つまりさ、僕はこれまで、どさくさみたいな感じで学校とかいろんな場所をあとにしてきたんだけど、そういうのは正直言ってもううんざりだった。それが悲しい別離であったとしても、いやな感じの別離であったとしても、僕としちゃべつにかまわないんだ。ただどこかをあとにするときには、自分がそこをあとにするんだということを、いちおう実感しておきたいんだよ。そうじゃなくっちゃ、救いってものがないじゃないか。
僕はラッキーだった。ふとあることを思い出して、そのおかげで「もうここともお別れなんだな」ということがうまくのみこめたからだ。
(J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳、白水社、2003年、p.10-11)
そんなわけで、いまは京都にいます。
どうぞよろしくお願いします。
偶然ですが、たまたま出発前に本書を読んでいました。主人公の出発に自分を重ね合わせるほど感情移入はしていませんが、物語の進行が自分の行動と重なるとはおもしろいものです。ちなみに、村上訳に馴染めないのか、本書がつまらないのか、環境が変わったせいで落ち着かないのかわかりませんが、なかなか読書が進みません。
僕はラッキーだった。ふとあることを思い出して、そのおかげで「もうここともお別れなんだな」ということがうまくのみこめたからだ。
(J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』村上春樹訳、白水社、2003年、p.10-11)
そんなわけで、いまは京都にいます。
どうぞよろしくお願いします。
偶然ですが、たまたま出発前に本書を読んでいました。主人公の出発に自分を重ね合わせるほど感情移入はしていませんが、物語の進行が自分の行動と重なるとはおもしろいものです。ちなみに、村上訳に馴染めないのか、本書がつまらないのか、環境が変わったせいで落ち着かないのかわかりませんが、なかなか読書が進みません。
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