さくら・たわわにたわごと

四季折々、愛しきものたちとの日々と思いを綴ります。

ゆく年

2014-12-17 | たわごと・できごと


昨年、巳年の父は年おとこだった。
母の入院、自分自身の通院、長年不況つづきの仕事と、
苦難の多い日々だったが、
それでも自分のやるべきことを精いっぱいこなし、
毎日走り回っていた。

そして、今年は午年のわたしが年おんな。

これまでの人生で、もっとも重い、つらい、
けれどたいせつな年でもあった。

  馬車馬のように走った年おんな


自分の干支の年まわりって、
課題の与えられる年なのだろうか。
これまでは意識してこなかったけれど。

ふりかえってみれば、
そういえば12年前は、自分が入院して手術を受けた年だった。

その12年前は…
いま思えば、あれが大きな課題だったのかも、と
思いあたることは、ある。
わたしはそれをクリアできずに、ひとつの選択を誤ったかも知れない。

課題が与えられる、苦難が多い というのは、
成長の機会 でもあるのかな。
けれど、そのさなかにある時には、とてもそんなふうには思えない。

ずっとむかしから、わたしの内にある劣等感が
最近また前面に出てきて、
何をしていても、どこにいても、
いたらない自分を感じるばかり。

  友が皆 我より偉く 見ゆる日よ…

の歌の、石川啄木の気分。

友が を、人が にするとさらにぴったりな感じ。

そんな日はやはり、

  花を買ひ来て 妻と親しむ

こんなささやかななぐさめを必要とするのだろう。

ぬくいお湯に浸かったり、
あたたかいお茶にほっとしたり、おいしいお酒。
自然の花の色。 冬風にたえる木々のつよさ。
家族や友人。
うちで待っていてくれるりん。

支えや、自分のこころをぬくめてくれるものは
たくさんある。

けれど、どうしようもない孤独もある。

父をうしなったから だけではなくて、
愛するひとやものにかこまれていても、
つねに感じるうめようのない孤独感は、自分だけの問題。


  四季愛でてゆっくり歩く丙午

還暦を迎える次回の年おんなの頃には、
ぜひともこうでありたい。

あればいいなと夢みつつ…

いまは目の前のことをしよう。

あとは、年末までの忙しい仕事をクリアするだけ。

この年末は、年賀状書きに追われることもない。
さびしいことだが。

送っていただける年賀状はよろこんで受けとるけれど、
喪中はがき出しちゃったからなあ。
誰も送ってこないだろうなあ。

歌に関する、定期の練習日も 本番も
今年いっぱいの予定はすべて終わった。

一昨年までからすると、
昨年からは、歌う機会もレッスンもかなりセーブして、
これ以上縮小できないくらいに減らしている。
それでも、出かけていくだけで精いっぱいだ、
という状況が長く続いている。

さて、来年はどうなりますか。

いま望むのは、おだやかな日々でありますようにと、
ただそれだけかな。



コメント (2)
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