかかっており、
それは気になっていたが。

すこしずつ、わたしたち家族の生活のペースが戻ってきて、
おだやかなお正月が迎えられるかと
みんながほっとしつつあったその矢先だった。

胃の検査・治療中にみつかった肺の影については、
定期的に胸部レントゲンとCTを撮り、
そのたび 大きさも形も変わらないと言われ、
ほっとすること数回。

今回の検査で異常がなければ、
また半年後とか 
もしかしたらもう 1年後くらいのフォローで
心配ないかも知れない。

検査を受ける本人である父は、
検査のたびにいつも不安をもらしていたが…

昨年は父の胃がん手術をぶじ乗り越え、
今年は母も大きな手術からぶじ回復し、退院できた。
このお正月は家族みんなが元気でいられることに感謝して
ゆっくり過ごせる、
そして来年は きっとおだやかないい年になる。

そう信じられる気持ちがあったし、
そうと信じたかった。

ところが、
その日を境に、わたしたち家族の状況は一変する。
またもや試練の日々。

その日から、父を看取るまでの日々。
長くて、それでいてあっというまの8ヶ月。

それを振り返り、
克明に思い返し、綴るのは まだつらい。

けれど、忘れたくはない。
父にまつわる、あれこれのこと。

記憶がうすれてしまわないうちに、
ちゃんと書き残しておきたい思いもつよい。

まとまりはつかないままだが、
そのうちすこしずつ、思い出すままに 書いてみようと思っている。
むりはせず、気のむく時に、気長に。






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