よくない求め方。ひとつの問題に注意をしばりつけてしまうこと。これも、真空嫌悪の一現象である。人は、自分の努力がむだに終わってしまうことを望まない。狩猟において獲物にしつこくつきまとうこと。見つけることを望んではならない。度のすぎた献身の場合のように、努力の目標であるものに、自分が従属してしまうことになる。外にあらわれた報いも必要であって、ときとして偶然に与えられることもあるが、真実をゆがめてでも、そういう報いを手にしたいと待ち受けているのが実状である。
ただ、どんな欲望もともなわぬ(ひとつの目的にしばられていない)努力だけが、まちがいなく報いを隠しもっている。
自分の追及している目的の前で後退すること。遠回りすることだけが、効果をあげる。まず最初に後退しなかったならば、なにもなしとげられない。
ぶどうの房を引っぱったりすれば、ぶどうの粒はみな地面に落っこちてしまう。
シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)』田辺保訳、筑摩書房、1995年、p.194.
いまが前進か後退かもわからない・・。
ただ、どんな欲望もともなわぬ(ひとつの目的にしばられていない)努力だけが、まちがいなく報いを隠しもっている。
自分の追及している目的の前で後退すること。遠回りすることだけが、効果をあげる。まず最初に後退しなかったならば、なにもなしとげられない。
ぶどうの房を引っぱったりすれば、ぶどうの粒はみな地面に落っこちてしまう。
シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)』田辺保訳、筑摩書房、1995年、p.194.
いまが前進か後退かもわからない・・。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます